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第27話「記録しなかった一日」


───────────────────────


 午前七時二十一分。


 妄執ちゃんは、業務端末を見ていた。


担当者:妄執


対象:未確定


記録:不要


状態:存在


 昨日から変わっていない。


 そして。


 カウンターの端には、No.441のダブルチーズバーガーがある。


 昨日からずっと。


 温かいまま。


───────────────────────


 妄執ちゃんはバーガーへ手を伸ばした。


 包み紙を少し持ち上げる。


 昨日ついていた指の跡。


 まだ残っている。


「……いらっしゃいますの?」


 返事はない。


 けれど。


 妄執ちゃんは、もう一度尋ねなかった。


「では、ごゆっくりどうぞ」


 そう言って。


 開店準備を始めた。


───────────────────────


 午前八時。


 最初のお客様が来た。


 普通の客だった。


 チーズバーガー。


 ポテト。


 アイスティー。


 注文を受ける。


 作る。


 渡す。


「ありがとうございましたわ」


 客が帰る。


 業務端末を見る。


来店記録:1


 正常。


───────────────────────


 二人目。


来店記録:2


 三人目。


来店記録:3


 四人目。


来店記録:4


 何もおかしくない。


 写真も増えない。


 壁も変わらない。


 空白もない。


───────────────────────


 午前十時三十二分。


 妄執ちゃんは。


 ふと。


 気づいた。


「……?」


 客席を見る。


 七つあるテーブル。


 六つは空いている。


 一つだけ。


 椅子が引かれている。


───────────────────────


 そこには誰もいない。


 テーブルにも何もない。


 ただ。


 椅子だけが。


 誰かが座っている時と同じ位置まで引かれている。


───────────────────────


 妄執ちゃんは近づいた。


「いらっしゃいませ」


 返事はない。


「ご注文はお決まりですの?」


 返事はない。


 妄執ちゃんは待った。


 十秒。


 二十秒。


 三十秒。


 そして。


「……まだですのね」


 そう言って。


 カウンターへ戻った。


───────────────────────


 十一時十四分。


 厨房の注文表示に、一件追加された。


ダブルチーズバーガー


ポテト:なし


ドリンク:なし


注文番号:——


 妄執ちゃんは画面を見る。


 注文端末には履歴がない。


 客席にも誰もいない。


 それでも。


 妄執ちゃんは鉄板へパティを置いた。


───────────────────────


 ジュウッ。


 肉の焼ける音。


 チーズを乗せる。


 バンズを焼く。


 ソース。


 ピクルス。


 組み上げる。


 包み紙。


 いつもの手順。


───────────────────────


 完成したバーガーを。


 妄執ちゃんは。


 誰もいないテーブルへ運んだ。


「お待たせいたしましたわ」


 置く。


「ごゆっくりどうぞ」


 戻る。


───────────────────────


 五分後。


 バーガーは。


 一口減っていた。


───────────────────────


 妄執ちゃんは、それを見た。


「……」


 何も言わない。


 二口目。


 減る。


 三口目。


 減る。


 誰もいない。


 椅子も動かない。


 包み紙だけが。


 少しずつ。


 形を変えていく。


───────────────────────


 やがて。


 バーガーはなくなった。


 包み紙だけが残った。


 妄執ちゃんはテーブルへ行く。


「お下げしてもよろしいですの?」


 返事はない。


 少し待つ。


 包み紙の端が。


 ほんの少し。


 持ち上がった。


───────────────────────


「ありがとうございますわ」


 妄執ちゃんは片づけた。


───────────────────────


 業務端末を見る。


来店記録:17


 数える。


 今日、実際に目で見た客は。


 十六人。


───────────────────────


「……一人、多いですわね」


───────────────────────


 その時。


「何が?」


 背後から声。


 妄執ちゃんが振り返る。


 真意ちゃんだった。


 いつものルーペを持っている。


「お客様ですわ」


「何人?」


「十七人」


「見たのは?」


「十六人ですわ」


 真意ちゃんが止まる。


「……一人、見てない?」


「ええ」


「どこ?」


 妄執ちゃんは客席を指した。


「あちらにいらっしゃいましたわ」


 真意ちゃんが見る。


 誰もいない。


───────────────────────


「いないけど」


「ええ」


「帰った?」


「たぶん」


「誰?」


「存じませんわ」


「注文は?」


「ダブルチーズバーガーでしたわ」


「記録は?」


「ありませんわ」


「写真は?」


「ありませんわ」


 真意ちゃんがルーペを構えた。


「痕跡は?」


「包み紙は片づけましたわ」


「それだけ?」


「ええ」


「……妄執ちゃん」


「はい」


「それで、どうしてお客さんがいたって思うの?」


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 少し考えた。


「バーガーを召し上がりましたもの」


「見た?」


「いいえ」


「声は?」


「聞いておりませんわ」


