第三話 【少女の夢】
——痛い痛い痛い痛い痛い!
精神と身体を引き裂く様な痛みが少女を襲う。
その右脚には痛々しいまでの裂傷の存在。先程あの怪物に付けられたそれが絶望に身を任せる快楽をぶら下げて少女に笑いかける。
その甘美な誘惑を爪が突き刺さるほどに握りしめた拳で断ち切り、同胞を救う為必死に少女は瞳を動かす。
しかし、そんな決意虚しく同胞の姿は見つからない。
代わりにあったのは腰より上がないナニカだった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
少女の悲痛な叫びが雲一つない空に吸い込まれ、やがて消える。絶望は連鎖し、去来する。
そして今、新たな絶望が少女の眼前に迫り、覆い尽くした。が、その絶望は突如として動きを止める。
その指の隙間から見えた悍ましい顔は、笑っている様にも見えた。
まさかと思い少女は顔を上げるがもう遅い。
魔獣は一瞬の間に防御魔法の目の前へと移動し、新たな標的を蹂躙せんとその蔦だらけの腕を振り上げた。
次の瞬間、振り上げられた腕は地面へと突き刺さり絡みついていた蔦が脈動する。
脈動した蔦は腕から地面へと伸びていきその先を防御魔法の中に出現させた。
詠唱後ドーム状に展開され、鉄壁の防御を誇る防御魔法。その唯一の弱点は守ることの出来ない地面からの攻撃。それを看破した魔獣が的確に弱点を突いてきたのだった。
その予想外の攻撃に対処できた者は一人もおらず、魔法壁は内側から真っ赤に染め上げられた。
(そんなっ・・・そんなっ・・・先生、みんな?嫌・・・——)
「——嫌ああああああああああああああああああ!!!!」
瞬間、サーシャの意識は自身の声と共に現実へと引き戻される。
目を開けるとそこには木造りで出来た天井と一つだけ吊るされた魔刻灯、続けてサーシャが身体に視線を落とすと丁寧にかけられたふわふわな毛布が目に入る。きっと高級仕様なのだろう。肌触りがとても良く、生き物に包まれているように暖かい。
そこでようやくサーシャはこの場所で寝かされていたのだと理解する。
(いやなんで?)
自室とも教室とも違う場所で何故か寝かされている現状にサーシャの頭は混乱を極めていた。
そんなサーシャにとどめを指すように、
「やっと起きたか。」
聞き慣れない声が部屋に響く。
視線を向けた先にいたのは銀髪の髪を後ろで乱雑に結んで纏めた、鼻筋の通った顔をした男だった。
整ってこそいるものの、ぼさぼさの髪の毛やその隙間から覗く目の下の隈の濃さが折角整った顔を相殺し、間違っても美男とは言えない。
何より木の椅子に腰掛け、黒いシャツに黒いパンツの全身黒ずくめの姿で何かを練っている姿はまるで御伽話に出てくる魔女の様で、余りにも不気味だった。
そんな失礼な感想を一頻り抱き終えたあたりで先程の夢がフラッシュバックし、サーシャはその毛布を剥ぎ取ろうと腕に力を込める。
「——ぐっ・・・!」
しかしその動作は身体に走る電流によって遮られた。
身体全体が重い。まるで手足の一つ一つが大きな石に変わってしまったようにすら感じられた。
何度動かそうとしても思うように動かない身体に辟易しつつも、なんとか動かせる首をもたげ、サーシャは銀髪の男の方へと顔を向ける。
「あの・・・!!誰か知らないんだけど、先生達の事、知らない?アタシ、先生とみんなと逃げてる途中で・・・!でも途中で魔獣と出会って・・・!あっでも途中から覚えてなくて。アタシを運んでくれたの貴方だよね・・・!?近くにいたはずなの!ねぇ知らない!?」
言葉は支離滅裂。瞳の中の海は結界寸前。快活で可愛らしい相貌は苦痛に歪んでいた。
その全てがサーシャの焦りを表している。
みんなの無事を確認したい。無事じゃないならすぐにでも助けに行きたい。そんなサーシャの思いが言葉の節々から漏れ出ていた。
「エルフというのはやはり立派な種族だな?命の恩人に感謝する事もなく、名を名乗る事もなく、自らの聞きたいことだけを聞く。ご立派さに反吐が出そうだよ。」
しかし男は質問に答える事なく、鼻を鳴らして嘲笑を浮かべる。
