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落ちこぼれエルフが勇者を目指しちゃいけない理由なんてないでしょ!  作者: 潤瀬奏星音


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第二話 【目醒めの時】

 旧校舎から東の聖域に向けて歩き出してから数刻。

 サーシャ達は本来であれば大人から子供まで様々なエルフ達で賑わう西の街を歩いていた。

 しかしそこにはいつもの賑やかさは存在しない。普段は木製の正方形の家の前に立ち並ぶ露店は全て放置され、露店街を抜けた先にある広場やその先にある住宅街まで、人の気配は感じられず、香ばしいピアの香りを漂わせ、自慢の創作パンを木棚に置かれた木皿にびっしりと並べて、美味しそうだろう?買ってくかい?と声をかけてくれるバンダナが似合うおばちゃんも、ロングレイス大森林でよく採れるミミの実や、ぶんどの実を近くに寄ったらお裾分けしてくれて学校での疲れを癒してくれる果物水まで振る舞ってくれる果物屋のおじさんも、湖から取れる絶品の魚を釣りに行く時にたまに一緒に連れて行っては武勇伝を聞かせてくれる魚屋のおじさんも、長老の立像がそびえる広場で追いかけっこをしている子供達も、住宅街で洗濯物を干していたり、子供の帰りを玄関先で待っている母親や父親も、もうそこには誰一人として存在しなかった。

 その光景はもう幸せな日常に戻る事は出来ないんだと改めて生徒達に再認識させ、その表情を曇らせた。

 やがて一行は街を抜け木々が生い茂る森の中へと足を進めた。

 ロングレイス森林は自然を大切にするエルフの森と言うこともあり、木々の生い茂り方が通常の人里と比べてかなり激しい。結果、視界は不明瞭となっており一度目印もつけずに立ち入ってしまえばエルフであっても迷ってしまう程である。出来ることなら視界が明瞭な場所を進んでいきたい所だが、魔獣がいつ襲ってくるかわからない今、少しでも安全策を取りたいヴォルグは無茶を承知で聖域までの舗装路ではなく、森の中を進む事に決めたのだった。


「エルフィ?大丈夫?水が欲しくなったら言ってね?アルは?ちょっとしんどくなってきたんじゃない?顔に出てるぞー?ちょっとマシュー!それサリーの水でしょ!無くなったからって取っちゃダメだよ!」


 その最中、サーシャは持ち前の体力を武器に、生徒達の心身ケアを買って出ていた。その甲斐もあり、生徒達は悪路をなんとか歩みを止めずに済んでいる。

 ヴォルグはその様子を見てほんの少し安堵する。もし少女がその役を買って出ていなかった時のことを考えると、身の毛がよだつ思いだった。

 その位、常に気を張って途方もない悪路を歩き続けるこの行軍は、生徒達の心身を蝕み続けている。

 本来であればその役は先人である自身が請け負うべきなのだが、今はそうも言ってられない。

 先程まで北側で鳴り響いていた爆発音は今や、嘘の様に静まり返っている。それが指し示すのは、魔獣があらかたの蹂躙を終えたという事だった。

 勿論そのままロングレイス大森林を出ている可能性も考えられるが、恐らくそれはない。魔獣の特性上、まだエルフ達が多く残るこの森林を放置してどこかに消え去る事はヴォルグには考えられなかった。それどころか最悪の場合、魔獣達が聖域の結界に引き寄せられていれば、そこを目指す自分達が標的になる可能性は決して低くは無いとすらヴォルグは思う。

 なればこそヴォルグは全神経を集中させて周囲を警戒せねばならなかった。

 ほんの少しの異常も見逃さないように探知魔法を半径十メルトー内にかけ続け、少しの異音も聞き逃さない様にその長い耳に神経を集中させる。

 その為、忸怩たる思いではあるがサーシャにその役割を担ってもらう事にしたのだった。


 そんな事をヴォルグが思っている一方、サーシャは焦燥感を募らせる。

 思っているよりも早く生徒達の体力と気力の底が見えかけていたからだ。

 その事は無論ヴォルグも感じてはいたが、心身ケアの役回りを受け持ったサーシャ程、つぶさには感じ取られてはいない。だからこそサーシャにケアを任せて自身は周囲への警戒に務める判断を下していた。

 しかし生徒達の心身は、既に限界一歩手前の所まで来てしまっていた。

 舗装されていない道は生徒達の足に負担をかけ続け、行けども行けども変わらない景色は心を疲弊させる。つい先程迄サーシャの問いに何気なく応えていた生徒達の声音は歩数を増やすごとに疲労の色を増していた。

(まずい。これじゃ、誰かがその内歩けなくなる・・・!そうなる前に何か手を・・・!)

