第七話 【待ち受けるのは絶望】
「なんじゃ・・・これは・・・?」
そこに待ち受けていたのは、茹だるような熱気と眼前に聳える巨体だった。
身長百六十セーチメルトーのオルセデスの五倍はあるだろうか?
惨状と化した戦場を想像していたオルセデスを裏切り、いっそ悍ましいほど静かに出迎えたその巨体は待っていたと言わんばかりにその足をゆっくりと後ろへと動かす。
瞬間、オルセデスの頭頂部に生暖かいナニカが滴った。
ぽたり、ぽたりと一定のリズムでオルセデスの頭を濡らし続けるそれは止まる事を知らず、やがてそれは頭頂部から額、頬へと伝っていく。
その正体を確かめようと自身の頬をオルセデスがゆっくりと指で拭い、掌を瞳の前へと持っていく。
そこに付いていたのは、いっそ残酷な迄に鮮明な赤。
その赤色は瞬く間にオルセデスの思考を支配し、その額に青筋を浮かばせる。
「あぁ・・・あああ・・・ああああああああ!」
残酷な赤色に呼応して正反対の青い筋を額に浮かべるオルセデスを他所に、ロフマンが震え声を上げる。
その視界に映っていたのは、巨体の左右の手に握られた五名の同胞の姿だった。
右の手に二人、左の手に三人、いずれも四肢をあらぬ方向に曲げてぐったりしている同胞の姿にロフマンは思わず後ずさる。
そんなロフマンに喝を入れる様に、
「何をしておる!!防御魔法展開急げ!!」
「はっ・・・!はい!」
オルセデスの怒号が響き渡る。
そんなオルセデスの声で正気を取り戻すロフマンはすぐに詠唱待機させていない方の左手を突き出し防御魔法の詠唱を始める。
ヴォルグが発動させた時間の半分程の時間でロフマンは防御魔法を展開させ、光の盾が二人を包み込む。
「我は咎人、天の炎に身を焼かれ、浮かび上がるは傲慢の字、燃えろ。燃えろ。この身燃え尽きるそのっ・・・!?」
その間に待機させていた詠唱とは別に決して短文とは言えないその詠唱を恐るべき早さで唱えるオルセデスが両手を突き出し、二つの魔法を混ぜたより強力な混合魔法をその手から射出———する筈だった。
しかしその詠唱は、崩壊していく光の盾によって阻まれる。
ほどかれる様に少しずつ光の欠片となっていく防御魔法に目を見開く二人を魔獣の顔が覗き込む。
その蔦だらけの額には悍ましく光る一本角があり、その一本角に光の欠片が飲み込まれていく。
「くそったれが!!!」
オルセデスがその光景を見て舌打ちをしながら詠唱待機していた初級魔法だけを発動する。
しかし、待機させていた初級の雷魔法では威力が足りなかったのか、魔法は魔獣の蔦に吸収されて霧散してしまう。
「魔獣も進化しておる、ということかっ・・・!」
その光景に歯軋りするオルセデスはすぐに先程の詠唱途中だった魔法の詠唱を再開させた。
若かりし頃、詠唱王と恐れられ数多の戦場を無敗で駆け抜けた魔法使いとして名高いオルセデス・ロングレイス。
若かりし頃にこそ劣るものの、その恐るべき詠唱速度は、短文なら即時、長文なら一秒、超長文でも三秒で唱えられる。
その自慢の詠唱速度で中級火炎魔法のアルグリアレーゼを超高速で完成させたオルセデスは右手を魔獣へと突き出し、その掌から炎の円球を放つ。
炎の円球は轟音を立てながら眼前の魔獣へと近づき、やがて爆散した。
しかし爆散したのは魔獣に当たったからではなかった。
魔獣に当たった後、爆ぜる筈だったその火球は魔獣の手前で防御魔法と同じく欠片となって散り散りになってその一本角に吸収されていく。
「ちっ・・・!ならば!」
魔獣に魔法攻撃が効かないと分かったオルセデスは額に汗を滲ませながら次の一手を打つ為の予備動作へと移る。
