第15話 時を越えた女
「……中央地区、だよな。何で俺がここに……?」
ようやく、自分のいる場所がわかった。
……いや。
もっと重要なのは。
今が、いつなのか。
あの女……泥棒が、時間を巻き戻したってのか?
マジで!?
さっきの長ったらしい詠唱を考えれば、そうとしか思えなかった。
待て待て待て!
そんなこと、できるわけねえだろ!
……いや、でも……
額に汗が浮かんだ。
頭の中は、疑問だらけだった。
異世界だということを差し引いても、時間を操る魔法なんてものが存在するという事実は、魅力的であると同時に、恐ろしくもあった。
だが、ほかに説明がつかない。
しかも、それを証明するかのように……
三日間の投獄で負った傷が、すべて消えていた。
手首も。
額も。
骨まで。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
すると、近くの路地で、建物の壁に寄りかかっている黒衣の人影に気づいた。
こちらを、不思議そうに見つめている。
「……お前――!」
声が、喉の奥で詰まった。
視界が揺らぐ。
突然、強烈な既視感に襲われた。
「……俺、今の台詞……前にも言った、よな……?」
しかし、先ほどとは違い、相手は走り出さなかった。
ただ落ち着いた様子で頷き、路地の奥へついてくるよう合図する。
そして、さらに奥へ歩いていった。
俺の脚は、すぐには動かなかった。
……あの女だ。
今なら、わかる。
群衆の中にいた、あの女。
俺を陥れた犯人かもしれない。
なのに……
俺の命を救った、恩人でもあるのか?
……意味がわからねえよ。
だが、いつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。
何が起きているのか、確かめなければ。
それだけは、はっきりしていた。
今さら、ためらっている場合じゃない。
「お、おい! 待ってくれ!」
ようやく覚悟を決め、俺は女のあとを追って路地へ駆け込んだ。
彼女は、逃げる気配もなく、こちらを向いて立っていた。
これで、ようやくまともに話ができる。
頭の中には、聞きたいことが山ほど浮かんでいた。
……だが、まずは。
「お前、処刑台から俺を助けてくれたんだよな? 時間を巻き戻して……。でも、何でだよ!? お前が、あの――!」
「――私は、あなたが考えているような人物ではありませんよ。それだけは保証します」
時間を巻き戻した女が、フードを脱いだ。
その顔には、見覚えがあった。
……それも、不気味なくらいに。
「でも、私はあなたのことを知っていますよ、レン君」
「……俺を、知ってる?」
「ええ。気になりますか?」
黒く編み込まれた髪。
丸い眼鏡。
そして、いたずらっぽい笑み。
何もかもが、記憶の奥底にいる誰かを思い起こさせた。
ひょっとすると……
……地球にいた頃に、会ったことがあるのか?
日本式に「レン君」なんて呼んでいるし。
……いや、それだけじゃ証拠にはならねえか。
「先ほど、あなたの注意を引くために、短剣泥棒と同じ格好をしていたんです。あなたを……正しい方向へ導くために」
女は、説明を続けた。
「それに、この世界の厳しい現実を知ってもらう必要もありました。たった一つのことを理解してもらうために、あれほどつらい思いをさせてしまったことは謝ります。でも、私は――」
「――おいおいおい、ちょっと待て!」
俺は、慌てて話を遮った。
「知り合いだとか言われても、悪いけど、俺はあんたのことを何も覚えてねえんだよ」
そして、問い詰めた。
「それに、短剣を盗んだのも、王子を殺したのもあんたじゃねえってんなら……」
俺は、女を指さした。
「結局、あんたは誰なんだよ!? まずはそこから説明してくれ!」
「まあ、失礼な!」
女は、少し頬を膨らませた。
「たった今、あなたの命を救ったばかりだということを、お忘れではありませんよね、レン君?」
しかし、すぐに肩をすくめ、気楽そうに微笑んだ。
「……まあ、今のあなたなら、そういう反応も仕方ありませんか」
彼女は、胸元へ片手を添えた。
「では、改めて自己紹介するとしましょう……」
俺は、ひとまず納得して頷いた。
……頭の中は、相変わらず混乱したままだったが。
「私の名前は、シオン。時の番人であり、実践魔法学院のアルゴ学院長に師事する者です」
彼女は、落ち着いた声で続けた。
「私たちは、エイモル神に仕え、時間と現実を管理する役目を担っています。時の流れを守り、この世界をあるべき姿に保つこと。それが、私たちの務めなのです」
そして、少し間を置いた。
「さて、私が今、あなたの前へ現れた理由ですが……」
シオンは、片手を差し出した。
もう片方の手は、胸元に添えたままだった。
その顔には、俺にはうまく理解できない、温かな表情が浮かんでいる。
「本当は、あなたは特別な存在なんです、レン君」
彼女は、まっすぐ俺を見つめた。
「第十の分岐個体である、あなただけが……ノウエラ王女を救い、この現実が崩壊するのを防ぐことができるんです」
そして、優しく続けた。
「これから進む道は、間違いなく険しいものになるでしょう。でも、必要なときには、私たちが力になります。助けが必要なら、いつでも言ってください……」
「……」
俺は、何とか返事をしようとした。
だが、これだけの話を一度に聞かされて、まともな言葉が出てくるはずもない。
頭に浮かんだのは、たった一言だけだった。
……
「……はああっ!?」




