第16話 十番目のレン
「……それでは、あまり答えになっていませんね」
シオンと名乗った女は、落ち着いた様子で顎を指先で叩いた。
「どのあたりが、一番わからなかったんですか?」
「いや、全部だろ!?」
俺は、思わず鼻で笑った。
「正直、あんたの頭がおかしくなったんじゃねえかって言いたいところだけど……。もう、何をどう考えりゃいいのかもわかんねえよ……」
シオンは、深いため息をついた。
足元の雑草が揺れるほど、大げさなため息だった。
そして、ふいに頬を膨らませた。
「まったく、手のかかる人ですね、レン君」
……手のかかる人?
「混乱しているのはわかります。ですから、あなたにも理解しやすいように、一つずつ話を整理していきましょうか。そのほうがいいでしょう?」
彼女の提案に、俺は少し考えてから頷いた。
「まず、私が学院に関わっていることに驚いたのではありませんか?」
「まあ、ほかにも驚くことは山ほどあるけどな」
とりあえず、そこから始めることにした。
「俺が学院のクソ野郎どもと関わったのなんて、入学手続きをしに行って、ほとんど追い出されたときくらいだぜ」
俺は、シオンを見据えた。
「あれは、いったい何だったんだよ? あんたなら、事情を知ってたりするのか?」
「……知っていますよ」
……えっ、マジで!?
「じゃあ、教えてくれよ」
「そうですね……。ただ、正直にお話ししたら、あまり気に入っていただけないと思います」
シオンは、肩をすくめた。
「ですから、説明は手短に、必要な部分だけにしておきましょうか」
「じゃあ俺も、こんな謎かけみてえな話を聞くのはやめて、今すぐ帰らせてもらおうかな」
シオンは、困ったような顔をした。
視線を逸らし、何かを迷っているかのように、落ち着きなく身体を動かす。
「……わかりました、もう!」
「何が『わかった』んだよ?」
「あなたが学院への入学を拒否された理由を、お話しします」
シオンは、妥協案を持ち出した。
「ただし、その代わり、私の説明を最初から最後まで聞くと約束してください」
……妥協案ねえ。
これから何を聞かされるのか、俺には見当もつかない。
公平な取引とは言い難かった。
「先に言っておきますが、長くて、ややこしい話になりますよ」
俺はずっと、入学を断られたのは自分に魔法の才能がないからだと思っていた。
あるいは、ほかの異世界人たちが持っているような、特別な能力がないからなのだと。
……違うのか?
「それで、約束してくれるんですか? くれないんですか?」
だが……
「……わかったよ。最後まで聞いてやる」
俺は、ため息をついた。
「ただし、本当のことを話してくれるなら、だけどな」
どうしても、確かめなければならないことがあった。
……もっとも、このときの俺は知らなかった。
今から開けようとしている厄介事の箱が、一度の会話では到底片づかないほど、とんでもない代物だということを。
「承知しました。ですが、これからお話しすることを聞いても、いきなり怒り出さないでくださいね」
シオンは、小さく咳払いした。
「あなたが実践魔法学院への入学を拒否された理由。何か月ものあいだ、あれほど劣悪な環境で暮らさなければならなかった理由は……」
……ん?
何だよ、その言い方。
「……学院長の右腕である私が、あなたを受け入れないよう、直接進言したからです」
……
俺は、目を見開いた。
「実を言うと、私はかなり強く反対しました。自分の意見を通そうと、少々熱が入りすぎてしまって……。そのせいで、あなたに別の不利益まで及んでしまったかもしれません」
「……あんたが?」
思わず、口が開いたままになった。
「はあっ!? 何でだよ!? 何でそんなことしたんだ!?」
「その件については、心からお詫びを――」
「――そんなもん、聞きたくねえよ!」
俺は怒鳴った。
拳を握りしめ、地面を睨みつける。
「そんな中途半端な謝罪に、何の意味があるってんだ!」
胸の奥から、次々と言葉が溢れてきた。
「俺が今まで、どんな目に遭ってきたと思ってんだよ!? 生き延びるために、どんなことまでしなきゃならなかったか……!」
俺は、シオンへ目を向けた。
「……あんたに、わかんのかよ!?」
「……はい。知っています」
「じゃあ、理由を教えてくれよ……」
声が、少し震えた。
「やっぱり、俺に能力がないからか? ほかの連中みたいな、特別な力が……。それが理由なのか?」
……結局、いつもそこへ行き着くんだよな。
昔から、そうだった。
「いいえ。まったく違いますよ」
俺は、驚いて顔を上げた。
「……じゃあ、何で――!?」
「『それなら、なぜ?』と思いますよね」
シオンは、少しだけ微笑んだ。
「どうやらあなたは、ずっと自分には何もないと思い込んで生きてきたようですね」
彼女は、ゆっくりと言葉を続けた。
「自分は、ただ周囲の世界に汚されるためだけに存在する、真っ白な画布のような人間なのだと。でも、それは違うんです」
シオンは、俺を見つめた。
「さっき言ったことは、本当ですよ。あなたは特別な存在なんです、レン君」
そして、少し得意げに付け加えた。
「それも、一兆人に一人と言っていいほどに」
……そんなことを千回言われたって、素直に信じられるわけがない。
俺は、まだシオンに腹を立てていた。
当然だろう。
この世界での俺のクソみたいな生活に、少なくとも一部は責任がある人物が、目の前でそれを認めたのだから。
理由も知らないまま怒りを堪えるのは、相当な努力が必要だった。
最後まで話を聞くという約束を、今すぐ破ってしまいそうになる。
それを察したのか、シオンは再び口を開いた。
今度は、少しだけ、こちらを見下すような響きが薄れていた。
「私の言葉を信じてもらうには、最初から説明するしかなさそうですね……」
そして、静かに続けた。
「私が犯した、最初の罪のこと。そして、今こうしている理由を」
「……」
……最初の、罪?
