第六話 【残された者達】
炎が揺らめいている。
音もなく、ゆらゆらと揺らめく炎は他の場所よりも少し石の床が高くなっている部屋の四隅の石柱に灯っており、その光を部屋全体へと分け与えていた。
それに照らされた床や壁、天井には所々苔の様な物が生え、少し石材が破損した箇所が確認出来る。
かなり昔に建てられたであろう事が様々な箇所から推測されるこの場所は聖域にある神殿の最奥部、一辺四十セーチメルトーの正方形の石材を敷き詰められて造られた、人二十人分程の小さな部屋の中央に他の椅子とも、寝台ともとれるものが存在している祈りの間だ。
そんな本来であれば静粛な場所で騒ぎ立てる声が二つ。
「長老!!もう結界が持ちません!!結界術に長けた者達も結界を張り続けた影響でもう虫の息!このままでは・・・!!早く次の策を打たねば!」
「ええぃ!いつから我がエルフ族は腑抜けばかりの集まりになった!儂がまだ若い頃はひと月を通して結界を張り続けられるものばかりじゃったというのに・・・何と嘆かわしい事か!」
「盛らないでください!長老がまだ前線に立っていた頃でも一週間が限度だったと聞いております!!だぁーもう!そんなことはいいから早く指示を出せこのボケ老人!!」
「なぁー!!長老に対してなんて事を!!!貴様打首じゃぞ!!!!」
「えぇ、どうぞどうぞ!民を守り抜いてここから逃げる事ができた暁にはいくらでも差し出しましょうぞこんな首くらい!!」
椅子のようなものの周りで騒ぎ立てている声の主は二人の男だった。
一人はその白い髪と顎に蓄えた髭を曲がった腰あたりまで伸ばし、純白色のエルフの最高位正装に身を包む椅子のようなものに座った老人、オルセデス・ロングレイス。もう一人の男はその老人の二倍はあろうかと言う長身をピッと伸ばし、モノクルから覗く切れ長の瞳が理知的な椅子のようなものの前に立つ青年、ロフマン・オーウェンハインという男達だった。
この二人はエルフの長老と公爵で、今まさに聖域の結界を破ろうとしている魔獣からどう民を守るかの話し合い、もとい言い争いをしている最中である。
族長と高官がこんなで良いのかと不安になるが、割といつもこんな感じなので大丈夫である。というかこんなだからエルフという種族は普段から仲がとても良い。
「しかし本当にこのままでは魔獣に結界を破られ、ここまで逃げてきた民達を含め全滅してしまいます。」
「何故じゃ。これまでは大丈夫であったであろう。一体何故急に結界が破られ始めたのじゃ?」
言い合いが続く事暫く、共に声を荒げていたロフマンが一息ついた後、真剣に話し出す。
その姿を見てオルセデスもいつもの調子に咳払いで別れを告げ、声のトーンを落として現状を聞くことに努める。
「新種の魔獣の出現のせいです・・・。」
「新種の魔獣じゃと!?」
「はい。あの一本角の魔獣・・・。奴が出現するまでは我々の結界が魔獣の侵攻を許す事は無かったのですが・・・。奴が現れてからというもの・・・奴は瞬く間に聖域の結界を破壊し、その後ろに貼り続けていた我々の結界も意図も容易く破壊し、今も尚術師達が代わる代わる結界を張り続けていますが、それもいつまで持つか・・・不甲斐ない限りです・・・。」
ロフマンはそう語ってギュッと拳を握りしめる。
爪が刺さる程強く握りしめられたその拳は打ち震えており、ロフマンの悔しさを物語っていた。
そんなロフマンの拳に目を細め、
「そうか・・・。分かった。儂が出よう。」
オルセデスはそう言って立ち上がる。
「長老自ら!?しかし!長老の身に何かあれば——」
スタスタと歩き出すオルセデスに慌ててロフマンが前に立ち塞がりその全身を止めようとした。