しかしその行動はオルセデスが予想だにしない魔獣の攻撃によって妨げられた。
「長老ぉぉぉぉぉぉぉお!!!!!!」
ロフマンが叫び、オルセデスの前に飛び出す。
刹那、ロフマンの身体がオルセデスの後ろへと吹き飛ぶ。
オルセデス達を襲ったのは先程オルセデスが放った筈の火球。
その火球があろう事か魔獣から放たれ、ロフマンに直撃したのだった。
「ロフマンんんんんん!!!!!」
老体に鞭を打ち、オルセデスが急いでロフマンの元へと駆け寄る。
壁にぶつかり、ぐったりとその場に倒れ込んだロフマンの身体をオルセデスは片膝立ちになり、出来るだけそっと触れて起こした。
だらりと手を投げ出し仰向けになったロフマンの身体は酷い有様だった。
火球の直撃を受けた胸からお腹にかけての服は焼けて無くなり、そこから見える皮膚は火傷を負って赤黒く爛れて痛々しい。
呼吸もとても浅く、喉が焼けているのだろう。ヒュー、ヒューと気道が狭まった音が鳴っている。
「なんて馬鹿なことを・・・。我は天の使い、我が身を通し、神の奇跡を今ここに。ノア・ルミエーラ。」
顔を歪ませるオルセデスが急いで回復魔法をかける。
詠唱が終わり瞬く間に千草色の光がロフマンを包んだのを確認したらオルセデスは魔獣の方をチラリと見やった。
(何故止まっておる・・・?)
しかしオルセデスの警戒などどこ吹く風といった様子で魔獣はその場にとどまっている。
その場で動きを止め両手に持ったエルフの遺体を観察する様に手を動かして見ている魔獣の口はぐにゃりと歪んでおり、まるで笑っている様にオルセデスの瞳には映った。
同胞の遺体を弄ばれ腑が煮え繰り返るような思いをオルセデスは抱くがすぐに切り替えてロフマンの方を再度見る。
「間に合ったか・・・。」
包んでいた光は消え、呼吸音も正常に戻っていたロフマンにオルセデスは胸を撫で下ろす。
「長老・・・ご無事でしたか・・・」
「喋るなロフマン!まだお前の身体は完璧には回復しておらん!」
薄目を開いて、掠れ声で喋るロフマンにオルセデスが声を荒げて静止をかける。
魔獣の動きを警戒しないといけない事もあり、初級回復魔法しかかけられなかったロフマンの身体は決して万全ではない。
もし今無理をすれば万が一があってもおかしくはない状態だった。
そんなロフマンの頭にそっと手を置き、
「安心せい。わしがあんな不細工、さっさと片付けてとびっきりの上級回復魔法をかけてやるわい。」
優しげな表情と声音でオルセデスはそう言った。
「相変わらず・・・嘘が下手な人だ・・・。」
手を離して立ち上がり魔獣へと歩き出すオルセデスの背中を見ながらロフマンは呟く。
心配させまいとしているのか、曲がった腰を少しだけ正し、魔獣に向かって歩いていく老人の背中はとても勇ましく、頼もしく見える。
しかしそんな頼もしく、勇ましい背中にすらあの怪物を倒すことは叶わないかもしれない。加勢しなければ。そんな思いをロフマンは抱くも、回復し切っていない身体は限界が近付き、少しずつその瞳はぼやけ始めていた。
少しずつ、けれど確実に薄れゆく意識の中、
「申し訳ありません・・・神のご加護があらんことを・・・。」
ロフマンはそう言い残し、その意識を途絶えさせた。
「さぁ、待たせたなバケモンめ。勝負じゃ。」
魔獣の前に戻り両手を突き出すオルセデスが啖呵を切る。
その声に、それまで手に持った肉の塊を見たり、その四肢を使って人形遊びの様な事をしていた魔獣が待ってましたと言わんばかりにニタリと口を歪め、オルセデスの方に目を向ける。
