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第24話「写真には、二つの明日がありましたわ」


───────────────────────


 朝。


 妄執ちゃんは、壁を見た。


 昨日の写真。


 No.441がいなくなった写真。


 そして、その隣に増えた一枚。


 No.441と妄執ちゃん。


 二人の間に、扉。


 タグには——


状態:選択中


収容状態:未確定


撮影者:——


 昨日から変わっていない。


───────────────────────


 妄執ちゃんは、写真を見た。


 扉は開いている。


 その向こうは真っ白だった。


 何もない。


 人も。


 机も。


 バーガーも。


 出口も。


 ただ白い。


「……まだ、お決めになっていませんのね」


 返事はなかった。


 妄執ちゃんは写真から目を離した。


 それ以上は見なかった。


───────────────────────


◆午前八時十二分


 真意ちゃんが来た。


「見せて」


「はい」


 妄執ちゃんは写真を渡した。


 真意ちゃんはルーペを取り出す。


 亀裂の入ったレンズ。


 写真へ向ける。


「……」


 しばらく無言。


「どうですの?」


「おかしい」


「いつものことですわね」


「今回は、そういう意味じゃない」


 真意ちゃんがルーペを少し傾けた。


「写真の奥行きが二つある」


「二つ?」


「ええ」


───────────────────────


 真意ちゃんは写真を机の上に置いた。


「妄執ちゃん。こっちから見て」


「はい」


 妄執ちゃんが写真を見る。


 扉の向こう。


 白かった場所に——


 道が見えた。


 長い廊下。


 その先に、外。


 青い空。


 草。


 道路。


 どこかの街。


 No.441が立っている。


 一人で。


 こちらを振り返っている。


───────────────────────


「……外ですわ」


「うん」


「出られたのですの?」


「たぶん」


「たぶん?」


 真意ちゃんは写真を少し回した。


 数度。


 角度を変える。


 すると。


 同じ扉の向こうに——


 別の景色が現れた。


 今度はフロアだった。


 いつものカウンター。


 いつもの厨房。


 No.441が座っている。


 目の前にダブルチーズバーガー。


 妄執ちゃんが向かいにいる。


 二人で話している。


 笑っている。


───────────────────────


 妄執ちゃんは黙った。


「……二つありますわ」


「うん」


「どちらが本当ですの?」


 真意ちゃんは答えなかった。


 もう一度、写真を回した。


 外。


 フロア。


 また外。


 またフロア。


「どちらも、本当みたい」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を見た。


 外へ出たNo.441。


 残ったNo.441。


 どちらも笑っている。


 どちらも穏やかだった。


「……では」


 妄執ちゃんが言った。


「まだ決まっていないのですの?」


「たぶんね」


「写真なのに?」


「写真だから、かもしれない」


───────────────────────


 真意ちゃんがルーペを覗く。


 タグが変わった。


未来候補:2


候補A:退去


候補B:滞在


固定:未実行


観測者:妄執


 真意ちゃんの目が止まる。


「……観測者」


 妄執ちゃんを見る。


「はい」


「ここに、妄執ちゃんの名前がある」


 妄執ちゃんは写真を見る。


「……ええ」


「でも固定はされてない」


「ええ」


「つまり」


 真意ちゃんは少し考えた。


「妄執ちゃんが見たら、どちらかに決まるのかもしれない」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真から目を逸らした。


