最後のカーテシー
クロヌロア王立学園、西館二階。学生が集う食堂とは明らかに違う、プライベートコリドーをシルヴァンは彼の従者であるビンチョス、そして美しいストロベリーブロンドを持つ令嬢、マリアベルと歩いていた。靴底を包むモスグリーンの絨毯は王城と遜色なく、滑らかだ。
「では、マリアベルはこちらのサロンを使うのは初めてなのか?東屋で食事をとっていると聞いたが」
「淑女科では食堂を使って、ランチボックスを持ってきておりました」
大きめにとられた窓からは陽光が降り注ぎ、彼女のブロンドを揺らす。
「とても美しい建物で吃驚しております」
「そうか、残念ながらメニューは、王城から連れてきたシェフが作っているが、味は保証する」
「楽しみですわ」
王族の使う個室はこの先の奥まった場所にある。もうしばらくは、会話を楽しめそうだと思った時だった。
「久しぶりのサロンなのだから、もっと嬉しそうなお顔をなさったら?スルト騎士爵令嬢」
ぴたりと、マリアベルの足が止まる。ビンチョスが片眉を上げた。
「もう二度と入れないかもしれませんわね」
「お労しいですわ」
嫌らしい含み笑い、扇を閉じる音。
「扉が閉まりきっていないのでしょう。閉めてきます」
そう言ってビンチョスが歩を進めようとした瞬間に、マリアベルが自らの銀青の扇で止めた。
「わたくしが参りますわ」
角を曲がり覗き見れば、エリザベスの両側に女生徒が二人と、前を歩くベルオーク侯爵令嬢のオルガーニャが見えた。
「お声が大きいのではありませんこと?」
「え、ゴーディ様?」
慌てたように、オルガーニャ、スルツ伯爵家のエヌラ、が扇で口元を隠した。そして…。
「マギリア…」そっと覗いたビンチョスが、うんざりした顔をする。
「どうしてこちらに?いえ、マリアベル様こそ、今までエリザベスに迷惑を被ってらしたのでしょう。よろしければお食事をご一緒しませんこと?」
顔を伏せたエリザベスが、びくりと肩を揺らすのを視界の端で捉えると、マリアベルは持っていた扇で口元を隠した。瀟洒な衝立に身を置き、俺は様子を覗う。彼女たちの声を聞きつけて、現われた給仕にビンチョスは人払いを言いつけた。
「わたくしがなぜ、そのような愚の骨頂の会合に参加しないといけませんの?」
興味の欠片すらもたない口調で、淡々と言い放つ。
「え、でも…」
「顔を上げなさい、エリザベス・スルト!」
喝を入れるような、声だった。
「我がゴーディの血脈にこんな無様な者がいるはずがないわ、顔を上げ、その手を振り払いなさい!エリザベス!」
「な…なにをおっしゃ…」
エリザベスが、両腕を摑まえていたエヌラとマギリアの手を振り払った。
「言いたい事を言ってくれるわね、マリアベル…」
顔を上げ、睨みつける。
「言うに決まっているでしょう、従姉妹なのだから」
ふ、マリアベルらしい。オルガーニャが慌てて口を挟む。
「すでにスルト侯爵家は…」
「それが何?私とエリザベスが従姉妹同士なのは変わらないわ。スルツ伯爵家エヌラ、あなたも血筋は遠いとは言え、同胞でしょう。恥じなさい」
エヌラは震えるように持っていた扇を落とした。
「この事はゴーディ家より、追って抗議文をお出ししますわ。お行きなさい」
「は、はい」
マリアベルの一声で三人は足早に去る。エリザベスを残して。我々の姿を認めた三人は顔を伏せ、ビンチョスの従姉妹だけは、何かを言いたげに去った。
「誰のせいだと…」
「叔父様の…いえ、スルト侯爵家で止めなかった皆様のせいでしょう。あなた方はこれから、一生をかけて領民に尽くさねばなりません。だからと言って下を向き、諦めてしまうなんてらしくありませんわ」
「……っつ」
「わたくしの従姉妹は狡猾で、貴族子女としての矜持を持つ女性ですわ。ああ、後、お兄様が魔獣と舌を巻くほどの身体強化!」
今、何か聞き捨てならない事を聞いた気がする。
「な…っ」
「エリザベスの頭を押さえつけた時にわかったそうですわ。あれほどの力をなぜ隠すのかと」
「失礼なこと言わないで!」
顔を赤くして、エリザベスが声を上げた。
