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第26話「写真にいないのに、ここにいましたわ」


───────────────────────


 朝。


 妄執ちゃんは、業務端末を見ていた。


 昨日から表示されている。


「担当者指定:——」×一件。


 担当者欄が空白。


 顧客番号もない。


 来店予定もない。


 ただ一つだけ。


状態:継続中


 と表示されている。


───────────────────────


 妄執ちゃんは承認ボタンに指を置いた。


 しかし。


 押さなかった。


「……誰なのでしょうね」


 誰も答えない。


 壁を見る。


 No.441の写真。


 まだ残っている。


 でも。


 No.441の姿は、昨日から少しずつ薄くなっていた。


 外の未来。


 フロアの未来。


 どちらも。


 どちらとも言えないほど。


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真に近づいた。


「おはようございますわ」


 返事はなかった。


「……No.441さん?」


 沈黙。


 写真の中に。


 誰もいない。


───────────────────────


 妄執ちゃんは、写真から目を離した。


 そのままカウンターへ向かった。


 途中。


 椅子が一脚、ずれていた。


 元に戻す。


 テーブルを拭く。


 厨房へ入る。


 鉄板を確認する。


 パティを確認する。


 バンズを確認する。


 チーズを確認する。


 いつもの朝。


 何も変わらない。


───────────────────────


 ただ。


 カウンターの端に。


 一つ。


 バーガーが置かれていた。


 包み紙には、番号が書いてある。


No.441


 妄執ちゃんは止まった。


「……」


 包み紙を開く。


 ダブルチーズバーガー。


 まだ温かい。


───────────────────────


 妄執ちゃんは時計を見る。


 午前七時二十分。


 厨房には誰も入っていない。


 注文端末にも履歴はない。


 業務端末にも。


 No.441の来店記録はない。


 写真にも。


 No.441はいない。


───────────────────────


 それでも。


 バーガーだけがある。


───────────────────────


 妄執ちゃんは、しばらくそれを見た。


「……ご注文、いただきましたの?」


 返事はない。


 それでも。


 妄執ちゃんはバーガーを廃棄しなかった。


 カウンターの端へ置いた。


「お客様がお戻りになるかもしれませんもの」


───────────────────────


◆午前八時十一分


 真意ちゃんが来た。


「昨日の写真は?」


「こちらですわ」


 妄執ちゃんが渡す。


 真意ちゃんはルーペを取り出した。


 写真を見る。


「……」


「どうですの?」


「No.441がいない」


「ええ」


「でも」


 真意ちゃんが写真の隅を指した。


「椅子が一脚ある」


「ええ」


「テーブルも」


「ええ」


「バーガーも」


「ええ」


「……人だけいない」


───────────────────────


 真意ちゃんは写真を裏返した。


 タグを見る。


観測対象:No.441


状態:未決定


固定:保留


 その下に。


 新しい文字が浮かんでいる。


対象存在:確認不能


 真意ちゃんが眉を寄せた。


「存在確認不能?」


「ええ」


「消えたわけじゃない」


「……」


「消えたなら、こうはならない」


「では?」


 真意ちゃんは答えなかった。


───────────────────────


 妄執ちゃんが尋ねる。


「写真からいなくなったら、存在しなくなるのですの?」


「わからない」


「昨日までは、いらっしゃいましたわ」


「うん」


「今はいらっしゃいませんわ」


「うん」


「でも——」


 妄執ちゃんはカウンターを見た。


 No.441のバーガー。


「ここには、いらっしゃった跡がありますわ」


───────────────────────


 真意ちゃんが顔を上げた。


「……跡?」


「ええ」


「何の?」


「お客様がいた跡ですわ」


 妄執ちゃんは淡々と言った。


「椅子がずれていましたわ」


「……」


「テーブルも少し汚れていましたわ」


「……」


「バーガーも置かれていましたわ」


「……」


「だから、いらっしゃったのだと思いますわ」


───────────────────────