 サーシャは最悪の事態を防ぐ為、急いで列の前方に向かい先生の横に着いた。そして、聖域までの距離を聞こうとした所で——


——ドシャリ、と誰かが転倒する音が聞こえた。


「先生!止まって!誰か倒れたかも!」


「みんな!止まるんだ!」


 遅かったと血の気の引いた顔でサーシャは訴える。

 その訴えが終わるが早いかヴォルグは生徒達に静止の合図をして生徒達の行軍を止めた。

 脳裏に魔獣の襲撃の心配が過るが、そんな事を言っている場合ではない。ここで生徒を一人見捨ててしまえる程、ヴォルグは非道に染まった覚えはない。

 そんな事を思いながらも互いの意志を重ねた二人は急いで転倒音の出所であろう人だかりへと向かった。


「・・・っ!はっ・・・!めんっ・・・。俺っ・・・」


 人混みを掻き分けその中へと進んでいくと、そこには息も絶え絶えになりながら必死に謝罪をする栗毛色の髪のマシューの姿があった。

 限界まで音を上げず歩き続けたのだろう。その身体は生まれたての子鹿のように震え、その場に立つ事すら不可能だった。


「大丈夫だよマシュー!喋らなくていいから!ゆっくり息を吐いて!」


「済まないマシュー・・・。私の落ち度だ。いくら周囲に警戒を・・・いや、もっと君達の状態を考慮すべきだった。済まない。」


「ちがっ・・・俺が・・・っ!ごめん・・・!」


 最初に動いたサーシャがマシューの身体を支えて仰向けにし、それに続くヴォルグは自らの不手際を謝罪しながらも回復魔法をかける。

 そんな二人を見たマシューは瞳を潤ませながら謝罪した。

 サーシャもヴォルグも、マシューのその姿に自身を責めた。

 もし自分がもっと早く気づいていれば、もっと出来ることはあったんじゃないか?と途切れない後悔に脳裏を支配されかける。

 けれど、今は悔やんだって仕方がない。今出来ることを考えるべきだ。サーシャはそう思い言葉を発する。


「ねぇ、先生。一度どこかで休憩を挟もう?このままだとマシューだけじゃなくて、他のみんなもいつ倒れるか分からないよ。」


「・・・そうだな。分かった。みんな聞いてくれ!ここからもう少し歩けば湖がある。そこで少し休憩しよう。済まないがそれまでは我慢してくれ・・・!」


 今度こそ伝えたかった事を伝えたサーシャに同調したヴォルグは休憩を挟む事を決めた。その言葉の節々に申し訳なさを滲ませながら。


 休憩場所にヴォルグが選んだ湖は生徒達がいる場所より少し南にある勇者の湖〈フォール・ド・ヘロ〉と呼ばれる四方を森に囲まれる湖だった。

 そこはかつてエルフの森で大きな戦いがあった際に二人の勇者によって出来たもので、その水で沐浴させた子供は勝負強くなるという言い伝えが残っており、エルフの間では昔からよく知られる湖だった。

