第五話 【祝福の副作用】
まだ鳥達の囀りが聞こえ出すよりも少し前、太陽が漸く顔を出してすぐの頃、まだその光が世界を包みきらない早朝にその音は鳴り響いた。
駐在所から東へ数百メルトー移動した先にあるこの場所は、他の場所と同様、人の手が加えられておらず、木々は思い思いに生い茂り、太陽が出ていない今は少し薄暗く、ひんやりとした空気を漂わせている。
そんな中に数箇所だけ、幹と幹にロープが結いつけてあったり、枝にだらりと木人形が吊されていたりする場所が存在している。
その中の一つ、五本の木をぐるりとロープで囲んだ簡易闘技場の中でサーシャは身体を大の字にしていた。
「へ?」
青々とした落ち葉のカーペットに身を委ね、サーシャは呆然と声を漏らす。
(確かさっきまでディアさんと組手をしてて、先に仕掛けたら絶対勝てるから!と思って突っ込んだよね?なんでアタシが寝転んでる訳―?)
と頭上の青葉を見ながらそんな事を考えていると、
「どうした?まさかもう終わりか?昨日の威勢はどこにいったんだ?」
ディアが軽口と共に上から覗き込んできた。
「ねぇ、ちょっっっっと待って!!!何かしたでしょ!あ!分かった!!祝福使ったんだ!!そうなんだ!ズルしたんだー!!!!わーるいんだー!!」
「ズルなどするか!純粋な経験の差だ。」
浴びせられる軽口から逃げる様にヒョイっと手をバネにして起き上がりディアの周りをウロチョロと動き回りながら捲し立てるサーシャにコツンとデコピンを食らわせてディアは言った。
「痛ー!!!何!?経験の差!?経験の差じゃ埋められない位の細さしてるのに!?ほら見てよ!この木より細いよ貴方!!」
デコピンをおでこに食らい痛がりつつもそう言ってサーシャは落ちていた小枝とディアの腕を交互に指差す。
指の先に存在する二つの枝、もとい枝と腕は流石にサーシャの誇張表現で、そこまでの細さではない。
しかしそれでも一般的な男性の腕のことを考えれば、いや女性と比べてもその腕は細いと言って差し支えなかった。
「おいそこまでではないだろう!お前の目は節穴か!ああもう違う!そういう事ではない!確かに常人であれば俺の様な体型でお前に勝つ事は不可能だろう。だが俺は祝福を使える能力者だ。」
「それはそうだけど、祝福の力は使ってないでしょ?」
「あぁ、祝福の能力は使っていない。しかし祝福によって”もたらされる力“は使っている。」
「え?それ何が違うの?」
サーシャは首を傾げる。
「祝福がもたらす恩恵は、何も特殊能力だけではないという話だ。言っただろう?一般人とほとんど変わらない者、と。」
その言葉にサーシャは昨日の会話を思い出す。
「確かに言ってた!いやでもそう言う意味だとは思わないじゃん!?」
思い出したが、まさかそういう意味で言われているとはサーシャは夢にも思わなかった。
きっと能力を持たない人と素の力は変わらないという意味で言っていると思っていたサーシャは少し意地悪をされた様に感じ、口を尖らせながらドシリと地面にあぐらをかくように座る。
「で?特殊能力以外の恩恵ってなんなの??」
「身体能力の向上だ。」
「!」
そこでサーシャの脳裏に先程組手が始まってすぐ、先手を取ろうと踏み出した瞬間が過ぎる。
確かにあの瞬間、明らかに自身が思っていたよりも早い速度で距離を詰められた。てっきりあれは暫く寝ていた事による身体の違和感だとばかり思っていたが、そういう事だったのかとサーシャは納得する。
「思い当たる節があったようだな?お前がそうである様に、祝福を持つ者は皆一様に身体能力を向上させる。誰一人の例外もなくだ。その理由ははっきりとは分かっていないが、俺はこう考えている。」
そう言ってディアは改めて祝福の説明を始めた。
祝福とは古い文献に残された神々の使う力の一部を使えるものであるという事。
その発動条件は心臓を止める事だが、発動直前に一度大きな脈動がある事。