「姿は?」


「見ておりませんわ」


「じゃあ——」


「でも」


 妄執ちゃんは言った。


「なくなりましたわ」


───────────────────────


 真意ちゃんが黙る。


「私が作ったバーガーが」


 妄執ちゃんは続ける。


「誰も触れていないのに、なくなりましたの」


「うん」


「それなら」


 少し微笑む。


「召し上がった方がいらっしゃるのでしょう?」


───────────────────────


 真意ちゃんは。


 ルーペを下ろした。


「……昨日と同じ」


「何がですの?」


「No.441」


 妄執ちゃんの目が少し動く。


「写真から消えた」


「ええ」


「記録にもいない」


「ええ」


「でも、痕跡だけ残った」


「ええ」


「今日も同じ」


 真意ちゃんは客席を見る。


「人はいない」


「ええ」


「記録もない」


「ええ」


「写真もない」


「ええ」


「でも——」


 テーブルを見る。


「食べた結果だけがある」


───────────────────────


 妄執ちゃんは頷いた。


「そうですわね」


 真意ちゃんは。


 少し嫌そうな顔をした。


「広がってる」


「何がですの?」


「No.441だけの現象じゃない」


───────────────────────


 その時。


 厨房から。


 注文音。


 ピッ。


───────────────────────


 二人が見る。


ダブルチーズバーガー


ポテト:なし


ドリンク:なし


注文番号:——


───────────────────────


 真意ちゃんが呟く。


「また」


「ええ」


「作るの?」


「もちろんですわ」


「待って」


 真意ちゃんが妄執ちゃんの腕を掴んだ。


「今回は作らないで」


───────────────────────


 妄執ちゃんが真意ちゃんを見る。


「なぜですの?」


「確認したい」


「何を?」


「注文そのものが存在するのか」


「……」


「バーガーを作ったから、食べた結果が生まれた可能性もある」


 妄執ちゃんは少し考える。


「つまり?」


「客が注文したんじゃなくて」


 真意ちゃんは注文表示を見る。


「妄執ちゃんが『注文された』として処理したから——」


 一拍。


「客がいたことになってる可能性」


───────────────────────


 妄執ちゃんの表情が。


 ほんの少し。


 固まった。


───────────────────────


「……私が?」


「まだ仮説」


「私がバーガーを作ることで」


「うん」


「お客様が存在したことになる?」


「かもしれない」


───────────────────────


 注文表示は消えない。


ダブルチーズバーガー


注文番号:——


───────────────────────


 妄執ちゃんは鉄板を見る。


 それから。


 客席を見る。


 誰もいない。


───────────────────────


「作らないで」


 真意ちゃんが言う。


「十分だけ」


「……」


「何が起きるか見る」


───────────────────────


 一分。


 二分。


 三分。


 注文は残っている。


 五分。


 七分。


 九分。


───────────────────────


 十分快。


 注文表示が。


 消えた。


───────────────────────


 真意ちゃんが息を吐く。


「消えた」


「ええ」


「何も起きなかった」


「……」


「やっぱり」


 真意ちゃんがルーペを握る。


「妄執ちゃんが応答しなければ、成立しない」


───────────────────────


 その瞬間。


 妄執ちゃんが。


 客席を見た。


───────────────────────


 さっきまで引かれていた椅子。


 戻っている。


 テーブル。


 綺麗。


 何もない。


 最初から。


 誰も座っていなかったように。


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 静かに尋ねた。


「……真意ちゃん」


「なに?」


「先ほどのお客様は?」


「さっきの?」


「ダブルチーズバーガーを召し上がった方ですわ」


「……」


「いらっしゃいましたわよね?」


───────────────────────


 真意ちゃんは答えようとして。


 止まった。


「……いた」


「本当に?」


「いた、というか」


 真意ちゃんが眉を寄せる。


「痕跡があった」


「ええ」


「でも——」


 ルーペを構える。


 テーブルを見る。


 床を見る。


 厨房を見る。


 何もない。


───────────────────────


「今は、ない」


───────────────────────


 妄執ちゃんは業務端末を見る。


来店記録:16


───────────────────────


 十七だった数字が。


 十六に戻っていた。


───────────────────────


「……」


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 初めて。


 少し青ざめた。


「一人、減りましたわ」


───────────────────────


 真意ちゃんが端末を見る。


「誰が?」


「わかりませんわ」


「記録は?」


「ありません」


「注文は?」


「ありません」


「じゃあ——」


 真意ちゃんが言葉を失う。


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 静かに厨房へ向かった。