 真意ちゃんは何も言わなかった。


 ルーペを持ち直す。


 写真。


 壁。


 床。


 カウンター。


 バーガー。


 妄執ちゃん。


 全部を見る。


 それから。


「秩序ちゃんを呼んで」


「はい」


───────────────────────


◆午前八時四十六分


 秩序ちゃんが来た。


「状況を説明してください」


 真意ちゃんが写真を見せる。


「No.441の姿が消えています」


「写真から?」


「はい」


「現実側は?」


 妄執ちゃんが答える。


「いらっしゃいませんわ」


 秩序ちゃんが端末を見る。


「来店記録はありません」


「はい」


「予約も?」


「ありません」


「監視記録は?」


「該当なしです」


 秩序ちゃんが少し考える。


「では、No.441は現在存在しない?」


「それが——」


 真意ちゃんが遮った。


「そうは言えない」


───────────────────────


 秩序ちゃんが真意ちゃんを見る。


「なぜですか」


 真意ちゃんはカウンターを指した。


 No.441のバーガー。


「それがあるから」


「……バーガー一つで?」


「違う」


 真意ちゃんが周囲を指す。


「椅子」


「……」


「テーブル」


「……」


「注文されたはずのバーガー」


「……」


「そして妄執ちゃんの記憶」


───────────────────────


 妄執ちゃんが顔を上げる。


「私の記憶?」


「昨日、No.441と話したことを覚えてる?」


「ええ」


「何を話した?」


 妄執ちゃんは少し考えた。


「明日をどうするか、と」


「それから?」


「まだ決めていない、と」


「それから?」


「……私も、まだ決めていないと申し上げましたわ」


───────────────────────


 真意ちゃんは頷いた。


「じゃあ、少なくとも——」


 写真を見る。


「昨日、何かがあった」


───────────────────────


 秩序ちゃんが写真を見た。


「ですが、写真にはNo.441がいません」


「ええ」


「記録にもありません」


「ええ」


「それなのに、記憶にはある」


「ええ」


「物理的な痕跡もある」


「ええ」


 秩序ちゃんが黙る。


「……これは記録の欠落ですか?」


 真意ちゃんは首を横に振った。


「違うと思う」


「では?」


「記録されていないんじゃない」


 一拍。


「記録とは別のところに残ってる」


───────────────────────


 妄執ちゃんが聞いた。


「別のところ?」


「うん」


「どこですの?」


 真意ちゃんは答えられなかった。


 ルーペを写真へ向ける。


 何もない。


 No.441の姿。


 ない。


 タグ。


 ない。


 名前。


 ない。


 でも。


 写真の中の椅子だけが。


 ほんの少し。


 沈んでいる。


───────────────────────


 真意ちゃんは呟いた。


「……存在した、ということだけが残ってる」


───────────────────────


 秩序ちゃんが聞く。


「存在したことだけ?」


「たぶん」


「それは何ですか」


 真意ちゃんはしばらく考えた。


「名前がない」


「はい」


「写真にもない」


「はい」


「記録にもない」


「はい」


「でも、完全には消えてない」


「……」


「だったら——」


 真意ちゃんは写真を見た。


「存在した履歴だけが残ってる」


───────────────────────


 妄執ちゃんは、写真を見る。


「存在した履歴……」


「そう」


「それは、写真より強いのですの?」


 真意ちゃんは答えた。


「わからない」


「またですわね」


「うん」


「真意ちゃんでも?」


「うん」


 少しだけ笑う。


「今回は、本当にわからない」


───────────────────────


 その時。


 カウンターから。


 小さな音がした。


 コト。


 三人が振り返る。


 No.441のバーガーが。


 少しだけ。


 移動していた。


───────────────────────


 誰も触れていない。


 包み紙が少し開いている。


 中のチーズが見える。


 妄執ちゃんが近づく。


「……」


 包み紙を見る。


 そこに。


 指で触れた跡が一つ。


 残っていた。


───────────────────────


 妄執ちゃんは、その跡を見た。


「……お召し上がりになったのですわね」


 真意ちゃんが振り返る。


「誰が?」


 妄執ちゃんは答えない。


 ただ。


