21 問いかけ
キュロンと一緒に行動するようになって数日。
「!」
私は素早く柱に身を隠した。
楽しげな様子でルルタとツバサくんが廊下を通り過ぎていく。その後ろには男を侍らせたユシィもいるな。相変わらず目立っている。
「声かけないの?」
「別に……こちらから近寄っていく理由はない」
私の婚約についていろいろ話して以来、ルルタたちとは距離を置いている。
何も悪いことをしていないのに、どうして逃げ隠れなければならないのかという疑問はあるが、仕方ない。なんとなく顔を合わせづらいのだ。
すっかり私の首が定位置になっているキュロンは、どこか退屈そうだ。ルルタたちに遊んでほしいのだろうが、今のところは私の護衛の方を優先している。ルルタに懐いたことを、兄上様に叱られたのかもしれない。
「ねぇ、ライラはルルタが好きなの?」
「っ! いきなりなんだ」
キュロンがどこか拗ねたように言った。
「だって、ルルタを見かける度に鼓動が早くなってるし、体温も上がってるし、苦しそうな顔してるよ? これって、人間の恋の症状でしょ? 違うの?」
「……ヒトのバイタルを勝手にチェックするな」
「うわー、否定しないんだ。ボク、やっぱりショック」
しょんぼりする龍の頭を忌々しく思いつつ、私はできるだけ人気のない道を選んで次の教室に向かった。
「確かにルルタは良い奴だし、ものすごい才能を持ってるし、質の良いオスだっていうのはボクにも分かるよ。人間社会の複雑で下らない身分制度がなければ、オルフェだってルルタのことを認めたと思う。それくらい、上等だもん……」
「ぐちぐちとうるさい。何が言いたいんだ」
「ライラったら龍心を分かってないなー。いいもん。オルフェには誰も逆らえない。最終的にライラをお嫁さんにするのはボクさ! 百年見ても飽きない可愛さを提供できるし!」
何を一人で勝手に納得しているんだ。
ぎゅうっと、ちょっと息苦しくなるくらい胴を首に巻きつけてくるので、緩めようと立ち止まったとき。
何かが割れる音が頭上から聞こえた。
陶器の破片が私を中心に四方に散った。素早く上を確認すると、窓の奥の人影が逃げていくのが見えた。遠すぎて顔も性別も分からなかったけどな。
私自身に怪我は一つもない。薄い球状の膜が私の周りに展開している。どうやらキュロンが守ってくれたらしい。
龍の持つ特殊な結界――“龍の聖域”。
単純な物理攻撃はもちろん、魔法攻撃だってほぼ弾き飛ばす。
本当に護衛にはうってつけの能力だ。
「大丈夫だよ! ライラにはボクがついてる!」
「……ありがとう」
えっへんと誇らしげなキュロンを一撫でしつつ、私は呼吸を落ち着かせた。
随分と古典的な嫌がらせだな。しかし、効果的だ。これからは全く気が抜けなくなった。
あの高さから落ちた鈍器……おそらく壺か。こんなものが頭に直撃していたら、最悪即死だ。医療術で治療する間もない。
キュロンが守ることを見据えた脅しだったのかもしれない。だとしても、随分大胆なことをしてくれたものだ。
動機はなんだろう、と考えて無数に浮かんできたので思考を停止させた。虚しくなる。
このまま立ち去りたい気持ちに駆られたが、割れた壺の始末もあるし、万が一無差別犯だった場合に問題になる。
私は仕方なく職員室に出向き、最初に目についた教師に報告した。
「まさか。この王立学院にそんな野蛮なことをする輩がいるなど、信じられませんわ」
しまった。ハズレを引いた。
その女教師は私の全身を舐めるようにねっとりと見て、鼻で笑った。名乗る前から私のことを知っているようだな。
なんとなくこいつの心の声が分かった。「被害者ぶって」とか「自業自得だわ」とか、そういうことを考えている顔だ。
「破片の片付けは事務員に伝えてやってもらいましょう。もう行ってよろしくてよ」
犯人捜しをする気は全くなさそうだな。他の貴族の生徒が被害者だったら、学院を挙げて大騒ぎをするだろうに。揉み消すとしたら大問題だぞ。
「……面倒だ」
「は?」
「いえ、なんでもありません。失礼します」
あまり食い下がっても良いことはなさそうだ。キュロン以外に目撃者がいない以上、最悪私たちの自演だと思われる。
兄上様の耳に入ったら厄介なことになりそうだしな……。
ここは戦略的撤退だ! 断じて泣き寝入りではない!