「……では、見ない方がよろしいのですわね」


「そうとは限らない」


「なぜですの?」


「見ない限り、二つとも残る」


「……」


「でも、二つとも同時には現実になれない」


 妄執ちゃんは黙った。


「どちらかを選ばなければいけないなら」


 真意ちゃんが言った。


「誰が選ぶのかが問題になる」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を見た。


 外のNo.441。


 フロアのNo.441。


 二人とも——


 こちらを見ていた。


 外のNo.441が言う。


「こんにちは」


 フロアのNo.441も言う。


「こんにちは」


 声が重なる。


───────────────────────


 妄執ちゃんは一歩後ろへ下がった。


「……私には、選べませんわ」


 真意ちゃんが言った。


「どうして?」


「どちらも、お客様ですもの」


「……」


「片方だけを選ぶ理由がありませんわ」


───────────────────────


 真意ちゃんはしばらく妄執ちゃんを見ていた。


「じゃあ、選ばない?」


「ええ」


「それでいいの?」


「わかりませんわ」


 妄執ちゃんは写真を壁へ戻した。


「ただ——」


 写真を固定する。


「私が決めることではありませんもの」


───────────────────────


◆午後十二時


 業務端末が鳴った。


「担当者指定:妄執」×一件。


 顧客番号。


No.441


 状態。


来店中


 妄執ちゃんは画面を見た。


 フロアには誰もいない。


 カウンターにも。


 厨房にも。


 客席にも。


 No.441はいない。


 それでも端末には。


来店中


 と表示されている。


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を見た。


 フロア側のNo.441。


 確かに座っている。


 バーガーを食べている。


「……来てくださっているのですわね」


 写真の中のNo.441が頷く。


「はい」


「では、こちらに?」


「はい」


「……」


 妄執ちゃんは、フロアを見た。


 誰もいない。


───────────────────────


 今度は写真を少し傾ける。


 外側の未来。


 No.441が道路を歩いている。


 振り返る。


 こちらを見る。


「今日は、来ません」


 妄執ちゃんの手が止まった。


「……ええ?」


「今日は、ここへ来ません」


「でも——」


「来ないことを選びました」


───────────────────────


 妄執ちゃんは、もう一度写真を見る。


 フロア側のNo.441。


「私は来ました」


 外側のNo.441。


「私は来ません」


 同じ顔。


 同じ声。


 同じ人。


───────────────────────


 真意ちゃんが息を呑んだ。


「……未来が二つあるんじゃない」


「え?」


「No.441が二人いるんじゃない」


 ルーペを写真へ向ける。


「一人のNo.441が、まだ二つの選択肢を持ってる」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を見つめた。


「……それなら」


「うん」


「写真は、未来を保存しているのではありませんの?」


「たぶん違う」


「では、何を?」


 真意ちゃんは答えた。


「選べる状態を保存してる」


───────────────────────


 その言葉を聞いた瞬間。


 写真の中の二人のNo.441が——


 同時に振り返った。


 外のNo.441。


 フロアのNo.441。


 二人が互いを見る。


───────────────────────


 外のNo.441が言った。


「あなたは、残るんですか?」


 フロアのNo.441が答えた。


「あなたは、出るんですか?」


「たぶん」


「私も、たぶんです」


 二人とも笑った。


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真に近づいた。


 でも。


 触れなかった。


 見続ける。


 固定しない。


 ただ、見ている。


───────────────────────


 しばらくして。


 外のNo.441が言った。


「妄執さん」


「はい」


「あなたは、どちらがいいですか?」


 妄執ちゃんは答えなかった。


「残ってほしいですか?」


「……」


「帰ってほしいですか?」


「……」


「どちらでもいいですか?」


 妄執ちゃんは目を伏せた。


「……どちらでも、ありませんわ」


「?」


「あなたが選んだ方が、よろしいと思いますの」


───────────────────────


 写真の中が静かになった。


 外のNo.441が笑った。


「ありがとうございます」


 フロアのNo.441も笑った。


「ありがとうございます」


 そして。


 二人が同時に一歩、動いた。


───────────────────────


 写真が揺れた。


 片方が消える。


 妄執ちゃんが目を見開いた。


「……!」


 しかし。


 消えたのではなかった。


 二つの未来が——


 一つの写真の中で重なった。


───────────────────────


 外。


 フロア。


 外。


 フロア。


 一枚の写真の中で、二つの景色が交互に重なる。


 No.441が歩く。


 止まる。


 戻る。


 また歩く。


 選ぶ。


 やめる。


 選び直す。


───────────────────────


 真意ちゃんがルーペを落とした。


「……これは」


「どうしましたの?」


「固定されない」


「ええ」


「妄執ちゃんが見てるのに」


「……ええ」


「どうして?」


 妄執ちゃんは写真を見る。


 そして。


 小さく言った。


「……私が、選んでいないからではありませんの?」


───────────────────────


 真意ちゃんが止まった。


「……そうか」


「何がですの?」


「観測固定って、観測した人が決めることじゃない」


「……」


「観測した対象が、自分で状態を決めた時に——」


 真意ちゃんは言葉を止めた。


 ルーペを拾う。


「その状態だけが固定されるんじゃない?」


───────────────────────


 妄執ちゃんは、写真のNo.441を見た。


「……では」


「うん」


「自由に選んだ状態を、私が見た時だけ——」


「固定される」


「……」


 妄執ちゃんは少し考えた。


「それは……」


 言葉を探す。


「保存、なのですわね」


 真意ちゃんが答えた。


「たぶん」


───────────────────────


 その夜。


 妄執ちゃんは写真を壁に戻した。


 まだ二つの未来が重なっている。


 外へ出る未来。


 ここに残る未来。


 どちらも消えない。


 どちらも決まらない。


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真に向かって言った。


「……お好きな方をお選びくださいませ」


 返事はなかった。


 しばらくして。


 写真の中のNo.441が——


 一歩だけ動いた。


 外へ向かって。


 そして。


 止まった。


───────────────────────


 妄執ちゃんは見ていた。


 でも。


 固定されなかった。


───────────────────────


 その瞬間。


 写真のタグが、一行だけ書き換わった。


観測対象:No.441


観測者:妄執


状態:選択中


固定条件:対象本人による選択


固定処理:待機


───────────────────────


 妄執ちゃんは、それを読んだ。


 そして。


 初めて。


 写真の前で笑った。


「……待ちますわ」


 今度は。


 誰かを待たせるためではなく。


 誰かが自分で決めるまで。


 待つために。


───────────────────────


 翌朝。


 壁の写真を見る。


 二つの未来は、まだある。


 しかし。


 昨日まで二つだった景色の間に——


 小さな三つ目の道ができていた。


 どこへ続いているのか。


 妄執ちゃんには、まだ見えなかった。


 だから。


 見なかった。


 ただ。


「……おはようございますわ」


 とだけ言った。


 写真の中から。


 No.441の声が返った。


「おはようございます」


 その声は——


 昨日より少しだけ。


 自由だった。

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