「失礼?ゴーディ領では誇るべきこと。剣を取りなさいエリザベス、一匹でも多くスルト領の魔獣を狩りなさい、あなたのへっぽこお兄様を鍛えなさい!」
「…ジル兄さまが…へっぽこ?」
「へっぽこでしょ、顔も腕もアイシュア兄さまの方が上だわ。だから、励みなさいな。あなたが変えるの、ジルニスもスルト領も」
ビンチョスと顔見合わせた。エリザベス嬢の身体強化もだが、へっぽこ…。口元に手をやり、笑いをこらえる。意味はわからないが、未熟さが余るジルニスには合っている気がする。
それにしても、気になる女性が別の男を褒めるのは気分が良くない。
「狡猾は言い過ぎだわ…」
「あら…そう?なら狡賢い?」
「同じよ…わたくし…スルト領に戻るの。あなたに言われたからではないわよ。遅かれ早かれ戻ろうと思っていたわ。今日はお別れ会だと言うから来ただけ」
「散々だったわね」
「あんたが言わないでよ、嫌みを言われても、もう一度ここに来たかったの、最後なら尚更」
ぽつりぽつりと話す二人にさっきまでの険悪さはない。
「…一緒に食べる?」
「ごめんだわ」
「わたくしが、今日乗ってきた馬車でスルトまで帰りなさいな。ミモリに行っておくわ、あれなら荷物も積めるし楽なはずよ…乗合馬車になんか慣れていないでしょ」
「何?施し?」
「ああ、もういい加減にしてエリー、従姉妹だからよ」
「……わかったわ。マリア。お母様のためにも借りるわ」
エリザベス嬢が振り返ると、衝立の側の壁に凭れる俺を見つける。
彼女はふっと、笑みを浮かべ、見事なカーテシーを俺に捧げた。
「息災で」
俺はそれだけを口にした。
エリザベス嬢は瞼を閉じ、小さく会釈をすると確かな足取りでサロンを後にした。
「リュミエール嬢がお待ちかも知れません。マギリアには後から僕が言っておきます、マリアベル嬢?」
「昔は遊んだ覚えもあります…いつからか…変わって」
淡い赤色の唇を噛み締めたマリアベルの言葉がと切れる。
「私とビンチョスは先に行こう。マリアベル、君は少し遅れて来たまえ」
「……はい」
ビンチョスと並んで歩く。気にはなるが、淑女の涙を見るのは憚られた。
「さっきのちょっと格好良かったですよ」
にんまりとビンチョスが口角を上げる。
「お前に言われてもつまらん」
「ふは、俺もです」
エリザベスside
プライベートコリドーを抜けた場所で、リュミエール様がミモリと歩くのが見える。端に除けなければと思ったときだった。
「エリザベス様」
低く、柔らかな声が私を止めた。顔を上げるとリュミエール様が驚くほど近くにいる。陰るほどの睫を纏う紫の瞳がわたくしを射止める。
「リュミエール様。何か?」
マリアベルは声が大きい。わたくしも感情に踊らされて声を荒げてしまった。聞こえていたに違いない。きっと何か言われるのだろう。
「これをあなたに」
差し出されたのは、マリアベルの色を纏う扇だった。新緑色の扇に房を飾るは赤い輝石。
「これはリュミエール様とマリアベルが交換をしたものでは?」
「ええ。でもあなたがマリアの言葉を忘れぬよう預けますわ。それに…わたくしには少し重いのです」
重い?扇が?受け取って持ってみる。あの子、なんで扇の骨にミスリル使ってんのよ…。
「何かあった際には叩いてやるといいですわ!そう言って渡されました」
くすくすと微笑うリュミエール様の声が耳朶を打つ。
「親友があなたの無事を望むなら、わたくしも望みます。お元気で」
「……ありがとうございます」
サロンを出て踏み出せば、ジリジリと肌を焼く日差しが、わたくしに降り注いでいた。日傘を差しかけるメイドはもういない。不思議と体が軽かった。
この時期が終わる頃、私は領地でどうしているのかしら?真実やかに海の災厄と言う名が聞かれるようになった。それを倒す乙女がいるとも。
「災厄なんかに負けんじゃないわよ、マリア」
踏みしめた足元からは、緑の匂いが立ち昇っていた。
お疲れ様です。
いつも読んで下さって、本当にありがとうございます!
彼女の退場はマリアベルの考えありきで作りました。
そしてカーテシーを受けるのはシルヴァンにしよう
これも決まっておりました。




