第7話 グリムウィック隊長
……ああ、最悪だ。
よりによって、こいつかよ。
「おやおや。まったく、驚きもしないな」
数人の部下を引き連れ、王国守備隊長レオニダス・フォン・グリムウィックが近づいてきた。
通称、マヌケ隊長。
ちなみに、そのあだ名をつけたのは俺だ。
我ながら、よく似合っていると思う。
「こちらから騒ぎが聞こえたので来てみれば、いつものように、レッドルークで最も人付き合いの悪いドブネズミが、その中心にいるではないか」
「これはこれは、マヌケ隊長。お会いできて光栄ですよ」
俺は、わざとらしい笑みを隠そうともしなかった。
案の定、あだ名を聞いた男の片目が、ぴくりと動いた。
「最後に会ったのはいつだったかな? 二週間くらい前か?」
「そうだな。私の部下がお前を最後に『事情聴取』へ連れてきたときだろう」
嫌味たっぷりの声だった。
「覚えているかね? もちろん、覚えているとも……」
青い瞳が、俺を射抜くように見据えた。
銀の小冠の下から伸びる茶色い髪が、真珠色の鎧を飾る鋼の肩当てに触れている。
胸の中央には、金色の獅子の紋章。
ほかの守備隊員たちも身につけているものだ。
隊長に倣うように、部下たちも俺へ殺気立った視線を向けていた。
剣の柄に手を添えている奴までいる。
「いやはや、あのとき部下たちが、お前にあまり手荒な真似をしていなければよいのだが。あいつらは尋問となると、少々……熱が入りすぎることがあってね。特に、ほかに仕事がない日などは」
隊長の嫌味に、部下たちがくすくすと笑った。
……覚えているに決まってるだろ。
あの日は、ずいぶん痛い目に遭わされたのだから。
事の始まりは、市場で病気の子供が薬を盗んだ事件だった。
俺はその子をかばった。
それだけのことだったのに、証人として連れていかれたはずの俺は、鼻を折られ、片目を腫らして帰る羽目になった。
しかも、当時は護身用の手製ナイフを持っていたため、多額の罰金まで科された。
レッドルークでは、守備隊か冒険者ギルドに正式登録していなければ、武器の携帯を認められていないのだ。
ミルトンが身元引受人として助けに来てくれなかったら、あんなに早く釈放されることもなかっただろう。
あの立派な隊長殿と、その取り巻きが取り仕切る守備隊とは、そういう組織だった。
社会の底辺にいる連中は、奴らにとって格好の餌食なのだ。
……もっとも、俺の場合は、つい余計なことを言ってしまうのも原因だろうけどな。
「いやいや、全然。あんなに親切にしてくれるほど暇な部下がうろついてるってことは、上の指導力に問題があるんじゃねえの?」
再び、隊長の片目がぴくりと動いた。
「この辺には、助けを必要としてる連中が山ほどいるんだぜ。暴力沙汰も、街の不良集団も、物乞い横丁じゃ日常茶飯事だ。もう少し何とかしてもらいたいもんだな」
俺は、にやりと笑った。
「まあ、都市国家の治安維持を任されてるマヌケ隊長なら、当然ご存じですよね?」
「グリムウィックだ! この生意気な小僧め!」
……おっ、ついにキレた。
俺は思わず、小さく笑ってしまった。
「……ごほん。失礼。つまり、守備隊は恵まれない者たちのためにも、できる限りのことをしている。だが、ノウ王子の安全と、主要な商業地区および住宅地区の保護が、我々の最優先事項なのだ。それが物事の道理というものだよ」
「ふーん。なるほどね」
「現に今も、住宅地区で起きた緊急事態へ、私の精鋭たちを派遣している。お前のお友達である冒険者ギルドの連中と一緒にな」
ジェラルドが慌てて報告してきた、アンデッドの件か。
「ずいぶん都合のいい話に聞こえるけどな」
俺は、ようやく口を開いた。
「誰を守る価値があると決めて、誰を見捨てるか選んでるんだろ? いつからあんたが王様になったんだよ?」
……少々、不謹慎な言い回しだったかもしれない。
王族に起きた悲劇と、その護衛の責任を主に負っていた人物を考えれば、なおさらだ。
あの失態の責任は、王国守備隊の指揮系統をたどれば、当然この隊長へ行き着くはずだった。
ところが、実際に責任を取らされたのは、隊長直属の部下の一人だった。