その脈動の際に神の力が血液を通して全身に行き渡り、力の行使が可能になる事。
その際に行き渡った神の力は少しずつ身体に残留し、その微弱な神の力が使用者の身体能力の底上げをする事。
以上がディアが考える祝福を持つ者が一様に身体能力を向上させる理由だった。
「つまり、その力を使えば使うほど身体能力が向上していく。これが俺が先程言っていた経験の差、という訳だ。」
そこまでの説明を聞いてサーシャは顎に手を当てながらなるほど。と頷く。
しかし、その表情は完璧に納得したという様相ではなく、うーんと唸りながら顔を顰めている。
うーん、うーん、と唸る事暫く、その顔は下から徐々に上を向いていき、完全に空を見上げたところでその疑問を弾けさせた。
「あーもう!わかんない!」
「ふむ。一体何が引っ掛かっているんだ?」
その様子に、いつの間にかサーシャから一番近い木に寄りかかって腕を組んでいたディアが問いかける。
「いや、大体の事は理解出来たんだけど、一つだけわかんない事があって。」
その問いかけにサーシャは顎に手を当てて答える。
「と、いうと?」
その答えとも言えない答えにディアは眉を上げて再度問う。
「えーとね、ディアさんの仮説だと神の力が行き渡って身体能力を向上させる訳でしょ?それって、力を使い続けたら最終的にはどうなるのかな?って思って・・・」
「なるほど。良い質問だな?」
サーシャの質問に合点がいったというようにディアはニヤリと笑い、組んでいた腕を前に突き出し、そしてそのまま暫く静止して見せた。
その動作に、もしかして手から何か出せる様になるの!?と思ったサーシャは目を輝かせて身を乗り出し、期待に満ちた吐息を吐き出して答えを待つ。
もし動物のように尻尾があればそれはもうブンブンと凄い勢いで動いていただろう。
「分からん。」
しかしそんな期待を他所目にディアは一言だけ言い放ち突き出した手を上に向けた。
「分からんのかーい!!」
期待外れの返答に、サーシャは思わず鋭いツッコみをして、乗り出した身を顔面から落ち葉のカーペットに言葉と一緒に突っ込んでいく。
ズザーっと小気味の良い音が鳴り響き、ディアの真前で止まった。
「ぷっ・・・。素晴らしいな。お笑いなら満点の所作だ。ほら、立ち上がれ。」
寄りかかっていた木から離れたディアは吹き出しそうになるのを我慢しながら、そう言って手を差し出した。
その手をいらないよ!と跳ね除けたサーシャは、ブスっとした顔付きで立ち上がる。
「いや、悪かった。だが、本当に分からないんだそれに関しては。何せまだそこまで力を使った者がいない。大抵は戦死してしまうからな。」
そんなサーシャを見て、一度深呼吸をしたディアは枝にかけてあった外套のポケットからハンカチを取り出してサーシャに渡しながら謝罪をし、分からない理由を話した。
その表情と声音には悲哀が多分に含まれており、ディアがこれまで幾度も戦場で能力者を看取ってきたであろう事を感じさせる。
「まあ、分かっていないが良い様にはならない事に違いはない。そもそもが人智を超えた力だ。もしかしたら使い続けた先で魔獣のような形になってしまうかもしれん。」
少しばかりの沈黙の後、自らが作り出した空気を変える為か、ふーっと息を吐き出してディアは言葉を続けた。
その衝撃の言葉にサーシャはさーっと顔を青ざめさせる。
「え、何それ怖っ!?絶対嫌なんだけど!?てか神様の力なんだから神様の姿であってよせめて!」
「神がいた時代なんてもう何万年も前の話だぞ?御伽話に描かれてある物なんて誰かの想像でしかない。故に、その姿が魔獣の様であってもなんらおかしくはないんだよ。」
「まあ、それは確かにそうだけど・・・でも嫌だよあんな姿になるなんて!」
「ならば、祝福なんてものは使わない様にするべきだな?さ、その為にも特訓を始めるぞ。時間はない。お前には早く今の身体能力を使いこなして貰わねばならんからな。」