「儂の身などどうでもよい!民の命も守れずして何が長じゃ!!」
しかしその身を案じるロフマンの言葉と行動はピシャリとオルセデス自身によって遮られる。
腰の曲がったその身体から発せられたとは思えないその声音と声量に、ロフマンは息を漏らす。
「それに大丈夫じゃ。もしわしの身に何かあったとしても、わしの代わりなどいくらでもおる。それに、その程度の事で慌てふためく軟弱者に育てた覚えは、わしにはないのう。」
そんなロフマンの腕にポンっと手を置き先程とは打って変わって木漏れ日の様に暖かな声音で微笑む。
「っ!・・・すみません。我々の技量不足でこのような事になってしまい・・・。」
「良い、仕方のない事じゃ。それにお主はまだ若い。此度の経験を次に活かせ。ま、ここを生き残れたらの話じゃがな。」
言葉に詰まりながら俯き様に謝罪するロフマンに一度だけ頷いた後、ガッハッハと豪快に笑い、祈りの間の出口へと続く通路に向けて歩き出すオルセデスの後ろをはい。と一言だけ返事をしてロフマンが追従する。
通路に入ると左右均等に並べられた八本の石柱がオルセデス達を出迎えた。
左右八本の柱の上にはそれぞれに名匠が彫ったと思われる出来の良い石像が鎮座している。
その全ての石像が祈りの間に向けて首を垂れており、それを祈りの間から見ればそれはもう言葉に表せない程壮観なのだが、そう配置されているのには理由がある。
その理由とは語り継がれる神話戦争の最後の一幕、神々と人との連合軍は邪神を封じる事に成功するのだが、それを滅しきる事はついぞ叶わず、いずれまた世界に混沌をもたらすであろう邪神に人々は怯えていた。それを見た神々が、人々の不安を和らげる為、権威ある神達八人と最高神で後世の平和を祈る儀式を行い、その身体を光の粒に変えて世界を照らす。という結末を迎えるのだが、それを見届けた人々がその威光を後世まで語り継ぎ、またその感謝を忘れる事が無いように、と神殿と共に作られたからだ。
そんな由緒正しき通路を抜けると今度は祈りの間よりも少し広い円形の空間が二人を出迎える。
そこには中央から円状に壁面を向く形で並べられた石造りの長椅子が存在している。
壁面には神話戦争の大まかな物語が絵で描かれており、その物語の全てをここで感じられる事が出来るようになっていた。
しかし現状、過去を堪能している暇など無い二人は足早にその空間を去る。
そこから真っ直ぐ、今度は灯火だけが連なる通路を抜けると、石畳の上に柔らかい布が置かれた祈りの間のおよそ十倍はある四角い広間に出る。
次の瞬間、オルセデスはざわめきに出迎えられた。
ざわめきの主は魔獣に襲われ、避難を余儀なくされたエルフの民達。
「長老様!?長老様がこちらへいらしたという事はもしやようやく魔獣達への対抗策が出来たんですか!?」
不安を吐露する者、不満を吐露する者、泣き出しそうな者、様々な言葉が飛び交う中、一人の青年のエルフが立ち上がり、その顔に希望を滲ませてオルセデスに問うた。
その発言にたった一枚の布の上に座り込んで表情を曇らせていた他のエルフ達もその瞳に輝きを取り戻し始める。
そんな民の姿にオルセデスはニコリと微笑み、
「その通りじゃ。いつものようにわしがなんとかする。皆はここで安心して待っておればよい。」
とゆっくりと言った。
途端、歓声が沸き起こる。辺りを見回してもその表情を曇らせる者は誰もおらず、全員が全員、希望に包まれていた。
そんな民の姿に一度だけ頷き、オルセデスは扉へと歩き出す。
民の歓声に背中を押され、広間の扉を開けたオルセデスとロフマンは、冷たい空気が灯火を揺らす最後の通路へと足を進めた。
「・・・良かったのですか長老。あんな・・・ぬか喜びさせるような事を言って・・・。」