 生徒達は互いの事をよく見ながら、倒れそうなものがいればそれを支え、先程のような事故が起きないように努めた。

 やがて、森を抜けると湖畔に辿り着く。


「綺麗・・・!」


 そこに現れた幻想的な景色に思わずサーシャが声を漏らす。

 先程迄空を遮っていた木々達はやって来たものを祝福するように道を開け、その中央に鎮座する湖は夜空に散りばめられた宝石を我が物にする宝石箱のように光り輝いていた。

 普段夜間にこんな所に来ることがない生徒達にとってその湖は初めて見る物で、先程迄気を張り詰めていた生徒達も思わず息を漏らし、誰もがその光景に見入っていた。

 生徒達の顔には笑顔が戻り、それを見たサーシャとヴォルグは胸を撫で下ろし、ほっと一息をつく。

 そのタイミングが余りにも同時な事がおかしくて、二人は顔を見合わせて笑う。

 まるで魔獣襲撃など嘘だったかのように笑みを咲かす二人と生徒達。それは正に束の間の安息だった。

 その瞬間は、そこにいた一行がその日初めて心から笑う事ができた大切な時間で、そんな一瞬の安らぎを生徒達は心から噛み締めた。

 油断をした代償だ。そう言わんばかりに奴らがすぐそこまで迫っているとは露知らず。


 その異音に初めに気づいたのはサーシャだった。

 湖の畔の草が生い茂る柔らかい地面の上に腰を下ろし、またいつでも動けるようにと考えながら手持ちの水筒で手早く水分補給を済ませている最中にサーシャはその音に気付く。


「何、これ?何かを抉る音・・・?いや、地面を蹴る音・・・?」


 そこまで口にしたところで思い当たる。

 地面を抉るような力で蹴り上げる。そんな芸当ができるものはこのロングレイス大森林には存在しない。

 つまり、そんな事ができるのは・・・


「これもしかして・・・魔獣・・・!?」


「!?方角は!!距離は!!!」


 サーシャの声を聞いたヴォルグが直ぐに臨戦体制を取り、声を荒げた。


「方角は・・・十二時の方角・・・と、ごめん!もう一つは分かんない!距離は・・・まだ遠いはず!」


「みんな私の後ろに集まれ!早く!!」


 片方の方角を割り出したサーシャの声を聞いて直ぐにヴォルグは生徒達に指示を出し、詠唱を開始する。

ヴォルグの判断は的確だった。

 すぐに生徒達を自身の後ろに置き、襲撃の方向を絞った事も、詠唱の開始までの速度も全てが完璧だった。


「防御魔法展開!ローザ・ヴェルーガ!!」


 ただ、それを魔獣が上回っただけ。


「マシュー!!ケルディ!!!」


 サーシャの悲痛な叫びが上がる。

 その悲鳴の先で同胞二人の肢体は空中で真っ赤な花弁を咲かせていた。

 ドシャリッという音と同時に二つに裂かれた身体は、先程まで繋がっていたその傷口から生きていた証を垂れ流す。

 そんな二人を見た生徒達は正に阿鼻叫喚という様相で、魔法の内側は叫び声で満ちていた。


「みんな!落ち着け!私から離れるな!」


 その様子を見たヴォルグはすぐに生徒達に呼びかける。

 先程迄生きて、隣で話していた者達が今は物言わぬ屍となって横たわっている。そんな状況を目の当たりにして冷静でいろという方が無理だ。そんなことは分かっている。だが、それでも。(今は”俺”から離れないでくれ。」ヴォルグはそう願わずにはいられなかった。

 その位しか、防御魔法を展開するヴォルグに出来ることなどなかった。

 しかし、そんな願いは風に消える。防御魔法を破壊せんと迫る奴らの爪が起こした暴風によって。


「助けて!嫌だ!死にたくない!」


「俺達もあの爪で引き裂かれるんだ!」


「今すぐここから逃して!」


 魔法と爪が掻き鳴らす甲高い金属音のような音が鳴り響き、その異音は生徒達の心を容易に引き裂いて、その思考を混沌へと誘う。

 生徒達の思考は既に正常な判断を下せる状態ではなく、目の前の恐怖から逃げる事に必死だった。その先に待ち受ける悲劇など、意に介すこともできずに。


「だめっ・・・!みんなっ!出ちゃっ!ダメっ・・・!」


 すんでのところでサーシャが生徒達の暴挙を引き止める。その細腕と細脚に全神経を集中させ、エルフならざる身体能力を余す事なく使って。


「ダメだぁ!お前達っ!!頼む!行くなぁッ・・・!!!」


 しかし、それでも限度があった。

 サーシャはなんとか湖を正面に左手側の生徒達を引き留める事に成功したが、反対側、右手側の生徒達には、サーシャの手も、ヴォルグの呼びかけも届かず、その身を魔法の外側に出す事を許してしまった。