「すべて、私のせいなんです」
シオンは、片手を差し出した。
「先ほど、私たち時の番人は時の流れを管理していると説明しましたよね。私たちは非常に長命な、人に似た種族です。そして、自分たちの戒律と聖典に、深く縛られています」
彼女の掌の上に、巨大な光の網が現れた。
鮮やかな青色の光が、空中を走る血管のように広がっていく。
その中には、俺には読めない文字まで浮かんでいた。
「うおっ…… 何だよ、それ?」
「私たちは、エイモル神によって、多元宇宙をただ静かに見守る観測者であるよう定められています」
シオンの声が、少し厳かになった。
「その掟に背けば、力も命も失うことになるんです」
そして、掌の上に広がる光へ目を向けた。
「あなたが今見ている、この複雑な網。それが『アカシック・レコード』です」
彼女は、続けた。
「すべての時における、あらゆる存在の始まりと終わりを記すものなのですよ」
「……アカシック・レコード?」
俺は、思わずその名前を繰り返した。
何だか、SFに出てきそうな話だ。
「それって、どういう意味なんだ?」
「現実は、数え切れないほど存在しています。そして、その一つひとつに、宇宙や世界の物語が記録されているんです」
シオンの瞳が、きらきらと輝いた。
「私たちの想像を、はるかに超える世界もあります。時の番人である私たちですら、まだ自分の目で見たことのない世界が、数多く存在するんですよ」
しかし、彼女は再び俺へ視線を戻した。
その表情が、一気に真剣なものへ変わる。
「……ただし、レン君」
「……何だよ。何でそんな顔すんだ?」
「アカシック・レコードに記された、無限ともいえる可能性の中で……」
シオンは、ゆっくりと手を閉じた。
それに合わせて、光の網も消えていく。
「あなたの命は、いつも、このカイの世界へ召喚されるときに終わるんです」
「……え?」
「一度の例外もなく」
彼女の声は、はっきりしていた。
「今、こうして私たちが会話していること自体が奇跡なんですよ。本来なら、あり得ないことなんです」
そして、小さく付け加えた。
「……少なくとも、そうなるはずだったんです」
「つまり、今の俺は……」
……存在しているはずがない、ってことか?
「いや、そんなの……」
俺は、首を振った。
「あり得ねえだろ。……なあ?」
簡単には、受け入れられなかった。
「行動を起こすこと」
シオンは、険しい表情のまま語り始めた。
「静かな観測者であるという役割を捨て、自分たちの利益のために、時の流れや生命の自然な営みへ手を加えること……」
そして、言い切った。
「それこそが、時の番人にとって唯一にして最大の禁忌です。決して越えてはならない一線なのです」
シオンは、俺へ目を向けた。
「あなたを第十の分岐個体、あるいは『レンX』と呼んだのは、あなたが召喚を生き延び、運命に抗った現実が、これで十番目だからです」
「……なるほどな」
俺は、何とか話を飲み込もうとした。
「つまり、俺は宇宙規模の手違いみてえな存在ってことか。……たぶん、わかった」
……いや、わかるわけがない。
常識に反する話を、常識で考えても仕方がなかった。
「でもさ、仮にそうだとして……」
俺は、シオンを見つめた。
「それが、あんたと何の関係があるんだよ? 俺の今までの生活とも、どう繋がるんだ?」
質問ばかりしているうちに、さすがに疲れてきた。
何だか、これだけ答えさせているのが申し訳なくなってくる。
……いや、でも、これくらい説明してもらう権利はあるよな?
「もし私が、誓いどおりに職務を果たし、ただ見守ることを選んでいたなら……」
シオンは、苦々しく微笑んだ。
「私には、何の関係もなかったでしょう。本当に、何も」
そして、続けた。
「でも、実際には、そうなりませんでした」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「あなたの生存は、先ほどおっしゃったような『手違い』ではないんです。そのことは、私自身が保証できます」
シオンは、再び顔を上げた。
「……なぜだと思いますか?」
その瞬間、俺は何かに気づいた。
ひょっとすると、すべての答えに。
「……その顔を見る限り、これから私が何を言うのか、もう察しがついているようですね」
「……あんたが、介入したんだな?」
俺は、ゆっくりと言葉にした。
「自分たちの掟だか、聖典だかに逆らって……」
そして、尋ねた。
「さっき言ってた最初の罪って…… 俺を助けたこと、なのか?」
「ええ。よくできました」
シオンは、頷いた。
「ただし、正確には今のあなたではありません。別の現実にいた『あなた』です」
彼女は、少しだけ間を置いた。
「最初の分岐個体。彼を『レンI』と呼ぶことにしましょう」