扉を開けて少し進んだ所で立ち止まったロフマンが呟く。
そんなロフマンの言葉にオルセデスはゆっくりと振り向き、
「良くはない・・・じゃろうな。じゃが、今は少しでも民を安心させるべきじゃった・・・。気づいておったか?部屋の四隅に置かれた食料の入った木箱の有様に。」
息を吐き出してそう言った。
オルセデスの表情は笑顔ではあるものの、その眉間には皺が寄っており、声音も少し暗く聞こえる。
それは彼自身、その判断に納得がいっていない証拠であり、そんなオルセデスにロフマンはハッとした表情で、
「申し訳ありません・・・。言葉が過ぎました。所で、部屋の四隅の食料箱には恥ずかしながら全く気が付いておらず・・・。少なくなっていた、という事でしょうか?」
頭を下げて謝ると、食料箱のことについて聞く。
「少なくなっていた、というのはその通りじゃ。じゃが、問題はそこでは無い。」
「と、言いますと?」
「散乱しておったんじゃよ空になった木箱がの。」
「散乱して・・・!?」
オルセデスが口にした答えにロフマンは眼を見開く。
「そうじゃ。我々エルフは自然を大事にする一族、もっと言うならば、物を大事にする一族じゃ。そんな一族である我々が、木箱を散乱させると言う事がどういうことを表すか・・・。」
「限界・・・なのですね・・・。」
「そうじゃ。仕方がないがの。ここに来てもうそろそろ二週間、一向に事態は収束せず、食料も十分にはない、そんな中、冷たい床の上で何日も過ごしておるのじゃからな。」
そう言ってオルセデスは顔を歪ませた。
そんな物理的にも、精神的にも冷たい空気が二人を包み込んだ瞬間だった。
ドォンという音と共に地面が揺れる。
「なんじゃ!?」
「分かりません!しかしこの建物が揺れるなど・・・本来有り得るはずがないのに・・・!」
オルセデスとロフマンは近くの壁に手を置き、なんとか体勢を保つ。
本来であれば防音性にも、耐震性にも優れたこの神殿が轟音と共に揺れる事などあり得る筈もない。
二人は顔を見合わせる。
双方の表情から同じ事を考えていると読み取った二人は通路の出口へと走り出す。
冷たい空気を身体全体に受け、壁に取り付けられた灯火が消えかねない勢いで走る二人の背中にはジワリと嫌な汗が浮かび上がっていた。
「ロフマン!詠唱を待機させておくんじゃ!もうこの先何があってもおかしくない!」
「了解しました!」
オルセデスの言葉を起点に二人は走りながら詠唱を開始する。
オルセデスが言った詠唱を待機させる、というのは詠唱を終えた後、魔法を発動せずに待機させておく事を指しており、これは魔法を得意とするエルフ族のみが使える特殊技能となっている。
何故これをエルフ族のみが使えるのかと言うと、この詠唱待機という技能は簡単に言えば自身の魔素を変質させた状態にしてその魔素を変質してない物と一緒にコントロールする必要があるからである。
もし、そこでコントロールに失敗して魔素が変質させた物と混ざり合ってしまった場合、その魔素は反発し合い、身体が内側から弾けてしまうという想像するのも恐ろしい事態が起きてしまう。
故に魔力操作に長けたエルフ族のみがこの技能を扱う事ができ、エルフ以外の種族はこの技能を扱ってこなかったという歴史があった。
そんな諸刃の剣のような技能を難なく扱うエルフの男二人は扉の真横に立ち、もう一度顔を見合わせる。
「準備はいいか?ロフマン。」
「勿論です長老。では、開けます!」
お互いの表情を再度確認し、頷き合った二人はそれぞれ左手と右手に待機させた詠唱をいつでも発動出来るように準備して扉を開ける。
そこに待ち受けていたのは——。