私はあっさり職員室を後にした。
そのままいくつか授業を受け、図書室へやってきた。
ほとんどの新入生は今頃王国史の授業を受けている。出席を禁じられた問題児は、大人しく他の勉強をするしかない。
窓際の隅っこの自習用の大机を陣取り、私は魔法教典を広げた。一つでも有用な魔法を覚えたい。目下の目標は、アンガークロコダイルを血祭りに上げること。火属性の魔法攻撃のページをめくる。
今はまだ他人が編み出した魔法を模倣することしかできないが、いつかは教典に載るような魔法陣を創ってみたいものだ。
「きゅあー……」
結界を使ったことで疲れたのか、キュロンが机の上で寝転び、あくびを連発している。
「お昼寝してもいいぞ。ここは安全だろうから」
「ううん。ちゃんとライラを守らなきゃ!」
「声がでかい」
図書室で私語は厳禁。誰かに迷惑をかけたかと周囲を見渡すと、書架の陰から長身の少年が顔を覗かせた。
「お、やっぱりライラとキュロンだ」
ルルタの登場に思わず悲鳴を上げそうになった。
そうだった。こいつも王国史の授業を蹴ったんだったな。しかしなぜ図書室に……。
キュロンがむくりと首を持ち上げる。
「ルルタだー。何してるの? ライラのストーカー?」
「違う違う。マジで偶然だからな。自習しようと思って」
「本当かなー? 勉強好きそうに見えないけど」
「まぁ、それは当たってる。でもみんなより遅れてる分、苦手なことでも頑張らねぇと。まずは文字の読み書き、できれば魔法も覚えたい」
ルルタの手には魔法の入門書や辞書があった。安い紙の束もある。魔法について学びつつ、文字の書き取りの練習をするつもりか。欲張りな奴だ。
「ふぅん……じゃあここに座って。分からないところはボクが教えてあげる」
「おい、キュロン」
突然何を言い出すんだ、この龍は。先ほどまでルルタに嫉妬していたくせに。
「いいのか? すげー助かるけど」
「いいよー。可愛さでも賢さでも、ボクの方が上だってことを見せつけてやるんだから!」
というわけで、ルルタが右隣の席に座った。くそ、集中できない。
……数分後、予想通りキュロンが寝落ちした。鼻提灯なんて珍しいものを見せられても許さないからな。
どうしてくれるんだ、この状況。
教典を見ても、魔法陣が全く頭に入ってこないじゃないか。隣にばかり気を取られてしまう。
「…………」
ページをめくる音とペンを動かす音が、止まった。ルルタが静かに立ち上がる。
「ライラ。ちょっとだけ時間をくれ」
「な、なんだ……」
「こんなときじゃないと、聞けないから。頼むよ」
いつもにこやかなルルタが珍しく真剣な表情をするものだから、拒絶できなかった。
ルルタに手招きされるがまま、私は図書室の奥に足を運んだ。
誰もいない突き当たりの書架。む、私が王国史の授業の後で泣いた場所じゃないか。思い出しただけで恥ずかしくなる。
「……何が聞きたい? くだらない事だったら、お、怒るからなっ」
心臓が嫌な音を立てている。言ってほしい言葉と言ってほしくない言葉が脳裏をよぎり、プチパニックを起こしていた。
大丈夫。幸い、書架の奥にいるのはルルタの方だ。逃げようと思えばすぐに踵を返して逃げ出せる。
私が心の準備に忙しい中、ルルタが落ち着いた声で切り出した。
「ずっと気になっていて、でも聞けなかった。……ライラはどうして勇者になりたいんだ? みんなが言っているみたいにご先祖様の遺した汚名を雪ぎたいからか?」
胸の奥を一突きされたような気分になり、私は眉間に皺を寄せる。
「どうしてそんなことを聞きたがる?」
「ライラが本当に全てを懸けて勇者を目指しているのが分かったから。ただならぬ事情があるんだろ? 俺はそれが、どうしても知りたい」
「…………」
お前に話す筋合いはない。関係ないだろう。放っておいてくれ。
そう言うのは簡単だ。実際、今まで誰に尋ねられても、そうやって突っぱねていた。兄上様にだって、本当の理由は話していないんだ。勝手に想像して、心配しているようだけど……。
ああ、でも、初めてだな。
こんなに真剣に私の言葉を聞きたがってくれる奴は。
誰も彼も私が勇者になりたいと口にすれば、目を吊り上げて恥さらしだと罵ってきた。どんな理由があろうとも絶対に認めてくれないと分かっていて、どうして本当のことが言えるだろう。
今のルルタの真っ直ぐな瞳に、少しだけ応えてもいいだろうか。
「ベガトリアスが貶めたシェリアーク家の名誉を回復したいというのも、ある。だけどそれはついでに過ぎない。私が勇者を目指すのは、ひどく個人的な理由だ」
私は胸に手を当てた。
呆れられてしまうかもしれない。でも本当のことを伝えたい。
「私は勇者になって魔境ガランドリネに向かい、休眠中の魔王を叩き起こしてでも倒す。命に代えても取り戻したいものがあるんだ」




