第43話 ワールドイズオールエンターテイメント(世界の全てを楽しもう!)
side:WIAE社
廊下に、慌ただしい足音が響く。
どたどたと、焦りを隠す気もない足取りで一人の職員が社内の奥へ走っていく。
そのまま突き当たりの一室――
雑な字で『カイラの作業部屋』と書かれたプレートの下。
ノックもそこそこに、扉が勢いよく開かれた。
「はぁっ、はぁっ……!」
中にいたのは一人の女。
フルダイブ機器に半ば沈むように身を預け、毛布とも資料ともつかない物に埋もれ、見るからに生活能力を置き去りにした姿で眠っていた。
神野カイラ。
GEOのクリエイター兼ディレクター兼プログラマー兼デザイナー兼シナリオライター兼グラフィックデザイナー。
WIAE社において、最も扱いに困り、同時に最も逆らえない女。
通称――WIAEの爆弾娘。
「……おい、カイラ。起きろ」
「んぅ……」
カイラは、うっすらと目を開ける。
「ふぁぁ……どうしたんです社長……。あ、もしかして夜這いです?」
「今は昼だボケナス」
「ちぇ、冗談ですよ」
気の抜けた声でそう言いながら、カイラはゆっくりと身体を起こした。
長い髪はぼさぼさで、服も寝落ち前のまま。
だが、その目だけは、起き切るより先に妙な鋭さを帯びていた。
「で、何用です?」
男は一度、息を整える。
その顔には、疲労と緊張と、わずかな興奮が混ざっていた。
「……戴冠の試練がクリアされた」
「へぇー」
カイラは眠たげなまま、近くの机から開封済みの栄養ゼリーを取り上げる。
「何のです? 【百面】? 【渇望】? 【群雄】?」
「ジャガモースだ」
「ああ、ジャガモースですか」
ちゅう、とゼリーを吸いながら、カイラは軽く頷く。
「今の時期に倒されたってことは、可孵化ですかね――」
そこで、彼女の言葉が止まった。
「いや」
「可孵化までは、戴冠の試練じゃない」
「どう言う冗談です、まさか風化刹命が倒されたんですか」
カイラが顔を上げる。目つきが、変わった。
「そうだ」
社長がそう返すと、カイラは立ち上がった。
毛布が肩から滑り落ちる。
裸足のまま床を踏み、散らばる資料を蹴飛ばしながら端末の前へ向かう。
「どうやって……?」
呟く声に、微かな揺らぎ。
「リプレイあります?」
「ああ、準備できてる。三人パーティでの突入から、戴冠式まで全部」
社長がそう答えると、カイラの指が止まった。
「……三人?」
「アルヴィ、マイン、チュニドラ。登録名はその三名だ」
「へえ」
短く返す。
だが、その声音には先ほどまでの眠気が、もうほとんど残っていなかった。
端末が立ち上がる。
カイラは椅子にも座らないまま、画面へ顔を寄せた。
「……本当に」
「本当に風化刹命まで行ってる」
「すご」
その「すご」は、誰に向けたものでもなかった。
純粋な感嘆。
予想外の事象に対する、作り手としての素直な驚きだった。
社長は、少しだけ肩の力を抜く。
「見た感じだと、かなり綱渡りだった」
「綱渡りなんてもんじゃないですよ」
カイラは、戦闘を見ながら言葉を発する。
「紐なしバンジーですよこんなもの」
「褒めてるのか?」
「最大級に」
リプレイのすべてを、カイラは凄まじい集中力見つめる。
カイラの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「いいですねえ」
楽しそうに。
本当に楽しそうに、そう言った。
「見てくださいよ社長。ここ」
「このプレイヤー、完全に読んでる訳じゃない」
「でも理解が追いつかない領域に、発想で食らいついてる」
「で、仲間二人もその場で最適解に寄せてくる」
映像の中で、威間のブラフにジャガモースが意識を取られる。
その隙にチュニドラが叩き込む。
砂時計が加速する。
カイラが、小さく笑った。
「こういうのが見たかったんですよ」
「数値の暴力でも」「お手本どうりのプレイでも」