 刹那。新しく二つの死体がその場に転がり落ちる。防御魔法の中に再度響き渡る悲鳴。

 ヴォルグは目を伏せ、サーシャはその場にへたりと座り込んだ。

(ダメだ。このままじゃ、ダメだ。なんとかしないとみんな死んじゃう。考えなきゃ。考えなきゃ。考えなきゃ。考えなきゃ。)

 サーシャの瞳を暗い絶望が巣食い始める。その絶望はサーシャの思考を、視野を狭め、諦めの甘美に身を委ねろと囁いていた。

 しかし、だからこそ、そんな状況だからこそ、普段は絶対に考えつかないような間抜けな、狂っているようなその作戦にサーシャは辿り着く。


——そうか。アタシが囮になれば良いんだ。


 どうしようもなく見えた暗闇の中、唯一見えた光明。それはサーシャに備わる”エルフらしからぬずば抜けた身体能力。”

 その唯一の光は巣食っていた絶望を蹴散らし、希望を宿した少女の背中を防御魔法の外側へと押し出した。

 一歩、二歩と助走をつけるサーシャは三歩目で地面を蹴り上げ、疾駆した。

 自身のいた場所に舞った砂埃を置き去りにサーシャはエルフの墓場と化した大地を駆け抜ける。

(全神経を足に集中させろ!奴らの目が釘付けになるくらい走り回れ!)

 自らを囮とした作戦。その作戦を遂行すべく、サーシャは魔獣の周りをこれでもかと動き回ってみせる。

ぎょろり、ぎょろりと動く視線は、思惑通り、突如現れた邪魔者にまんまと釘付けになっていた。

(これならいける!)

 そう確信するサーシャは口元を緩める。その確信を足に込めて更に速度を上げ、振り下ろされる左前腕を右足に込めた力で身体を捻って回避。続く右前腕の攻撃には捻った勢いを使った跳躍で魔獣の懐に入り回避。そのまま魔獣の視線を防御魔法から逸らす為に森側へと駆け抜けた。


「す、凄い。サーシャ、凄いよ!落ちこぼれなんて、もう言えない!」


 その姿は生徒達の瞳にも希望を伝播させる。そこには、先程までの阿鼻叫喚と言った様相の者達はもういなかった。

 それ程迄に学院きっての落ちこぼれの活躍は凄まじい。

 唯一、ヴォルグだけは生徒に危険を冒させてしまった自身の不甲斐なさに顔を歪ませていたが、サーシャの思いを汲んで顔を上げる。


「みんな!今の内に安全な場所へ退避するっ・・・!」


 その瞬間だった。

 退避の為防御魔法を解き、生徒達の方を振り向いたヴォルグの瞳がそれを捉えた。

 それは先程サーシャが捉えた物のもう一方の異音の主だった。

 安全な筈だった眼前の湖が飛沫をあげ、噴水の様な姿を作り出したかと思うと、次にはその中から先程目の前で見た腕と同じ物が姿を現す。


「駄目っ!」


 同じくその光景を瞳に捉えていたサーシャは、叫ぶ。

しかし、その腕は無慈悲にも振り下ろされ、簡単に生徒の一人を手中に収めた。


「マルタっ・・・!嫌だあああああああ!」


 瞳に捉えるだけに留めていたサーシャはその先に待ち受ける悲劇に耐え切れず絶叫し、身体を反転させた。

 その僅かな綻びを魔獣は決して見逃さない。

 反転中に出来る、ほんの僅かな停止時間。その一瞬の隙を狙い、魔獣の右前腕がエルフの右足へと襲いかかる。


「ッガアアアアアアアアアアアアアア!」


 間一髪、攻撃に気付いたサーシャは身体を捻り、直撃を回避する。

 しかし、その攻撃を完璧には避け切れず、その鋭利な爪は少女な柔らかな肉を抉った。

 そこから、とめどなく命の雫が吹き出す。

 これまで受けた事のない痛みに目を白黒させるサーシャは、それでも同胞の姿を探すことをやめなかった。

(マルタは、マルタはまだ生きてる!?)