 バーガーを見ている。


「No.441さんが」


───────────────────────


 秩序ちゃんが言う。


「妄執さん、それは確認できません」


「ええ」


「なら——」


「でも」


 妄執ちゃんが遮った。


「この跡は、本当ですわ」


───────────────────────


 真意ちゃんが息を止めた。


 妄執ちゃんは嘘をつかない。


 それは三人とも知っている。


───────────────────────


 真意ちゃんは、写真をもう一度見た。


 No.441はいない。


 でも。


 写真の中のテーブルに。


 一つだけ。


 指の跡が残っている。


───────────────────────


 真意ちゃんはルーペを下ろした。


「……記録がなくても、痕跡は残る」


「ええ」


「写真が消えても、存在は消えない」


「ええ」


「じゃあ——」


 真意ちゃんは、初めて少しだけ怖そうな顔をした。


「写真って、存在そのものを保存してるわけじゃないのかもしれない」


───────────────────────


 妄執ちゃんが聞く。


「では、何を保存しているのですの?」


 真意ちゃんは答えた。


「……その時の状態」


「状態」


「うん」


「では、人そのものは?」


「写真から出ても残る」


「……」


「写真を消しても残る」


「……」


「だから——」


 真意ちゃんは言った。


「写真は人を閉じ込めているんじゃない」


───────────────────────


 妄執ちゃんは黙って聞いていた。


「人が『そこにいた状態』を固定している」


 妄執ちゃんの目が少しだけ動いた。


「……そこに、いた」


「うん」


「という状態を?」


「たぶん」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を見る。


 No.441はいない。


 それでも。


 そこにいた。


 昨日。


 確かに。


───────────────────────


 その夜。


 妄執ちゃんは、一人で写真の前に立った。


 No.441の写真。


 空っぽ。


 でも。


 消えたわけではない。


 椅子。


 テーブル。


 バーガー。


 記憶。


 声。


 全部が残っている。


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真に向かって言った。


「……No.441さん」


 返事はない。


「どこにいらっしゃいますの?」


 返事はない。


「外ですの?」


 返事はない。


「ここですの?」


 返事はない。


───────────────────────


 妄執ちゃんは少し考えた。


「……どこにいても、よろしいですわ」


 返事はない。


「ただ」


 写真を見る。


「いらっしゃったことだけは、覚えておりますわ」


───────────────────────


 その瞬間。


 写真の隅に。


 ほんの一瞬だけ。


 一文字が浮かんだ。



 妄執ちゃんが目を見開く。


 次の瞬間。


 消えた。


───────────────────────


 翌朝。


 真意ちゃんの部屋。


 昨夜の写真を解析していた。


 タグは空白。


 対象も空白。


 撮影日時も不明。


 なのに。


 最後の欄だけが残っていた。


存在履歴:


 その後ろには。


 何も書かれていない。


 ただ。


 カーソルだけが。


 点滅していた。


───────────────────────


 真意ちゃんは、ルーペを置いた。


「……ここだけは、見えない」


 そして。


 誰もいない部屋で。


 初めて。


 自分自身に向かって言った。


「見えないんじゃない」


 一拍。


「見せてもらえないんだ」


───────────────────────


 その頃。


 妄執ちゃんの業務端末が鳴った。


「担当者指定:——」×一件。


 昨日と同じ。


 空白。


 妄執ちゃんは画面を見た。


 そして。


 今度は承認ボタンを押した。


───────────────────────


 画面に一行だけ表示された。


担当者:妄執


対象:未確定


記録:不要


状態:存在


───────────────────────


 妄執ちゃんは、その文字を見た。


「……存在、ですのね」


 誰も答えない。


 でも。


 カウンターの上。


 昨日のNo.441のバーガーが。


 まだ温かかった。

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