第3話 報酬の回収
レッドルークの商業活動の大半を担う、市の最南端に位置する市場地区。
そこから北へ向かって歩いていると、途中で何やら騒ぎが起きていることに気づいた。
王国守備隊が、やけに慌ただしい。
市場の露店付近に配置されていた隊員たちが、次から次へと持ち場を離れ、東にある住宅地区へ向かって駆けていく。
街の自称「治安維持者」どもとは、決して仲がいいわけじゃない。
それでも、普段なら目を光らせているスリやゴロツキを放っておいてまで、大勢の兵士を動員する事件となれば、少しは気になる。
ひょっとすると、この都市国家レッドルークに住む王族に、何かあったのかもしれない。
……まあ、今も残っている王族がどれほどいるのか、という話ではあるが。
聞いたところによると、相次ぐ暗殺事件によって、レッドルークの王子たちはほとんど殺されてしまったらしい。
王妃までもが命を落とし、今や王国を継ぐ者として残されているのは、末のノウ王子だけだった。
父親であるダニエル王は、俺がこの世界へ来るよりずっと前に姿を消しており、すでに亡くなったものと考えられている。
母親と兄たちが殺されたのは、比較的最近のことだという。
姉はすでに近隣の都市国家へ嫁いでいるため、ゼン王国の王位継承者は、ノウ王子ただ一人というわけだ。
もっとも、王子はまだ十歳前後の子供だ。
そんな子に、この国の政治を任せるわけにもいかないだろう。
実際の政務は、実践魔法学院の五人評議会、王国守備隊、そしてレッドルークが誇る冒険者ギルドが連携して取り仕切っているらしい。
とはいえ……
金持ちも権力者も、それなりに苦労してるってことか。
あの子の立場だけは、まったく羨ましくねえな。
しかし、守備隊の動きが王子のような要人に関係しているのだとしたら、妙なこともある。
西にある宮殿地区から、わざわざ離れる方向へ向かっているのだ。
となると、やはり別の事件が起きているのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いているうちに、いつの間にか中央地区の冒険者ギルドへ到着していた。
目の前には、重厚な両開きの扉。
その向こうからは、大勢の客が騒ぐ声が聞こえてくる。
分厚い扉でさえ、まったく防音の役に立っていないらしい。
中の様子は、見るまでもなく想像がついた。
いつもの強面の常連たちが、いつもの顔ぶれでテーブルを囲んでいるのだろう。
俺は両手を頭の後ろで組み、そのまま店へ入った。
案の定、あちこちから好奇の視線が向けられる。
今日はまた、こいつは小銭を稼ぐためにどんな面倒事へ首を突っ込んできたんだ?
そんな顔ばかりだった。
店の名は、オールド・レッズ・イン。
一階には大きな酒場があり、階段を上がった二階には、酔いを醒ますための客室が数十室。
そして、最上階である三階には、冒険者ギルドの本部が置かれている。
「おっ! 坊主、その腰に差してるのは、コラグの短剣じゃねえか?」
テーブルに座っていた酔っ払いの老人が、俺の革のベルトに挟まれた武器を指さした。
逆立った灰色の髪に、丸みのあるウィンザー型の眼鏡。
いつものジェットだ。
「ようやく誰かが、あの手に負えねえオークどもを懲らしめてくれたか! いやあ、わしも自分でやってやろうと思ってたんだがな。ほら、最近は関節の調子が悪くてよ……」
「関節ねえ?」
俺は鼻で笑った。
「前に聞かされた言い訳と同じくらい信用できるな、ジェット。この怠け者のクソジジイが」
「少なくとも、わしの情報は役に立っただろ? 礼として報酬を少しくらい分けてくれてもいいんじゃねえか? それが人情ってもんだぜ、レン……」
「寝言は寝て言えよ、ジジイ」
俺は、ジェットの取り分を要求する手を軽くあしらった。
「あんたの言う『情報』は、とっくに古くなってたんだよ。おかげで街を半分も追い回された挙げ句、袋叩きにされたんだからな」
本来の計画は、至って単純だった。
一晩たっぷり酒を飲んだオークどもが、二日酔いで動けなくなっている隙に短剣をいただき、そのまま適当な値段で売り払う。
それだけで済むはずだった。
ところが実際には、奴らはすっかり酔いも醒めていて、喧嘩をする気満々ときた。
さっきジェットが教えてくれた酔っ払い情報とは、大違いだったのだ。
「いやいや、悪気はなかったんだって! 歳を取ると、どうにも記憶が怪しくなってきてなあ。へっへっへ……げほっ、ごほっ!」
老人の笑い声が、そのまま激しい咳へ変わった。
まったく、いい度胸をしてやがる。
俺は呆れながら首を振り、酒場のカウンターへ向かった。
給仕の女性と目が合ったところで、椅子へ腰を下ろす。
そして、コラグからいただいた錆びついた硬貨を数枚、カウンターの上へ置いた。
「悪いんだけど、安い飲み物を一杯もらえる? 酒じゃないやつで頼む」
少し考えてから、ため息が漏れた。
「……あと、あのジジイにも何か出してやって。仕方ねえから」
「坊主、お前は聖人だぜ!」
「はいはい」