そのことは、俺もグリムウィックも知っている。
もっとも、本人の口から都合の悪い事実を認めさせるのは、至難の業だろう。
「では、こちらから聞こうか、レン」
隊長は、俺が言い返すより早く続けた。
「お前は、この街の平和と秩序を守るために、いったい何をしているというのだ?」
そして、わざと何かに気づいたような顔をした。
「ああ、そうだったな。自警団気取りであちこち走り回り、喧嘩を始めては通りまで騒ぎを広げているのだったか。自分に本当に価値のある異世界人たちと、肩を並べているつもりでな」
俺は、男を睨みつけた。
言葉が、嫌なところへ突き刺さった。
「能力もなければ、仲間もいない。おまけに、家畜の糞と焚き火の煙の臭いまで漂わせている。まったく、汚らわしい!」
隊長の罵倒は、容赦なく続いた。
「この世界の常識も知らず、街の平穏を乱し、その行いが周囲にどれほど迷惑をかけるかも考えない。そこにいる農夫を、よい教訓にすることだな」
俺は、荷車にぶつかってしまった商人へ目を向けた。
男は、台無しになった果物を前に、今にも泣き出しそうだった。
果物の多くは傷つき、通りかかった別の荷車に踏み潰されたものまである。
「おい、あれはただの事故だろ! 今の話とは関係――」
「――その老人は、明日開かれるノウ王子の盛大な誕生日の祝宴で、菓子に使う果物を宮殿へ納める契約をしていたのだよ」
隊長は、俺の言葉を遮った。
「しかも、代金は納品後に支払われる予定だったそうだ。城の料理人たちの話では、かなり高額の注文だったらしいね」
彼は、無精ひげの生えた顎を指で撫でた。
「つまり、お前の不注意は、守備隊長である私とその部下たち、城の料理人、そして王子殿下にまで迷惑をかけたばかりか、何の罪もない男へ経済的な損害まで与えたわけだ!」
厳しい目で俺を見据え、指を突きつけてくる。
「それは……」
俺は、気まずくなって目を伏せた。
……ちくしょう。
隊長の言葉にも、少しは正しいところがあった。
「まさか、お前にも反省するだけの良心があったとは驚きだ。しかし、どうせ責任から逃げ出すのだろう? お前のような連中は、いつもそうだからな」
隊長は、俺を言い負かそうと、さらに説教を続けた。
だが、俺はその言葉に縮こまるつもりはなかった。
「さて、いったいどうやって償うつもりなのかね? どうせ背を向けて、そのまま――」
「――おっちゃん、これ。受け取ってくれ」
隊長の言葉を遮り、俺は硬貨袋を取り出した。
コラグを倒した報酬として、ミルトンから受け取ったものだ。
ついでに、奴らの懐からいただいた硬貨も、残らず加えておいた。
「――逃げ出すのだろう?」
俺は、呆気に取られている農夫へ硬貨袋を差し出した。
男は、何が起きているのか、すぐには理解できなかったらしい。
隊長まで、口をぽかんと開けていた。
「……何の真似だね!?」
「責任を取るんだよ。あんたが言ったとおりにな」
俺は率直に答え、もう一度農夫へ向き直った。
「これで注文の代金を全部埋め合わせられるか、わからねえけど……。足りない分は、また金が入ったら市場地区まで持っていくよ」
そして、頭を下げた。
「本当に、悪かった」
自分が悪いときに、それを認められないほど意地っ張りなつもりはない。
……まあ、ものすごく間抜けな気分にはなるけどな。
それに、グリムウィックがこの農夫のことなんて、これっぽっちも心配していないのは、よくわかっていた。
だが、だからといって俺が奴の偏見どおりに振る舞い、満足させてやる義理もない。
「いやいや、いいんだよ、坊主……。別に、恨もうと思ってたわけじゃねえしな」
農夫の顔が、ぱっと明るくなった。
ひげの奥に、穏やかな笑みが浮かぶ。
……ふう。
「せっかくのいい果物が台無しになっちまったのは、残念だけどな。まだ残ってる分もあるし、明日の夜の祝宴までには、何とか足りるだけの品を揃えられそうだ」
通りすがりの人間が見れば、心温まる光景だったかもしれない。
しかし、グリムウィックの顔は、怒りで真っ赤になっていた。
俺にとっては、一週間分の飯代を丸ごと手放したようなものだった。
