第36話 永遠に夢を見て、刹那に輝きを見出した:十
黒金の翼が唸りを上げながら、横薙ぎに振り抜かれる。
半歩だけ後ろへ引くと、頬のすぐ脇を凄まじい風圧が掠めていった。
そのまま攻撃が通り過ぎるのを待たずに踏み込み、続けて放たれた拳を紙一重で躱しながら懐へ潜ると、股下を抜けて一気に背後へ回る。
「――まだ」
荒い呼吸の合間に、そう呟く。
身体には確実に疲労が溜まっていたが、それでも思考だけは異様なほど冴え渡っていて、ジャガモースの翼が描く軌道も、攻撃へ移る際の重心も、こちらへ向けられる殺意の方向さえも鮮明に捉えられていた。
だから、まだ戦える。
少なくとも私は、そのはずだと思っていた。
「……?」
ほんの僅かに、世界の輪郭がぼやける。
次の瞬間には黒金の翼が迫ってきていたが、それまでなら当然のように追えていたはずの軌道が、妙に速く感じられた。
心臓が、嫌な音を立てる。
何かがおかしいと気づいた直後、視界の端へログが流れ落ちた。
その瞬間。視界の端。
ログが、落ちた。
《【英雄覇道】 終了》
「——は?」
表示された文字の意味を理解するまでに、一拍遅れた。
そして理解した瞬間、それまで全身を満たしていた異常な感覚が一気に消え失せる。
未来の動きを先になぞっているかのようだった視界も、相手の一挙手一投足を拾い上げていた感覚も、何もかもが一瞬で剥がれ落ちた。
「……あ」
その落差は、思っていた以上に大きかった。
正面から飛んでくる拳はどうにか身体を捻って躱したものの、続く攻撃を認識したときには、既に黒金の翼が目の前まで迫っている。
「――ッ!!」
感覚の差異が酷く動きに出る。
正面から来る拳を何とか避ければ。
次の瞬間には。
黒金の翼が、目の前にあった。
「――ッ!!」
遅い。
思考も、判断も、回避へ移る身体も、さっきまでの自分と比べれば何もかもが遅すぎた。
パリィを狙う余裕などあるはずもなく、咄嗟に影を伸ばして防ごうとするが、それすら間に合わない。
黒金の翼が、そのまま容赦なく振り抜かれた。
衝撃を感じるより先に音が消え、視界が激しく反転する。
空と地面が何度も入れ替わり、自分の身体がどちらを向いているのかさえ分からなくなった。
遠くから、誰かの叫び声が聞こえる。
「――」
音が、消えた。
視界が、反転する。
空と地面が、入れ替わる。
自分の身体が、どこにあるのか分からない。
誰かの声がした。
「アルヴィ!!」
ああ。
これは――まずい。
そう思った瞬間。
世界が、暗転した。
視界が、ゆるやかに焦点を取り戻す。
観戦視点だ。
ゲーム内にもかかわらず。
冷や汗が――止まらない。
★
side:チュニドラ
「――ッ!!」
視界の中央で、アルヴィの身体が勢いよく弾き飛ばされた。
何度も回転しながら地面を転がっていき、やがて完全に動かなくなる。
その光景を見た瞬間、何が起きたのかは嫌でも理解できた。
「……嘘だろ」
あのアルヴィが、こんなにもあっさりやられた。
だが、立ち尽くしている暇はなかった。
ジャガモースがゆっくりとこちらを向き、その瞳が次の獲物を定めるように私を捉えたからだ。
「……チッ」
私は舌打ちしながら前へ出て、盾を正面に構える。
「マイン!!」
「五秒でやります!」
返ってきた声には明らかな焦りが滲んでいた。
考えてみれば当然、アルヴィのあれだって時間経過で切れる。
なのにかまけた!
絶望的だ、でも――やるしかない。
「【完全なる一の直感】」
マインの声。
これをかけれるのは最初の一回限りだろう。
何でもいい。どうにかしても5秒稼いでやる!
その判断をした瞬間、視線をジャガモースの方に向けながら距離を取る。
来る。
そう思った瞬間には、もう遅い。
「――ッ!?」
次の瞬間。目の前。
黒金の翼が、既に振りかぶられていた。
速すぎる。
反射でジャストガード。
地面を蹴り、無理やり距離を引き剥がす。
次々と振りかぶってくる攻撃。
何とかバックステップを連発して回避する。
スタミナが消える!これ以上は無理!
再び振り下ろされる拳。
翼じゃない!なら
「――【光界】!」
盾を構え、真正面から拳を受け止める。
轟音とともに凄まじい衝撃が全身を貫き、展開した結界は一瞬で砕かれたうえ、そのままガードを貫通してダメージまで叩き込まれた。
それでも、死んではいない。
盾の表面を覆うように赤い紋様が燃え上がる。
「はっ――!」
受けた衝撃をそのまま利用し、私はさらに後方へ大きく跳んだ。
少しでも距離を稼ぎ、一瞬でも長く奴をこちらへ引きつけるためだ。
必要なのは勝つことではない。
マインが蘇生を終えるまでの時間を、ただ稼ぎ切ればいい。
★
マインが切り飛ばされた私の上半身へと駆け寄ると。
アイテム欄から最後の蘇生アイテムを取り出した。
「【星哭の雫】」
「先輩、お願いですから。勝って下さいよ」
小瓶の蓋を開け、その一滴を私死体へと垂らすと。
淡い光が、私の身体を包み込む。
視界が、薄れる。
次第に、輪郭が、蘇る。
手の感覚。足の踏みしめ。
意識が戻る。
「ごめん」
「はい。——それより」
本当に……マインが居てよかった。
「【完全なる一の直感】」
バフが切れている。
もうあんな風に耐久は出来ない……。
普通なら。
【星哭の雫】はスキルのCTすら回復する。
つまりCTが一週間の【英雄決断】すら再使用を可能にする。
当ててやる。
もう一度【英雄決断】を。
「【影纏い】」
影を走らせ、チュニドラを掴んで。
こっちに引き寄せる。
「だから、さっきからいきなり過ぎだろ!」
「文句言わない」
「マイン、あとどれくらいあのバフ使える」
「八回くらいです……」
私は視線を砂時計へと向ける。
「充分って言いたいわね」
そしてジャガモースの様子も見た。
「……あと何度、生き返る気だ?」
「あれがラストよ」
「おいちょ、それ言っていいのかよ」
「そうか、信じるぞ」
その言葉を皮切りに彼が肉薄する。