もしジェットが最初から俺を罠にはめるつもりだったなら、靴が脱げるほどぶん殴ってやったかもしれない。
だが、あの酔っ払いなりに力を貸そうとしてくれたのは確かだ。
それくらいは、俺にだってわかる。
結局、情報をもう一度確かめなかった俺にも落ち度はあったわけだしな……。
「かしこまりました!」
給仕の女性は明るく返事をすると、カウンターの下へ手を伸ばした。
この店の冒険者たちが好んで飲むエールではなく、別の飲み物が入った樽を探しているらしい。
念のため言っておくが、俺は未成年の飲酒にそこまで強い抵抗があるわけじゃない。
そもそも、この世界の法律は地球とは違う。
クソ親父が大酒飲みだったからといって、酒を飲むこと自体を悪だと思っているわけでもない。
ただ、一度でも気を抜いたら、それが命取りになる。
そんな考えが、どうにも頭から離れなかった。
おかげで、心からくつろぐことなんて、ほとんどできやしない。
まあ、多少の用心深さより、よっぽど悪いこともある。
……死ぬとか、な。
来年、二十歳になったら一杯くらい試してみるか。
そこまで生きていられたら、の話だけど。
しばらくすると、給仕の女性が大きなジョッキを俺の前へ置いた。
金髪がよく似合う、胸の豊かな可愛らしい女性だった。
ジョッキの中には、たっぷりの果汁が注がれている。
彼女はにっこり微笑むと、なぜか硬貨まで俺のほうへ押し戻してきた。
「……ん? これ、使えない金だったりする?」
コラグのような胡散臭い野郎なら、偽金くらい平気で持ち歩いていそうだ。
「いえ、そういうことではないんです。ただ……」
彼女は、こほんと小さく咳払いした。
「あのオークたち、いつもここへ来ては私たち給仕に絡んでくるんです。散々飲んだあと、お勘定まで『忘れて』帰ってしまいますし……」
そして、少し困ったように笑った。
「特に、ギルドの腕利きの皆さんが依頼で出払っている夜は大変で。ですから、これは一人であの人たちに立ち向かってくださった、私たちからのお礼だと思ってください!」
「……そっか。じゃあ、ありがたくいただくよ」
俺は、少し照れくさくなりながら頷いた。
せっかく向けられた親切や感謝を断るのも、もったいない。
何しろ、この街でそんなものをもらえる機会は、滅多にないのだから。
本当に、滅多にない。
俺はジョッキを傾け、果汁の豊かな味わいが舌の上へ広がるのを感じた。
「……うまっ!」
思わず声が出た。
ここしばらく飲んだものの中では、間違いなく一番うまい。
少なくとも、沸かしただけの水とは比べ物にならなかった。
甘みと酸味がちょうどよく混ざり合い、この土地で採れる果物の味を楽しめる、実に爽やかな飲み物だった。
地球の搾りたてのアップルサイダーに、少し似ているかもしれない。
「オパール・ベイから届いたばかりの新しい品なんです。どうぞ、ごゆっくり」
素直な感想が嬉しかったのか、給仕の女性は満足そうに一礼した。
そして、次の客の注文を取るため、別のテーブルへ向かっていった。
せっかく飲み物が無料になったことだし、コラグから巻き上げた小銭で、何か食べるものでも頼もうか。
一瞬、そんな考えが浮かんだ。
だが、俺がオールド・レッズ・インへ来たのは、別の用事を済ませるためだ。
飯は、上での仕事が終わってからでも遅くない。
そう考え、もう一口飲もうとした、そのときだった。
「……っ!?」
鈍い衝撃が、肩へぶつかった。
勢いよく身体を押され、顔が目の前のジョッキへ突っ込む。
琥珀色の果汁が、カウンターの上からズボンにまで、盛大にこぼれ落ちた。
「おい! どこ見て歩いてんだ、てめえ!」
俺は慌てて振り返り、肩をぶつけてきた相手を探した。
しかし、黒い外套をまとった人影は、悪びれる様子もなく出口へ向かって歩き続けている。
フードの奥から、こちらをちらりと振り返り、にやりと笑ったように見えた。
だが、それ以外の顔立ちは、ほとんどわからなかった。
この、クソ野郎が――!
思わず立ち上がりかけた。
しかし、給仕の女性が浮かべた困り果てた表情を見た途端、喧嘩を売る気は急速に萎んでいった。
彼女の視線は、店を出ていく黒衣の男を追っている。
おまけに、さっき俺が怒鳴ったせいで、店中の視線までこちらへ集まっていた。
……数少ない居場所の一つで、乱闘を始めるわけにはいかねえよな。
それに、あいつだって、たまたま機嫌が悪かっただけかもしれない。
俺は大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせた。
そして、近くにあった布巾を手に取り、濡れたズボンとカウンターを拭き始めた。
「も、申し訳ありません、お客様! すぐに新しいものをお持ちしますね!」
「いや、いいよ」
俺はようやく立ち上がり、給仕の女性へ軽く手を振った。
「人と会う約束に遅れそうなんだ。また今度にするよ」
「あ……はい、わかりました……」
ほんのりと果物の香りを漂わせながら、俺は階段を上っていった。
目指すのは三階。
冒険者ギルドの本部では、ある男が俺の到着を待っているはずだった。