そんな男の様子を見て質問に答えてよ!と言おうと口を開くサーシャに練っていた手を止め、人差し指を突き出して言葉を遮ると、
「まずはこれを飲め。人の心配をする前にまずは自分の心配をするべきだ。」
そう言って予め用意されていたコップに水を注ぎ、手に持ったすり鉢にスプーンを添えてテーブルに置いた。
「あの、でも・・・!今はそんな時間なくて!早くみんなの所に行か——」
「聞こえないのか?飲め。」
「だから——」
「黙って飲めと言ってるんだ!」
男は尚も聞かないサーシャに声を荒立てる。
突如として発された冷徹な男があげる荒々しい声音に思わずサーシャは口を噤む。
「いいか?今のお前にできることは自身の身体の回復だけだ。それ以外にできることなどない。それにもし仮に他のエルフ共が無事じゃなければどうする?お前が行くのか?その体たらくで?ハッ笑えるな。お前が向かったところでただその場に一つ死体を増やすだけだ。無謀を勇気と混同するな!」
続く男の言葉にサーシャは眉を逆立てた。
うるさい!そんなこと分かってる!でもみんなが!何も知らないからそんなこと言えるんだ!ふざけないで!悔しい!そんなこと言うなんて許せない!心に積もった言葉達は今にもサーシャの口から漏れ出そうだった。
しかし実際にそれが口から溢れ出る事は無かった。
悔しい。悔しいが男の言う事が全て正しいとサーシャは分かっていた。
だからこそサーシャは言葉を飲み込む。
それに何よりサーシャが一番許せなかったのは自分自身だった。
自分に力が無いからみんなを助けられなかった。その思いは今も尚サーシャの心に火傷の様な痛みを残す。
飲み込んだ言葉達は代わりに瞳から溢れ出した。必死に止めようと目を瞑るもそれは溢れ続け、絶えずサーシャの頬を濡らした。
「そんなのっ!そんなの分かってるよ!アタシに力がないなんて分かってる!でも、でも・・・!行かなきゃ・・・!行ってみんなを助けなきゃ・・・!みんな大事な人達なの!アタシの本当に大切な人達なの!!そんな人達を見捨ててここにいるなんて出来ない・・・!」
涙を浮かべるサーシャの瞳には大切なエルフの同胞の姿が映っていた。
同じ教室で学んだ生徒達は勿論、先生、街の人達、長老やその他の偉い人、みんなサーシャに良くしてくれた大切な人達だった。
その人達が今尚、危険な状況にあるかもしれない。
そんな状態で自分だけ呑気にベッドで寝ているなんてサーシャには出来なかった。
「だから・・・!どんなに無謀でも、力がなくても、行きたいの!助けに行きたいの・・・!」
「はぁ・・・。そんな格好でか?随分と勇敢な事だな。」
「う、うるさい!これから動くもん・・・!」
そんな勇ましい言葉、考えとは裏腹に、サーシャの身体は未だベッドに括り付けられ、動けずにいる。
それをため息混じりに揶揄われ、思わず赤面して動こうとするサーシャを男は嘆息して止める。
「まあ、待て。お前の気概は認めるが、その身体で無茶をするのは見過ごせん。」
「それじゃあみんなを見捨てろって言うの!?」
「そうは言っていない。第一、お前が言うみんながお前の近くにいたエルフ共のことなら俺が既に助けて、安全な場所に移動を始めて貰っている。」
「え?そうなの・・・?なら早く言ってよ!」
「別に隠していたわけではない。それを飲ませたら言うつもりだった。」
そう言って男は顎をクイっと動かしサーシャのそばに置いてあるすり鉢の中に入った薬草の混ぜ物を指す。
「あ、そうだったんだ・・・。ごめんなさい。アタシ・・・皆んなが無事かばっかり気になって貴方の言う事聞こうともしてなかった・・・。」
節目がちに謝るサーシャに、ふん。と鼻を鳴らして謝罪に返答し、男は言葉を続けた。
「だが、俺が助けられたのはあくまでお前と一緒にいた奴らのみだ。その他のエルフ共はまだあの森の中に残っている。し——」
「!?じゃあやっぱり早く行かなきゃ!?」
「おい待て?先程の謝罪は嘘だったのか?」
まだ喋り途中の男をまたも遮るサーシャに男は嘆息し、その瞳を半分程にしてじとりと見つめる。
「あっいやっその・・・。聞きます。ごめんなさい・・・。」
一度は言い訳をしようとするもののその視線の圧に屈したサーシャはすごすごと引き下がり再度謝罪した。