「テンプレ攻略でもなく」
「理解しようとして、足掻いて、読み合って、それでもギリギリ勝つ」
「これです。これ」
社長は腕を組んだ。
「お前、嬉しそうだな」
「嬉しいですよ、そりゃ」
「だってクリアしたんですよ? あれ」
カイラは映像を止める。
最後の場面。
風化していくジャガモースが、天を仰ぐところで。
しばらく、沈黙。
彼女はその静止画を見たまま、ぽつりと呟いた。
「ちゃんと、そこまで行けたんだ」
「……何だ?」
「いえ」
カイラは首を振った。
「ジャガモースって、設計上かなり特殊だったんです」
「攻略ボスっていうより、ある種の到達点みたいなものとして置いてたので」
「こいつを作るのに、私は色々感情を持ち合わせているって事です」
「だから、その全部にちゃんと付き合って、最後まで見届けたプレイヤーが出たっていうのは……」
少しだけ、息を吐く。
「作った側としては、かなりくるものがありますね」
社長は黙っていた。
珍しいことだった。
いつもなら茶々の一つでも入れるところだが、今はそれがない。
代わりに尋ねた。
「で、どう見る?」
「どう見る、とは?」
「想定内か。想定外か」
カイラは、少しだけ考えた。
今度は、設計資料を開いた。
冠する者一覧。解放条件。
進行到達率。
想定攻略人数。
推奨ビルド。
そして、未公開の調整メモ。
その中の一つ――風化刹命の設計意図メモを開く。
そこには、自分で書いた走り書きが残っていた。
『絶対に勝たせないつもりで作る』
『だが、勝てたならそれは本物』
『プレイヤーへの祝福になれ』
カイラはそれを見て、ふっと笑う。
「……想定外、ですね」
「だろうな」
「でも、嫌な想定外じゃないです」
「むしろ最高の方」
社長が一歩、端末へ近づく。
「他にも出ると思うか? お前の想定を越える連中」
「出ますよ」
即答だった。
「断言するんだな」
「します」
カイラは、ようやく椅子に腰掛けた。
背もたれに深く沈み、天井を見上げる。
「一人がやったら、二人目が出る」
「二人目が出たら、真似する人が出る」
「でも真似だけじゃ届かないから、そこから先はまた別の誰かが、別のやり方で越えてくる」
「プレイヤーって、そういう生き物なんです」
「開発が想定した最適解をなぞるだけじゃ、満足しない」
「想定外を通してくる」
「それが面白いんじゃないですか」
社長は苦笑する。
「お前、自分で難しくしておいてよく言う」
「だって、簡単にしたら面白くないでしょ」
「部下は泣くぞ」
「泣かせといてください」
即答だった。
社長が額を押さえる。
ああ、こいつは本当に変わらない。
だが次の瞬間、カイラの表情が少しだけ柔らかくなる。
リプレイの最後。
ジャガモースが消え、称号が付与されるところを見ながら、彼女は静かに言った。
「風化刹命はクリア不可能のレベルで作りました」
社長は目を向ける。
「彼に『風化刹命のジャガモース』に勝ってほしかったから」
その言葉は、矛盾しているようでいて。
カイラの中では、まるで矛盾していなかった。
「届かない高さじゃ、つまらない」
「でも、届くと信じられない高さじゃないと意味がない」
「本気で手を伸ばして、全部賭けて、ようやく触れられるくらいじゃないと」
「勝ったって感覚にならないんです」
そして。
彼女は画面の向こうのプレイヤーたちを見て、満足そうに細く笑う。
「私はプレイヤーを甘く見てたみたいですね」
そう言ってカイラは大きく伸びをする。
「さて、調整しましょうか冠する者全員」
ごき、ごき、と首を鳴らしながら、彼女は新しいウィンドウを開く。
社長が、嫌な予感しかしない顔をした。
「おい、待て。何をどう調整する気だ」
「上げます」
カイラの目は、完全に覚めていた。
いや、むしろ今この瞬間が一番生き生きしていた。
「あのレベルまで、やってくれますよ。プレイヤーなら」




