第40話 学院への希望
そして、目を見開いた。
「……おい、これ、普通に読めるぞ!?」
俺は、驚いて顔を上げた。
「何でだよ!?」
「その本は、読む人の言語に合わせて、内容をわかりやすく自動翻訳してくれるんです」
シオンは、教えてくれた。
「ただし、気をつけてくださいね。魔導書は、普通の本とは違います」
彼女は、人差し指を立てた。
「内容を完全に理解できたかどうかにかかわらず、最後まで読み終えると、魔導書そのものが崩れて消えてしまうんですよ」
『壊したら弁償してもらうからのう、この悪ガキども!』
……婆さんの言葉が、頭の中に響いた。
「……あ、そうなの?」
俺は、ページをめくる手を止めた。
「グレイベル婆さん。『光の魔導書・第一巻』も、在庫はありますか?」
シオンが、尋ねた。
「悪いのう、お嬢ちゃん」
婆さんは、首を振った。
「魔導師連合からの新しい魔導書の入荷が、帝国との戦争のせいで遅れとるんじゃよ」
そして、不思議そうに尋ねる。
「じゃが、どうして二冊も必要なんじゃ?」
「どちらも、こちらの友人への贈り物なんです」
シオンは、俺を示した。
「信じられないかもしれませんが、彼には二つの属性適性があるんですよ」
「……二つじゃと!?」
婆さんは、驚いたように顔を上げた。
「間違いないのかい!?」
「ええ」
「ダニエル王がご存命だった頃以来じゃのう。そうじゃとも、あれ以来じゃ。なるほど、シオンちゃんがこの坊やをそこまで褒める理由もわかるというものじゃ」
婆さんは、感心したように俺を見た。
「なるほど。シオンちゃんが、この坊やをそこまで褒める理由もわかるというものじゃ」
「ふふ。そうでしょう?」
……いやあ。
急にあちこちで褒められるようになったのは、悪い気分じゃない。
ただ、俺に本当にそれだけの価値があるのかどうかは、まだよくわからなかった。
ほんの数日前まで、ゴミの中から魚の死骸やリンゴの芯を探していたんだぞ。
急に親切にされたり、褒められたりしても、そう簡単に受け入れられるもんじゃない。
「俺は魔法のことなんて、そこまで詳しくねえけどさ」
ゼロが、口を開いた。
「それでも、すげえことだとは思うぜ、相棒」
そして、楽しそうに笑う。
「ただ、ほかの連中の二倍は勉強しなきゃなんねえんだろ? そこは羨ましくねえな!」
「……え?」
「ゼロが言いたいのは、二つの属性を極めるためには、それぞれに時間をかけなければならない、ということですよ」
シオンは、説明した。
「アルファが闇と光の両方を使いこなしたとき、どんなことができるのか……少しは見たでしょう?」
彼女の顔が、真剣になった。
「しかも、あの男は、まだ本来の力を取り戻していません。これから何度も挑んでくるでしょうし、そのときには、私たちもできる限り強くなっておかなければなりませんね」
声には、苛立ちが滲んでいた。
シオンも、わかっているのだろう。
アルファは、遠くないうちに、必ずまた俺たちの前へ現れる。
……しかも、今度こそ仕返しするつもりで。
「だから、エンバーへ行くんだろ?」
ゼロが、尋ねた。
「シオンの魔力を、満タンにするためによ!」
「そのとおりです」
シオンは、頷いた。
「そろそろ、もう一度力を補充してもらう必要がありますからね」
彼女は、少し間を置いた。
「ただし、輸血を受けるときに、適合する血液が必要になるのと同じように、魔力にも相性があるんです」
そして、説明を続けた。
「魔力を他者へ分け与えられるのは、同じ属性適性を持つ者同士だけなんですよ」
シオンは、自分の胸元へ手を添えた。
「私の適性は、すべての属性の中でも最も珍しい、時空属性です」
彼女は、静かに微笑んだ。
「もう、自分では魔力を生み出せません。ですから、師匠のような、ほかの時の番人にしか補充してもらえないんです」
「……そりゃ、大変そうだな」
俺は、小さくつぶやいた。
少し、気の毒になった。
「気にしないでください、レン君」
シオンは、頷いた。
「自分で選んだことですから」
そして、明るい声に戻った。
「さあ、そろそろ行きましょうか。お昼ご飯の時間にもちょうどよさそうですし」
「おおっ! 待ってました!」
ゼロが、嬉しそうに声を上げた。
「グレイベル婆さん、魔導書のお代はいくらになりますか?」
シオンが、尋ねた。
「ああ、それかい?」
婆さんは、指を折りながら計算を始めた。
「東方独立諸国からの輸入税が上がったじゃろ。それに、需要も増えとるし、消えるインクも希少になっとるからのう……」
しばらく、頭の中で計算を続ける。
そして、にっこり笑った。
「銀貨換算で、二万ダーンじゃ。そうじゃとも!」
……はあっ!?