「妄執ちゃん?」


「作りますわ」


「何を?」


「ダブルチーズバーガーですわ」


「でも注文は消えた」


「ええ」


「だったら——」


「だからですわ」


───────────────────────


 妄執ちゃんは鉄板へパティを置いた。


 ジュウッ。


 肉の焼ける音。


───────────────────────


「注文がなくなったから」


 チーズ。


「記録もなくなったから」


 バンズ。


「痕跡もなくなったから」


 ソース。


「私が見ていなかったから」


 ピクルス。


───────────────────────


「だから、いなかったことにするのですの?」


───────────────────────


 真意ちゃんは。


 答えなかった。


───────────────────────


 妄執ちゃんはバーガーを完成させた。


 包み紙に包む。


 そして。


 さっきのテーブルへ置いた。


「お待たせいたしましたわ」


───────────────────────


 何も起きない。


 一分。


 二分。


 三分。


───────────────────────


 真意ちゃんが言う。


「……妄執ちゃん」


「はい」


「誰もいない」


「ええ」


「もう注文もない」


「ええ」


「その客が本当にいた証拠も——」


「ありませんわ」


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 空の椅子を見た。


「ですから」


 一拍。


「私が覚えておりますわ」


───────────────────────


 真意ちゃんの目が。


 わずかに見開かれた。


───────────────────────


 五分後。


 バーガーが。


 一口。


 減った。


───────────────────────


「……!」


 真意ちゃんがルーペを上げる。


 誰もいない。


 でも。


 バーガーは減っている。


 二口。


 三口。


───────────────────────


 そして。


 妄執ちゃんの業務端末に。


 来店記録が戻った。


来店記録:17


───────────────────────


 その下に。


 見たことのない項目。


記録外来店:1


───────────────────────


 真意ちゃんが呟く。


「戻った……」


「ええ」


「どうして?」


 妄執ちゃんは。


 食べかけのバーガーを見る。


「お戻りになったのではありませんの?」


「違う」


 真意ちゃんは即座に言った。


「たぶん違う」


「では?」


「戻ったんじゃない」


───────────────────────


 真意ちゃんは妄執ちゃんを見る。


「妄執ちゃんが、消さなかった」


───────────────────────


 沈黙。


───────────────────────


「記録が消えた」


「ええ」


「注文も消えた」


「ええ」


「痕跡も消えた」


「ええ」


「それでも妄執ちゃんだけが『いた』って扱った」


「ええ」


「だから——」


 真意ちゃんが空席を見る。


「存在したことが、完全には消えなかった」


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 何も言わなかった。


 ただ。


 昨日のNo.441のバーガーを見る。


 まだ温かい。


───────────────────────


 真意ちゃんも気づいた。


「……No.441」


「ええ」


「同じなんだ」


───────────────────────


 真意ちゃんは壁の写真を見る。


 空っぽの写真。


 そこにNo.441はいない。


 なのに。


 存在履歴だけが残っている。


───────────────────────


「写真じゃなかった」


 真意ちゃんが言った。


「何がですの?」


「保存してたの」


「……?」


「写真が人を保存してたんじゃない」


 真意ちゃんは。


 ゆっくり。


 妄執ちゃんを見る。


「妄執ちゃんが保存してた」


───────────────────────


 妄執ちゃんの目が止まる。


「私が?」


「うん」


「何を?」


───────────────────────


 真意ちゃんは答えようとして。


 止まった。


 そして。


 少しだけ考え直した。


「……人じゃない」


「では?」


「その人が、確かにここにいたってこと」


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 壁を見る。


 何百枚もの写真。


 客。


 出来事。


 失われたもの。


 残ったもの。


 捨てたもの。


 燃やしたもの。


───────────────────────


 写真を燃やしても。


 覚えていた。


 記録を捨てても。


 覚えていた。


 名前がなくても。


 覚えていた。


───────────────────────


「……では」


 妄執ちゃんが言う。


「写真は必要ありませんの?」


───────────────────────


 真意ちゃんは。


 すぐには答えなかった。


「たぶん」


 一拍。


「最初から、必須じゃなかった」


───────────────────────


 妄執ちゃんは壁を見た。


 写真。


 写真。


 写真。


 写真。


 写真。


 何年も。


 残してきた。


───────────────────────


「でも」


 真意ちゃんが続ける。


「写真が無意味だったわけじゃない」


「……」


