第31話 リヒター・スケール
その瞳に、怒りが燃え上がる。
だが、言い終えるよりも早く、足元の地面が大きく裂けた。
「――っ!?」
アルファの身体が、亀裂へ呑み込まれていく。
そのまま、深い地割れの底へ落ち、姿が見えなくなった。
「……ふうっ」
シオンは、両膝へ手をつき、安堵のため息を漏らした。
「もう! いつ戻ってくるのかと思いましたよ、この大馬鹿!」
彼女は、ゼロを睨んだ。
「いったい、何をしていたんですか!?」
「いやあ、言われたとおり近くに隠れてたんだけどさ」
ゼロは、顎を掻いた。
「そしたら、シオンが予想したとおり、あいつが現れたんだよ」
そして、俺へ目を向けた。
「二人きりになるのを狙ってたんだろうな。……しかし、本当に別のレンだったとはねえ」
「当然です」
シオンは、頷いた。
「あの男なら、まだこちらの準備が整っていない段階で、私たちを始末する機会を見逃さないでしょうから」
彼女は、少し得意げに続けた。
「もっとも、私が考えていた可能性の一つにすぎませんけどね。……それで、ほかには?」
「そのあと、嫌な予感がしたもんだから、酒場まで剣を取りに戻って、ついでにギルドにも助けを頼んできたんだよ」
ゼロが、後ろを振り返った。
すると、ミルトン本人が姿を現した。
しかも、冒険者ギルドの援軍まで引き連れている。
その中には、さっき酒場でゼロを応援していた連中も、何人か混じっていた。
アイアン・ガットの姿まである。
ミルトンの信頼する部下、ジェラルドも一緒だった。
「いやはや、シオン嬢。怯える乙女の役を、実に見事に演じていたね」
ミルトンは、節くれだった魔法の杖を手に、くすくすと笑った。
「君の師匠は、困難な状況でも機転が利くことで知られているが…… その点では、君もなかなか似ているようだ」
「……演技?」
俺は、勢いよく振り返った。
「えっ、ちょっと待て。どういうことだよ?」
……誰か、そろそろ説明してくれねえか?
頼むから。
「正直に言うと、あのときの恐怖は本物でしたよ」
シオンは、答えた。
「でも、アルファには、自分が私たちより優位に立っていると思わせたかったんです。そうすれば、彼が本当は何を求めているのか、確かめられるかもしれませんから」
彼女の表情が、少し曇った。
「……ただ、恐れていたとおりでしたね」
シオンは、俺を見つめた。
「アルファは最初から、あなた自身には、それほど興味がなかったんです。あの行動を見れば、わかります」
そして、説明を続けた。
「暗殺計画は、あなたが能力に目覚める前に、邪魔者として排除するためのものだったのでしょう。そうすれば、私のところへ近づく際にも、障害がなくなりますから」
彼女は、息をついた。
「でも、それが失敗してしまった。だから、焦って私たちの前へ姿を現したんです」
「……焦った?」
俺は、聞き返した。
「じゃあ、もう『王子』は安全ってことか?」
「少なくとも、このアルファという男には、もう王族を狙う動機がないかもしれないね」
ミルトンが、口を開いた。
「君の自己治癒能力が、すでに目覚めていると知ったわけだから」
彼は、シオンの推測を踏まえて考えているようだった。
「それに、凶器になるはずだった短剣も、今は君が無事に持っているんだろう?」
「……ああ」
俺は、手の中の短剣へ目を落とした。
アシェン・ファング。
こいつを失ったせいで、あれほどひどい目に遭ったのだ。
それが今、ようやく俺の手元へ戻ってきている。
……何だか、信じられねえな。
とりあえず、一つだけ決めた。
もう、ベルトに直接挟んで持ち歩くのはやめよう。
今度こそ、ちゃんとした鞘を買わなきゃな。
「ただし、『王子』が完全に安全になったという意味ではありませんよ」
シオンが、念を押した。
「王族は、すでに何度も暗殺の被害に遭っているんです。忘れてはいけません」
そして、声を潜めた。
「次の統治者を決める王位継承協議会が開かれるまでは、ノウエラ王女も本当の意味では安心できません」
彼女は、俺たちを見回した。
「だからこそ、協議会を無事に成功させることが、次の大きな目標になるんです」
「……なるほどな」
俺は、頷いた。
「でもさ、俺に罪を着せるのが、あいつの計画の本筋じゃなかったってんなら……」
シオンへ目を向ける。
「アルファは、本当は何が欲しかったんだ?」
「私だけが持っているものです」
シオンは、静かに答えた。
「つまり――」
「アカシック・レコードだよ!」
突然、地割れの奥から声が響いた。
「まさに、それだとも!」
次の瞬間、アルファが地面の亀裂から勢いよく飛び出した。
岩の破片を周囲へ撒き散らしながら、俺たちの頭上高くへ舞い上がる。
「――っ!」
全員が、再び身構えた。
だが、アルファは少し距離を取った。
どうやら、逃げるつもりらしい。
「認めよう、シオン。君は賢い。昔から、そうだったね」
アルファは、薄く笑った。
「だが、これで終わりだなどと思わないことだ。まだ、始まったばかりなのだから!」
彼は、宙に浮いたまま続けた。
「この現実へ渡ってきたばかりの今は、普段どおりの力を発揮できない。だが、ここで過ごす時間が増えるほど、魔力も、使える駒も、集まってくるのだよ」
その赤い瞳が、怪しく輝いた。
「私は、これからも強くなり続ける。やがては、あの偉大なるアルゴ学院長でさえ、私の相手にはならなくなるだろうね」
「……つまり、ここから逃げ切れると思っているのかな?」
ミルトンが、含みのある笑みを浮かべた。
「そうだぜ、あんたはもう囲まれてるんだ」
ゼロは、両手を首の後ろで組んだ。
「俺だって、暴力はそんなに好きじゃねえんだけどさ。友達を傷つけられたとなりゃ、ちょっとばかり暴れなきゃなんねえよな……」
「おお、何とも頼もしいことだ! 実に感心するよ!」
アルファは、愉快そうに手を広げた。
「だが、君たちはきっと、あちらの対処で忙しくなるだろうと踏んでいたのだよ」
その瞬間だった。
学院へ続く道の、少し先。
大爆発が起こった。
巨大な赤い煙の柱が立ち昇る。
続けて、耳をつんざくような咆哮が響き渡った。
思わず、全員が耳を塞いだ。
「ははははっ!」
逃げる好機を見つけたアルファは、高らかに笑った。
そして、黒い虚空の中へ姿を消してしまった。
残された俺たちのあいだに、沈黙が流れる。
実際には、ほんの数秒だったのだろう。
だが、その沈黙は、妙に長く感じられた。
「……なあ、みんな」
ゼロが、小声で言った。
「俺、すっげえ嫌な予感がするんだけど……」
「……そりゃ、するだろうな」
俺は、少しだけ嫌味を込めて答えた。
やがて、静けさを破るように、重い足音が近づいてきた。
ずしん。
ずしん。
地面が揺れる。
そして、とうとう――
巨大な獣が、姿を現した。
亀のような形をしている。
だが、その身体は、灼熱のマグマと炎に包まれていた。
通りに並ぶ最も高い建物でさえ、その巨体には及ばない。
「……あれは――!」
シオンが、目を見開いた。
……とんでもなく面倒なことになりそうだな、こりゃ。