俺とゼロは、シオンを見た。
婆さんへ視線を移す。
そして、またシオンを見る。
……いやいや、さすがに断るだろ。
こんなの、親切に遠慮させてもらえばいいだけの話で――
「……ええ。はい…… もちろん、です……」
シオンは、財布から小切手を取り出した。
指先が、小さく震えている。
……目まで潤んでるんだけど!?
そのまま、カウンターへ小切手を置いた。
「おい、シオン。ちょっと待てって! 別に今すぐじゃなくても――」
俺は、慌てて口を開いた。
額に汗が浮かぶ。
「い、いいえ。大丈夫です……」
シオンは、鼻をすすった。
「さあ、行きましょう。私の気が変わる前に、早く……」
そして、婆さんへ頭を下げた。
「……ありがとうございました、グレイベル婆さん」
「気をつけて帰るんじゃよ、シオンちゃん! ああ、そうじゃそうじゃ。エンバーで師匠に会ったら、よろしく伝えておくれ!」
婆さんは、店を出る俺たちへ手を振った。
「エンバーで師匠に会ったら、よろしく伝えておくれ! まったくもう!」
……
「……改めて、ありがとな。あと、何か……値段が値段だったし、悪いな」
昼食を取る場所へ向かいながら、俺は気まずく礼を言った。
「酒場の給仕に負けたくなかったんだろうな、シオンは」
ゼロが、にやりと笑いながら囁いてきた。
「……こほん!」
シオンが、わざとらしく咳払いした。
「ちゃんと勉強してくれるなら、それだけの価値はありますから」
彼女は、俺とゼロの少し前へ駆け出した。
そして、くるりと振り返る。
こちらを向いたまま、後ろ歩きで続けた。
「それに……もうすぐ、レン君も学院の学生になるんですからね。ほかの学生たちと同じように、ちゃんとした魔導書が必要だと思ったんです」
彼女は、微笑んだ。
「普段の能力が常時発動型なら、なおさらですよ」
「……待て」
俺は、足を止めた。
「……はあっ!?」
そして、シオンを見つめる。
「今、何て言った?」
「あら。まだ話していませんでしたっけ、レン君?」
シオンは、何でもないことのように首を傾げた。
「エンバーで師匠にお会いしたら、学院長と五人評議会のほかの皆さんに、あなたの途中入学を認めてもらうつもりなんです」
そして、嬉しそうに笑った。
「実践魔法学院への入学を、ですよ。」
彼女は、両手を後ろで組んだ。
「ですから、今から心の準備をしておいてくださいね」
「……」
……準備ができてるか、だって?
そんなの、聞くまでもねえだろ。
胸の奥から、突然、期待が溢れ出した。
「……俺は」
思わず、笑みが浮かぶ。
「この世界へ来た瞬間から、ずっと準備できてたぜ」
そのあと、俺たちはさらに何か所かへ立ち寄った。
ミルトンからもらった報酬で、ようやくまともな服を買うことができた。
アシェン・ファングをしまうための鞘も、忘れずに手に入れた。
そして、リゼットのおかげで、昼食も豪勢なものになった。
いろいろな種類のパン。
紅茶。
サンドイッチの具材。
三人で、ゆっくりと食事を楽しむことができた。
……こうして、ようやく旅の準備が整ったのだった。
ゼン王国の次の統治者を決める、王位継承協議会。
名高い実践魔法学院の学院長との、直接の対面。
そして、これから目の前へ押し寄せるであろう、数え切れないほどの出来事。
この世界での俺の新しい人生は――
ようやく、第二章を迎えようとしていた。