 ノイズが混じる視界を友を助けたい気持ちだけで晴らし、同胞の姿を捉えんと瞳を動かす。

 しかし、どこを探しても先程まであった筈の少年の姿がない。代わりに、その視界に収まったのは、魔獣に握られ、まるで噴水の様に鮮血を迸らせる胸より下しかないナニカだった。


「あぁああああああああああああああああ!!!」


 間に合わなかった。

 もし、自分に力があれば、落ちこぼれじゃなければ、”あの人”の様に強ければ。サーシャの心を後悔の言葉が埋め尽くす。

 サーシャはその時、初めて何かが折れる音を聞いた。 そして、その暗く染まっていく思考に呼応するかの様に、サーシャの視界に憎むべき魔獣の手が迫る。

 最早少女の心に避ける気力等あるはずも無かった。ただ、訪れる終焉をなんの抵抗も無く受け入れ終わるだけ。

 先程蹴散らした筈の絶望が、だから言ったでしょ?と笑いながらこちらを見ている気がした。

 眼前に迫る暗闇に身を委ねながら、サーシャは願う。


——もし、生まれ変われたら、その時は、神様にも負けない勇者になりたいな。そしたら・・・


 そこで、少女、サーシャ・グレースの心臓はその一切の動作を停止した。



——筈だった。

 そこで命の輝きを潰えさせる筈だったその少女は次の瞬間、ゆらりとその身を起こし、迫る蔦まみれの腕をその細腕で止めてみせた。

 そしてそのままその蔦まみれの腕にもう片方の細腕を添えて、捻り切る。


「オオオオオオオオオオオオ!?」


 魔獣の悲痛な叫びが湖に轟いた。


「サーシャ・・・?」


 それと同時、再度防御魔法を展開させ、生徒達を守りながらヴォルグが呟いていた。

 ヴォルグには理解不能だった。

 サーシャが身体能力に優れている事は当然知っている。しかし魔獣の剛腕を細腕一本で止め、両腕で捩じ切る程の力はなかった筈だ。それに今も魔獣を翻弄し地を舞うその足には先程まであった筈の傷が嘘のように消え去っている。ヴォルグには少女の身に一体何が起きたのか、幾度思考を巡らせても理解が出来ない。

 言葉にするなら奇跡。

 そんな事が可能なのは古来より言い伝えられる神々くらい——

——神々?

 そこでヴォルグの思考は止まった。代わりに、思い当たったその答えは口からこぼれ落ちる。


「まさか、祝福〈ギフテッド〉・・・!?」


 それを肯定するように少女は轟音を鳴らしながら大地を蹴り上げる。

 土埃を舞わせた疾駆の勢いを全て乗せた強烈な張り手は痛みに打ち震える魔獣に打ち込まれ、他のエルフと同じく百五十セーチメルトー程しかない身長の五倍はあるその巨躯をいとも簡単に吹き飛ばした。

 それを見届けるが早いか今度は膝を沈めてその反動を糧に跳躍。

 その身を星々が見守る宙へと投げ出した。

 月に重なるその姿はまるで空を飛び回る御伽話の妖精のように美しく、魔法に守られた生徒達はその姿に思わず息を呑んだ。

 宙を舞う美しき妖精は、その身を一度捻ったかと思うと空を蹴り上げたように急降下、その間も身体を捻らせて回転し、その勢いのまま防御魔法に釘付けだったもう一方の片腕の蔦をドリル型に巻き付けた魔獣の脳天に渾身の蹴りをお見舞いする。

 凄まじい轟音と水飛沫と共にその巨躯を水に沈めた魔獣の後ろで蹴りの余波を受けた水面が新たに産まれ落ちた神童を歓迎するように真ん中からパカリと道を開ける。

 出来た道の中をまるで踊り子の様に舞いながら殴打を繰り返す少女はまるで古来から伝わる神話の神様のようで、その場にいる誰もがその姿に魅入っていた。

 やがて魔獣の動きが完全に停止した所で少女は上半身を捻り右拳を腰に、左手を右拳に添えて瞑目する。

 暫しの静寂が流れた。

 風も、波も、動物達も、全てのものが音を止めているその状況ははまるでその場に存在する全ての事象が少女の産み出す勇者譚の一幕を固唾を飲んで見守っている様にも感じられる。

