第30話 治癒能力と切り札
「……てめえみたいなクソ野郎と命がけで喧嘩すんのに、慣れてるだけかもな」
……痛みまで平気になったわけじゃねえけど。
これまでだって、何十回と喧嘩をしてきた。
もう相手の勝ちだろうと思えるような状況から、最後の力を振り絞って逆転したこともある。
意識さえ失わなければ、まだ勝てる可能性はある。
俺は、いつだってそう考えてきた。
「おや。本当に、それだけかな?」
アルファは、顎に指を当てた。
「それとも、窮地から救ってくれる命綱が、どこかにあると思っているのではないかね?」
そして、何かを悟ったように笑った。
「……ふむ。君がそれほど大胆に振る舞える理由が、わかった気がするよ」
アルファは、いやらしい笑みを浮かべ、シオンへ目を向けた。
「この男は、心のどこかで信じているのだね。君のちょっとした時間魔法で、いつでも助けてもらえるのだと」
彼は、愉快そうに笑った。
「だが、そうはいかないのだろう、シオン?」
そして、彼女へ手を向けた。
「さあ、本当のことを教えてあげたまえ。私は待っていてあげよう」
……正直に言えば。
俺も、最悪の場合はシオンがもう一度時間を巻き戻し、死なずに済むんじゃないかと思っていた。
……だが、考えてみれば、少し楽観的すぎたのかもしれない。
何の根拠もなく、シオンなら必ず助けてくれると信じていたのだから。
一度うまくいったからといって、二度目もそうなるとは限らない。
三度目だって、同じだろう。
そして、嫌な予感を裏づけるように……
シオンが、申し訳なさそうに俺を見た。
「……ごめんなさい、レン君。彼の言うとおりです」
彼女は、口を開いた。
「師匠が戻るまでは、時間を操る力に少し制限がかかっているんです。ですから、今回は自分たちの力で何とか生き延びなければなりません」
「……そりゃ、あんまり嬉しくねえ話だな」
俺は、ため息をついた。
「まあ、わかったよ」
「本当に、ごめんなさい。ただ、簡単な道になるとは、一度も言っていませんから……」
「考えてみりゃ、そもそも大事なことを、ほとんど話してくれてなかったけどな」
「もう、レン君ったら……」
……まあ、どうせ一度は死にかけた身だ。
文句ばっかり言ってても仕方ねえか。
それより、これからどうすんだよ!?
「……これから、どうするのか。私も、同じことを考えていたところだよ」
アルファが、ため息をついた。
「今の君を殺すのは、治癒能力がある以上、少々骨が折れそうだ」
彼は、再び笑った。
「もちろん……次の一撃で、君たち二人を跡形もなく吹き飛ばせば、話は別だろうがね!」
アルファが、奇妙な構えを取った。
手袋をはめた片手の甲を、天へ向けて伸ばす。
もう片方の手は、仮面のように顔を覆った。
指の隙間から、赤い瞳が輝いている。
周囲の空気が、急に重くなった。
通りに並ぶ街灯の明かりが、ちらちらと揺らぎ始める。
「君に、シオンの使い捨ての盾が務まると思っているのかね、偽物君?」
アルファは、挑発するように言った。
「彼女と一緒にいれば、深い苦痛と不幸が訪れるだけだよ。かつて旅を共にした私が言うのだから、間違いない」
そして、冷たく微笑んだ。
「ここで殺してあげることこそ、君への慈悲というものだろう」
「……一つ、はっきりさせとこうぜ」
俺も、身構えた。
「俺は、誰の使い捨ての盾でもねえ」
短剣を握り直し、アルファを睨みつける。
「誰についていくかは、俺が自分で決める。てめえが俺と同じ顔をしてたって、関係ねえよ」
そして、吐き捨てた。
「何が俺のためになるか知ってるふりをするクソ野郎に、黙って従うつもりはねえんだ」
「……それなら、この先に起きることにも、文句はないね?」
アルファの両目の端から、白と黒の炎が一筋ずつ流れ出した。
鼻からは、蒸気のような息が漏れる。
周囲の空気は、さらに激しく揺らぎ始めていた。
そして、低い声で叫んだ。
「光と闇の構え――アルファ!」
……おいおい。
何か、ものすごく嫌な予感がするんだけど。
「……最強クラスの連続攻撃を、準備していますね」
シオンは、落ち着いた声で状況を説明した。
「というより、もう準備は終わっていると考えたほうがいいでしょう」
そして、俺へ顔を向けた。
「直撃すれば、彼の言うとおりです。私もあなたも、何一つ残らず、風に舞う灰になってしまいますよ」
……初手からそれかよ!?
冗談じゃねえぞ、おい!
「レン君。私に作戦があると言ったのを、覚えていますか?」
「……ああ。まさか今になって、全部でたらめだったとか言うんじゃねえだろうな?」
「ふん。あなたは、私を何だと思っているんですか?」
「シオン!」
アルファが、声を張り上げた。
「この男を証人として、もう一度だけ尋ねよう。私が求めるものを渡したまえ。さもなくば、分岐個体の命はないぞ!」
……求めるもの?
何の話だよ。
だが、シオンは答えなかった。
すると、アルファは苛立たしげに唸り、目の前の空間へ拳を突き出した。
「ならば、龍のすべてを呑み込む炎によって、滅びるがいい!」
そして、叫んだ。
「――シロクロドラ!!」
凄まじい咆哮が響いた。
男の拳から、巨大な二頭の龍の幻影が放たれたのだ。
一頭は黒。
もう一頭は白。
どちらも、地球の中国で描かれるような、長い身体を持つ龍だった。
二頭は進路上のものをすべて破壊し、地面を焼き焦がしながら、俺へ向かって突進してくる。
それでも、俺はシオンの前から動かなかった。
彼女をかばうように、身構え続けた。
……また、聞こえる。
頭の奥で、太鼓が鳴っていた。
死が迫るたびに聞こえてくる、あの音だ。
死を目の前にする感覚には、もう慣れてしまった。
それでも、俺は諦めなかった。
自分よりはるかに強い相手を前にしても、いつもと同じように戦う構えを崩さない。
眩しい光が、どんどん近づいてくる。
身体も、魂も。
すべて呑み込まれようとした――
その瞬間。
「リヒター・スケール、七・〇! アースウォール!」
巨大な土の壁が、俺の目の前に出現した。
龍の幻影が激突し、その進行を食い止める。
同時に、俺は何者かに襟首を掴まれ、攻撃の軌道から引っ張り出された。
振り返ると、そこには俺よりずっと大柄な男がいた。
「……ゼロ!?」
首根っこを掴まれたまま、俺は叫んだ。
「よう、相棒!」
ゼロは、満面の笑みを浮かべた。
「どうやら、ちょうどいいところに戻ってこられたみてえだな!」
その瞬間、二頭の龍が土の壁を突き破った。
俺たちの背後にある街並みを、さらに破壊しながら突き進んでいく。
やがて、龍たちは姿を消した。
ゼロは俺を地面へ下ろし、背中から大剣を抜いた。
……でけえ。
シオンが言っていたとおり、とんでもない大きさだった。
細い木製の柄。
そして、幅広い鋼の刀身には、目立つ亀裂が一本走っていた。
「ちょっと待ってな」
ゼロは、剣を構えた。
「リヒター・スケール、八・〇! アフターショック!」
大剣が、路面へ叩きつけられた。
次の瞬間、地面が激しく揺れ始めた。
「何と無意味な――!」
アルファは、驚いたように目を見開いた。