「残っている者の安否なら問題はない。お前達を助ける前に奴らが結界の中にいる事は確認している。あの結界の中なら二週間は無事な筈だ。だから安心しろ。」
今日何度目かわからない嘆息をする男はやれやれと言わんばかりに首を振り、やはり冷静に言葉を紡ぐ。
初め、サーシャはその言い草に冷たい奴だとすら思っていたが、話していくうちにその考えは変わっていた。
きっと目の前の彼はアタシがより焦る事がないよう冷静に、冷静に言葉を紡いでいるのだとサーシャは思った。
冷静さを欠いていた時には気付けなかったが、男の静かな声音の中は仄かな暖かさが存在している事をサーシャの耳が感じ取っていた。
根が優しくなければ声音にそんなものは宿らない。きっと優しい人なんだろうな。そう思いサーシャは心の中で微笑んだ。
「何を考えているか知らんが勝手に人の事を分析するのはやめておけとだけ言っておこう。さて、お前が起きた今俺がここにいる理由はない。時間もない事だ。俺は残ったエルフ共を助けにいく。お前はここで寝ていろ。」
まるで心の内を覗かれたようなことを言われ鳥が豆鉄砲を喰らったような顔をするサーシャを他所目に、男は椅子に掛けていたこれまた黒い外套を手に取り立ち上がる。
「待って!」
それを見たサーシャは男を引き止めようとそう言った。
「待たん。」
「っ!待って・・・ってばっ・・・!」
しかし男は一切止まる事なく扉へと歩いていく。
声だけでは彼を引き止められない。そう考えたサーシャは再度身体に力を込め、声を上げる。
しかしその身体はやはり思うようには動いてくれない。
足は鉛のように重く、腕は痺れて産まれたての子鹿のように震えるだけ。それでもサーシャは身体に力を込める事をやめない。
「んんっ・・・!動っ・・・けぇっ・・・!」
「おい待て何をしている寝ていろと言っているだろう!ただでさえお前の身体は力の反動でボロボロなんだぞ!」
その姿に男は慌てて振り返りサーシャの元に駆け寄る。
しかし少女は顔を真っ赤にして力を込める事をやめない。
「反動っ・・・?何のことか知らないけど・・・アタシはやりたい事があるの・・・っ!だから!」
「待て!本当に身体の神経という神経が引き裂かれかねん!やめろ!お前はある——」
「あああああああああああああああああっ!!!」
暴れているわけでは無い少女を抑え込む訳にもいかず、ただベッドに手をつき言葉で説得しようとする男の言葉を遮り、サーシャはその腕で布団を引っぺがし、上体を起こした。
その身体は滝の様に汗をかいており、行為の負担の重さを表している。
男はその姿に額に手を当てて天を仰ぐ。
「はぁっ。はぁっ。ねぇ、アタシもさぁっ・・・、連れてってよ・・・!」
「は?」
息も絶え絶えになりながら少女が述べた言葉の愚かさに額に青筋を浮かべながら男は威圧で返答した。
「アタシも行きたいの・・・!アタシも貴方と一緒に行ってみんなを・・・助ける・・・!」
その返答に変わらず愚かな答えをぶつける少女に男は今日何度目かわからない嘆息をし、
「まだ分からないのか?お前は足手纏いだ。後の事は俺に任せてお前はここで休んでいろ。残った奴らを助け次第お前も安全地帯に迎えるよう手配してやる。」
と怒気を混ぜて告げた。
「・・・嫌だ。」
しかし、サーシャは譲らない。
眉間に皺を寄せ今にもその青筋から血が吹き出しそうな男の顔を真正面から見つめ、その信念を突きつける。
「・・・アタシは、勇者になるの。」
男の目が見開かれる。
信念を迷わず突きつけてくる少女の姿が、かつてよく知った人物と重なって、思わず男は息を漏らした。
そんな男を他所目にサーシャは少しだけ目を伏せる、その瞳にはかつて自分を助けてくれた勇者の存在が映っていた。