 時間にして一瞬。機は熟した。そう言わんばかりに少女の目は見開かれる。

 瞬間、ヒュンッと風切り音がなったかと思えば次にはドパンッと衝撃音が響き、気づいた時には魔獣の身体は爆ぜていた。

 誰もそれを視認する事は叶わなかった。

 気付いた頃には少女はまるでそれを語るべくもない些事だと言わんばかりに音を置き去りに拳を叩き込んだ後だった。

 そのまま少女は砕け落ちる魔獣の残骸を尻目に、先程自身が吹き飛ばした魔獣へと歩き出す。

 次の標的となった魔獣は同胞を瞬く間に蹂躙してのけたその少女に恐れをなしたのか重心を下げ、後退りをする。

 このままいけばサーシャが確実に勝つ。誰もがそう確信していた。

 しかし防御魔法を越え、しばらく歩いた辺りで少女は突如としてその動作を停止する。


「サーシャ・・・?おいどうしたサーシャ!?」


 突然の挙動にヴォルグは思わず声を上げた。様子がおかしいのは誰の目にも明らかだった。

 原因を探ろうと少女の身体を見やると、先程まで汗一つかいてなかったその肌に大量の滴が浮かび上がってくる。

 その滴が数滴、大地に吸い込まれたところで少女の呼吸は突如として激しさを増した。

 喘鳴音を掻き鳴らし肩を激しく上下させる少女はヒュッと喉を鳴らすとその場に膝から崩れ落ちる。

 その姿を見た魔獣は大きく口を開け、その生臭い息を吐き出した。まるで絶好の機会だと言わんばかりのそれはその場にいる者の全身を粟立たせた。


「サーシャ!起きろ!サーシャ!立ち上がってくれ!頼む!!」


 ヴォルグは必死に叫ぶ。しかし、少女は起き上がらない。


「頼む!!起き上がってくれサーシャ!!!サーシャ!!!!!!」


 少女は起き上がらない。


「頼むサーシャ!私は、”俺”はお前まで失いたくない!!起き上がってくれぇっ!!!!」


 尚も少女は起き上がらない。

 その間にも一歩、また一歩とサーシャに近付く魔物は着々と距離を詰め、あと数歩も歩けばその肢体に爪が届く距離まで来ていた。

 しかし防御魔法を貼り続けるヴォルグには何も出来ない。

 この魔法を解けば確かにサーシャを助けられるかもしれない。だが、同時にそれは他の生徒達を見殺しにする事と同義。

 本音を言えば今すぐにでもサーシャの元に走りたいとヴォルグは思っていた。

 しかし、そんな非道な決断をする事を教師である自分は許さない。

 それに何より、そんな決断をしてしまえるヴォルグをサーシャは絶対に許さないだろう。

 寧ろ笑顔で「アタシの事はいいからみんなを助けて?」なんて言ってのけるのがサーシャ・グレースという少女なのだとヴォルグは知っていた。

(クソッ!どうすればいい!どうすればいいんだ!?神よ頼む!!!俺の命ならいくらでも捧げる!だから!だからサーシャを!サーシャをどうか!!!!!!!)

 魔法を解く事が出来ないヴォルグはせめてもの気持ちで祈る。

 しかし、その祈りは届くことなく、遂に魔獣の魔の手は彼女に迫り、その身体に触れようとしていた。


「やめろおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 もうヴォルグには叫ぶ事しか出来ない。


「・・・?」


 そこでヴォルグは異変に気付いた。

 彼女の身体に届こうとしていた筈の魔の手が、その場から忽然と姿を消している。

 そのおぞましい身体ごと。周囲を見渡した所でどこにもその姿はない。

 代わりにその瞳が捉えたのは——。


「だから言っているのだ。こんな物は呪いでしかないと。」


——小言を呟きながら宙に浮く、一人の銀髪の男だった。


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