次の瞬間、魔獣はその手に持っていた肉の塊を投げ捨て、その右腕を振り下ろした。
しかし———
「馬鹿め!!ドルムズ・ソムニア!」
振り下ろした右腕はオルセデスに届く事なく、怒号と共に弾かれた様に宙を舞う。
「老耄と思って舐めてくれるなよ?これでもわしはエルフ族の長じゃ。」
ニヤリと笑うオルセデスが使用したのは無詠唱魔法。
エルフの中でも殆どのものが使うことの出来ない秘技だ。
通常、魔法は体内の魔素を詠唱をする事で大気中に存在する神の残滓の手助けを受けながら変質させ、魔力に変えたものを体外へ放出するという流れで行使されるのだが、この無詠唱魔法は、その支えとなる神の手助けを受けず、魔素を自らの操作能力だけで変質させて魔力に変えるというとんだ離れ業をしなければならない。
故にエルフの中でも使える者は数人しかいない。
そんな滅多にお目にかかることの出来ない秘技をオルセデスは惜しみなく使う。
先程右から左に払った右手を今度は逆方向に払ってみせると、オルセデスの左側、魔獣の右側の地面がみるみる内に盛り上がり、魔獣の腕程はある土の鎚が作り上げられる。
作り上げられた鎚はその後オルセデスの手の軌道をなぞる様に魔獣へと迫り、その悍ましい顔へと直撃した。
「まだまだ終わらんぞ!同胞の恨み、晴らしてくれる!」
オルセデスが叫び、直撃を受けよろけた魔獣に追撃を撃ち込む。
右から左から下から上から、容赦なく撃ち込まれる土の鎚に魔獣は対処する事が出来ず、その身体を丸め込んで守りに徹するしか出来ない。
「防戦一方、といった所かのう?しかし容赦はせん!これで終いじゃ!」
その様子を見たオルセデスは右手を高く掲げる。
すると先程まで槌の形をしていた土は魔獣の頭上で形を変えていき、瞬く間に槍の様なものが形成されていく。
魔獣の半分程の大きさとなったそれは断頭台の刃のように獲物に狙いを定め、静かにその時を待っていた。
しかし———
「ガハッ!」
その槍はオルセデスの息の音と共に霧散する。
先程迄手を掲げ、魔獣へ死の宣告を告げようとしていたオルセデスは、その身体を神殿の壁に打ち付けられて、否、縛り付けられている。
オルセデスの手足に絡みつくのは蔦で、その先を辿るとそれは魔獣の腕へと繋がっていた。
「くそっ・・・!これでは・・・魔法が・・・!」
オルセデスは自身に絡みついた蔦に身じろぎし歯軋りする。
魔法にはとある制約がある。
それは発動する際に手で方向を決めなければならないと言う事。
魔法はその性質上、魔素を魔力に変換するだけでは発動できず、放出する為の機関が必要なのだが人の身体の中でその微細な調整をするには脳から近い場所でないと難しく、かつ方向を定める場所に最適なのが腕だったので魔法使いは殆どの者が腕を通して魔法を行使する。
そんな重要な役割を持つ腕が封じられたオルセデスは羽をもがれた鳥の様なものであり、この先何が起こるかは想像に難く無い。
(くそっ・・・済まないロフマン、済まない術師達、済まない民達・・・!こんな事なら・・・こんな事なら、憎いとは言え、森の外の人間達と手を取っていれば・・・。済まない!)
身じろぎしながら無念を悔いるオルセデスへ、無慈悲にも魔獣は迫っていく。
一歩、また一歩とゆっくり歩いてくる魔獣の足音は死へのカウントダウンの様にも聞こえ、オルセデスに自身の運命を悟らせ、オルセデスは目を瞑った。
オルセデスの元まで残り八歩、七歩、六歩、五歩、四歩、三歩——
「なら、せめてお前だけでも道連れにするかのう・・・」
魔獣との距離が後二歩に迫ったところでオルセデスはニヤリと笑った。