「アタシは・・・勇者になりたいの。今日までずっとそう思ってきた。あの人に出会ってからずっと。けどアタシは魔法が使えないから森の外には出して貰えなくて、だから勇者になれる機会なんてなくて、それでも、あの人が小さな事でも誰かを幸せに出来る人は勇者だって言ってたから、アタシなりに出来る事をやろうって頑張ってきた。あの人が言う勇者であり続けようとしてきた。けどさ、自分の大切な人達の事も守れない奴がさ、勇者になんてなれる訳ないじゃん?大切な人が危ないのに何もしない奴が勇者になれる訳ないじゃん?アタシはなりたいの。大切な人達を守れるそんな勇者に、どんなに自分が無力でも諦めずに立ち向かえるそんな勇者に、誰かを守る為なら・・・自分の命を投げ出してでも戦えるそんな勇者——」
「やめろ!!!そんなものは勇者ではない・・・!そんなものは——」
——馬鹿のやることだ。
男は少女の思いの丈をぶつける言葉を遮り、最後にそう締め括ろうと声を上げる。が、その言葉は喉に引っかかって上手く吐き出す事ができなかった。
それを言ってしまえば、自身が軽蔑する者達と変わらない事を分かっているから。それを言ってしまえば、彼がよく知った人物の生き様を汚してしまうと分かっていたから。だから、男はそれを言えない。
言えない代わりに男は顔を歪ませた。
言葉を言えなかった代わりに出来た静寂の中に、男の歯軋りだけが響き渡った。
少しの間沈黙が流れた後、男は、
「勇者などやめておけ。そんなものはなんの得にもならない。勇者というのは、馬鹿な民衆が自分より優れた者を使い潰す為に使う言葉だ・・・。」
と、言えなかった言葉の代わりに自身の見解を口から溢した。
これまで男が見せたことの無いような苦痛に歪んだ表情を携えて。
「だったら、何?」
「は?」
その表情を見ても、その言葉を受けても、何も変わらないサーシャの言葉に男は掠れた声を漏らす。
「貴方がそんな表情をする位だもん、もしかしたら本当にそうなのかも。そう思うよ?けど、それはアタシが諦める理由にはならない。だって関係ないもん!アタシはなりたいの!あの人みたいに誰かを助けられるかっこいい勇者に!アタシがアタシに誇れるかっこいい勇者に!それが出来るなら!アタシは誰かにそう思われたって構わない!」
サーシャは満面の笑みでそう言った。
男の言葉を汲み取って、男の表情を読み取って、男の言うことを理解して、それでもサーシャはそう言った。
気付けば先程まで切れていたサーシャの息は、もう切れていない。
まるでその覚悟を示すかのように、正常に戻っていた。
「はっ・・・!ははは、ははははははははははは!」
その姿に、その言葉に、その覚悟に、もう男は笑う事しかできなかった。
生まれてから三十六年程経って、初めて男は心から負けたと思った。
正義を騙る馬鹿にも、自己を曲げようとせず結果、民を危険に晒したクソジジイにも、かつて旅を共にした少女にも、男は一度も負けたと思った事はなかった。そしてこれからもそんな事は起こり得ないと思っていた。
それを、二回りほどは違いそうな小娘に破られた。
しかし不快感は不思議と無かった。寧ろ心には心地いい清涼感さえある。そう男は思った。
「四日だ。」
一頻り笑った男はニヤリと口の両端を緩め少女を見据えた。
「四日だけ時間をくれてやる。」
急に大笑いをしたと思ったらしたり顔をし出した男をポカンとした表情で見つめるサーシャに、男は分かりやすく言い換えて繰り返す。
「その四日で使い物になると示して見せろ。勇者を目指すんだ。それ位出来て当然だろう?」
「っ!任せてよ!」
大笑いし出した辺りからずっと訳のわからなかった男が言った言葉の意味をようやく理解したサーシャは喜びの吐息を漏らし、即座に胸を叩いて返答した。
勢いが強すぎたのか咳き込む少女を見て男は微笑む。
「お前なら、本当になれるのかもな。」
「ごほっ!え?ごめん!なんて?」
自身の咳き込む音で男の呟きを掻き消してしまった少女は男の心内をまだ知らない。
男はなんでもない。とだけ返し、再度椅子に座ると
「所でいつまで俺が用意したこれを放置するつもりだ?早く飲め。」
未だ飲んでもらえることなく放置されている薬草の混ぜ物を指さす。
はっとした顔でそれを見つめたサーシャは男の顔を一瞥したあと即座にそれを口の中に流し込んだ。
瞬間広がる有り得ざる苦味とネバネバしたものがこびりつく感覚にサーシャは顔を歪める。
直後、エルフの森の端、ほぼ国境に位置する駐在所に悲鳴と笑い声が響き渡った。