いーっと歯を見せながら抗議するサーシャを嗜め、ディアは一つ隣にあるレース会場の様な場所に移動した。
サーシャもディアに着いて行き、所謂スタート地点の様な地面にロープが張ってある場所に立つ。
そこから目の前を見ると、ずらーっと木々の間をロープで結んだコースが目に飛び込んでくる。
しかし、それは何も一直線という訳ではなく、所々急カーブがあったり木の間隔が狭くジグザグになっていたり、木の根によって地面が盛り上がっていたりと、普段から森で遊び慣れているエルフでも手古摺りそうなつくりになっていた。
即席のものとは思えないそのコースにおおっと息を漏らすサーシャは、これなら今の身体能力を使いこなせる様にするにはちょうどいい!と心の中でファイティングポーズをとる。
「待て。」
「ぐえっ!?」
その勢いのまま、よーし!と鼻息を荒くして走り出そうとしたサーシャはしかし走り出すことが出来ず、その勢いのまま足を宙へと放り投げた。
何事!?と後ろを見るとディアが服の襟を掴んで仁王立ちをしている。
そこでようやくサーシャはディアに静止を喰らったのだと気付く。
相変わらずその細腕からは考えられない力で静止を受けたサーシャの足は地面から百八十度離れた所で上昇をやめ、その後どさっとかかとから落ち葉のカーペットに不時着した。
そんなサーシャの首根っこを掴んだままディアははぁーっと嘆息し、
「ただ走る訳がないだろう?」
やれやれと首を振ってそう言った。
「そんなのわかる訳ないでしょー!そうならそうと説明してよ!」
両手足を投げ出してまるで子猫のような状態でサーシャは反論する。
「説明する前に走り出そうとしたのは誰かな?」
「はい・・・アタシです・・・。」
しかしそんなサーシャをディアは正論で突き返し、あっという間に即落ちのお笑いが完成した。
ディアはもう一度嘆息した後、掴んでいた襟を離して歩きだし、スタートラインを二歩踏み出した場所で振り返ると、
「で、ここでする事だが、簡単に言えば俺との追いかけっこだ。俺に追い付けばお前の勝ち。俺が先にここと同じ、地面にロープが張ってある位置まで辿り着けば俺の勝ちだ。ルールは特にない。木々に張ってあるロープの中であれば何をしてもいい。勿論妨害もありだ。質問はあるか?」
「今、何してもいいって言った!?本当に!?」
サーシャの目がその言葉にギラギラと燃え上がる。
その瞳はここ数時間やりたい放題やられた恨みを今ここで晴らさんと燃えあがっている様にディアには思えた。
しかしそんな事は意にも介さず、
「あぁ、いいぞ。では、スタートだ。」
ディアの口からスタートが告げられる。
サーシャの燃え上がる瞳に、光が灯らない瞳をチラリと向け、少し笑ったかと思うとディアが走り始めた。
まだ土埃を払っていたサーシャを置いて走るディアは瞬く間にその姿を小さくしていく。
「ちょっ!早くない!?ってもうあんな所に!?待てー!!!!!」
唐突に走り出したディアは難しいコースを全身を使って難なく走り抜け、気付けば既に五十メルトー程の距離が空いている。
そんなディアの恐ろしい速さに、このままじゃ追い付けなくなる!とサーシャもその後を慌てて追う。
やっぱり、力が強くなっている今の身体を上手く制御できない。サーシャは普段とは違う自身の身体にそう思いながらも翻弄されながらも、なんとかもう殆ど姿を視認できないディアを逃すまいと追いかける。
(後三日、その間に何としてでも力をつけなきゃ。待っててね皆。絶対助けるから!)
そんな思いを胸にサーシャは手足を全力で動かした。
しかし、そんな思い虚しく一度目の追いかけっこはサーシャの大敗で終わる。
自身の身体の使い方すらおぼつかないサーシャにとって、それは赤子が初めて立ち上がるのとなんら変わりない難しさを誇っていた。
そして、それから二日が過ぎた。