「妄執ちゃんが忘れないために必要だった」


「……」


「少なくとも、今までは」


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 長い間。


 何も言わなかった。


───────────────────────


 その夜。


 閉店後。


 妄執ちゃんは壁の前に立った。


 写真を一枚。


 外す。


───────────────────────


 真意ちゃんが見ている。


「燃やすの?」


「いいえ」


「捨てる?」


「いいえ」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を。


 引き出しへ入れた。


───────────────────────


 もう一枚。


 外す。


 引き出しへ。


 もう一枚。


 もう一枚。


───────────────────────


「全部外すの?」


「いいえ」


「じゃあ、どれを?」


 妄執ちゃんは答える。


「今日の分だけですわ」


「今日?」


「ええ」


───────────────────────


 今日撮った写真。


 今日の客。


 今日の出来事。


 いつもなら壁へ増えるはずだった写真。


 それを。


 一枚も。


 飾らなかった。


───────────────────────


 真意ちゃんが尋ねる。


「いいの?」


「わかりませんわ」


「怖くない?」


「怖いですわ」


 妄執ちゃんは。


 正直に答えた。


───────────────────────


「忘れるかもしれませんもの」


───────────────────────


 真意ちゃんは黙る。


「明日には」


 妄執ちゃんが続ける。


「今日いらっしゃったお客様のお顔を、一人くらい忘れているかもしれませんわ」


「うん」


「一週間後には、もっと」


「うん」


「一年後には」


「……うん」


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 何も飾られていない。


 今日一日分の壁の空白を見る。


───────────────────────


「でも」


 一拍。


「それでも、今日いらっしゃったことまで、なくなるわけではありませんのね」


───────────────────────


 真意ちゃんは。


 小さく頷いた。


「たぶん」


「また、たぶんですのね」


「うん」


「では」


 妄執ちゃんは笑った。


「それで十分ですわ」


───────────────────────


 翌朝。


 妄執ちゃんは壁を見た。


 昨日の場所。


 空白。


 写真はない。


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 昨日の十七人を思い出そうとした。


 一人目。


 二人目。


 三人目。


 四人目。


 五人目。


 六人目。


 七人目。


───────────────────────


 途中で。


 止まった。


───────────────────────


「……」


 思い出せない。


 一人。


 顔が。


 どうしても。


 思い出せない。


───────────────────────


 妄執ちゃんの指が。


 無意識に壁へ伸びた。


 写真を探す。


 ない。


───────────────────────


 呼吸が。


 少しだけ。


 速くなる。


───────────────────────


 その時。


 カウンターから。


 コト。


───────────────────────


 音がした。


───────────────────────


 見る。


 そこに。


 昨日使った包み紙が置いてある。


 ダブルチーズバーガー。


 注文番号はない。


 名前もない。


───────────────────────


 ただ。


 包み紙の内側に。


 油で。


 一文字だけ。


 書かれていた。


───────────────────────



───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 それを見た。


───────────────────────


 そして。


 写真を探していた手を。


 ゆっくり下ろした。


───────────────────────


「……おはようございますわ」


───────────────────────


 返事はなかった。


 それでも。


 妄執ちゃんは。


 開店準備を始めた。


───────────────────────


 午前七時二十分。


 業務端末。


担当者:妄執


対象:未確定


記録:不要


状態:存在


───────────────────────


 そして。


 その下に。


 新しい一行が追加されていた。


存在条件:記録ではない


───────────────────────


 妄執ちゃんは。


 その文字を見た。


 しばらく。


 何も言わなかった。


───────────────────────


 やがて。


 業務端末を閉じた。


───────────────────────


「……存じておりますわ」


───────────────────────


 壁には。


 昨日の写真が。


 一枚もなかった。


 けれど。


 ぱんでむには。


 昨日があった。


───────────────────────


 そして妄執ちゃんは。


 その日初めて。


 カメラを持たずに。


 開店した。

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