表の思い隠した想い
都心の一角に個人経営のパン屋が建っていた。
経営者の店長兼調理人は独身男性。ある店のデニッシュパンを食べた瞬間、美味しさに感動して店を建ててしまったという行動派だ。
パン屋の朝は早い。仕込みをしなくてはいけないので、暗い時間には調理場に立つ。
鳥も鳴かない。人が通ることもない。そんな静寂に包まれた時間。
眠い目を擦りながら仕込み作業をしていると、微かな光が窓にあたっているのに男性は気づいた。
月光や朝日ではない。電灯の明かりと気づいて窓を開ける。
目の前にあったのは壁と窓。灯りの源は新装開店したばかりの、隣のソフトクリーム店だった。
曇りガラスに映る人影が忙しく動くのを見て、男性はソフトクリーム店の店長だと気づいた。
ソフトクリーム店の店長は二十代くらいの女性。男性は開店した当初から、彼女を見て、若いのに個人経営で頑張るなと感心していた。
不意に、窓のむこうから声が聞こえた。
「タマゴがきれちゃった。あいつ使ったなー。ああ、もう! お店、開いてるかな」
男性はじっとしていることができずに、目の前の窓を叩いた。二度、三度。
むこうが静かになったかと思うと窓が開く。遠くで見ていた店長の顔が目の前に現れた。
「近くのお店は全て十時開店だから開いていませんよ。よかったら、これを使いませんか?」
全国をまわって見つけた自慢のタマゴを彼女に差し出す。
「えっ、いいんですか? このタマゴ、高そうですけど……」
「この際、値段は気にしないでおきましょう。自慢のタマゴです。逆に使ってくれたほうが、僕は嬉しいんです」
頭をさげた彼女は「ありがとうございます」と言って、窓を閉めて奥に消えた。
手際良く材料を掻き回す音が聞こえる。男性も負けじと仕込み作業をはじめた。
そんなことがあった次の日、接客をする男性の前に女性が現れた。
客としてきてくれたのだ。いつもとは違う普段着姿の彼女。男性は緊張したが、それは一瞬だった。彼女の隣に若い男性がいたのだ。
窓のむこうで言っていた「あいつ」がそうだったのだろう。独身男の淡い恋はあっけなく終わった。
相手は何も知らない。独身男の勝手な恋愛感情が生み出した、誰も認知しない失恋。
トレーの上に選んだパンをのせて彼女がくる。目が合うと笑顔を見せてくれた。
「タマゴ、ありがとうございました。いつもより美味しいって、お客様に大好評でした」
「それは良かった」
「このお店のデニッシュパンの人気の秘密がわかりました」
彼女に言われて男性はハッとした。思いついた途端、自分はとことんパンをつくることが好きなのだなと感じた。
「面白いことを思いつきました。聞いてくれませんか」
それは多分、未練がましい独身男性の懇願。それでも彼女は、
「面白そうです」と、笑顔で答えてくれた。
同じタマゴという材料でつくられたものだ。きっと美味しいに違いない。
互いに物をつくることが好きで生まれた合作。
恋は成就しなくても、せめて彼女と同じ美味しい物をつくるという想いで繋がることができたら。
男性の狙いは大当たり。都心の一角に行列のできる店が二件並んだ。
今では新商品デニッシュソフトクリームが、二つの店の目玉商品となっている。