だが、自分の人間性を試されて、黙って引き下がる気にはなれなかった。
腹が鳴ろうが、知ったことか。
「ほら、隊長。もう恨みっこなしだってよ。俺も一つ勉強になったし、これでいいだろ?」
俺は、じろりと睨んだ。
「それで、まだ何か文句あんのか?」
「わ、私は……! そうか……」
隊長は、この件については言い負かされたと悟ったらしい。
部下たちの前で面目を失いたくないのか、無理やり笑みを作り、頷いた。
もっとも、俺だって調子に乗りすぎるわけにはいかなかった。
もし農夫が被害を訴え出るつもりだったり、俺の謝罪を突っぱねたりしていれば、立場が悪くなるのは俺のほうだったからだ。
許してくれたことには、素直に感謝しておこう。
「まあ、いい。私の言いたいことは変わらんよ」
レオニダス隊長は、普段の尊大な態度を取り戻した。
「いずれ、お前は必ず失敗するだろう、レン。そのときは、お前の主人であるミルトンにも守りきれまい。たとえ、今は彼の使い走りをしていたとしてもな」
彼は、重々しく頷いた。
「だから、時間を無駄にしたくなければ、二度と私や王国守備隊へ逆らわないことだ。我々の時間も貴重なのでね。理解したか?」
「よーく、わかりましたよ」
二度とあんたに絡まれるような隙を見せてたまるか、このクソ野郎。
「ああ、そうだ。ちょっと待てよ、隊長」
ミルトンの名前を聞いて、預かっていた仕事を思い出した。
しかも、届け先は目の前にいる。
ちょうどいい。
「こいつを渡すように言われてたんだ。重要な知らせだとか、何とか」
俺は書簡を差し出した。
そして、両手を頭の後ろで組み、ようやく隊長から解放されるのを待った。
追いかけていた男は、もうとっくに逃げてしまっただろう。
今は、宿かどこかの路地裏で、さっさと横になりたい気分だった。
配達のわずかな報酬は、明日ギルドの受付が開いてから受け取りに行けばいい。
「これは――! お前、まさか中を読んだのではあるまいな!?」
「何で読む必要があるんだよ?」
俺は、興味なさそうに肩をすくめた。
「あんたが俺をどう思ってるか知らねえけど、雇い主の仕事に、勝手に首を突っ込む趣味はないんだ。それに、俺の故郷じゃ他人の郵便物を勝手に開けるのは、立派な犯罪なんだぜ……」
そういえば、アメリカにいる母方の叔父が、それで一度逮捕されたことがあったっけ。
隣人宛ての銀行小切手を盗もうとしたのだ。
金額は、確か十一ドル九十三セント。
……人生を棒に振るには、あまりにも割に合わない額だったよな。
「ふむ…… ミルトンは、今になって王位継承協議会を始めたいというのか」
隊長は、独り言のようにつぶやいた。
「まあ、よかろう。すでに物事が動き出した今となっては、我々にとって大した違いはない……」
「王位継承協議会? 何の話だよ。独り言が多いな、隊長」
「残念だが、お前にはまったく関係のない話だ」
彼は鼻を鳴らした。
……だろうな。
「ただし、主人には伝えておくがいい。彼の提案は『承認された』とな。日時と場所については、学院長ともすでに話をつけているのだろう?」
グリムウィックは書簡を丸め、肩掛け鞄へしまい込んだ。
「あの二人は、昔からずいぶん仲がよさそうだったからな」
実践魔法学院の学院長、アルゴ。
北部地区にある学院を取り仕切る人物だ。
その魔法の腕前については、伝説じみた噂をいくつも聞いていた。
人間にしては信じられないほど年老いているらしく、長い白ひげと、つばの広い帽子を身につけているという。
俺の頭に浮かぶのは、絵本に出てくる魔法使いそのものだった。
性格も、とても温厚らしい。
もっとも、実際に会ったことは一度もない。
俺が学院へ行ったときは、入学受付までしかたどり着けなかったからな。
そこで門前払いを食らい、二度と学院の敷地へ足を踏み入れるなとまで言われた。
思えば、俺が嘘つき呼ばわりされ始めたのも、その頃からだった。
突然――。
轟音が響いた。
北の方角から、光る破片が噴き上がり、煙が空へ立ち昇ったのだ。
……あれって、まさか?
「実践魔法学院か!」
グリムウィック隊長が、俺の考えを口にした。




