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22/27

第22話「来なかった方が、写真にいましたわ」


───────────────────────


 翌朝。


 妄執ちゃんは、いつもより少し早く目を覚ました。


 鳥籠型ベッドから出る。


 リボンを整える。


 顔を洗う。


 壁を見る。


 七百万枚の写真。


 その中央に、一枚。


 No.441の写真。


 昨日までは——


 ただの写真だった。


 今は違う。


 写真の中に、フロアがある。


 カウンターがある。


 妄執ちゃんがいる。


 そして。


 No.441がいる。


───────────────────────


 写真の中のNo.441は、笑っていた。


 昨日と同じ服。


 昨日と同じ席。


 昨日、実際に座っていた席。


 テーブルの上には、ダブルチーズバーガー。


 半分ほど食べられている。


 妄執ちゃんは写真を見た。


「……昨日の続きですわね」


 写真の中の自分が頷いた。


「ええ」


 妄執ちゃんは少し首を傾げた。


「昨日は、ここまででしたかしら」


 写真の中の自分は答えない。


 No.441がバーガーを一口食べた。


 そして。


 写真の中の妄執ちゃんに言った。


「ごちそうさまでした」


 妄執ちゃんは黙った。


 その言葉は——


 昨日、実際には聞いていない。


───────────────────────


 妄執ちゃんは時計を見た。


 午前六時四十三分。


 開店まで、まだ五時間以上ある。


 業務端末を見る。


 今日の担当予定。


 一件。


 担当者指定:妄執。


 顧客番号。


 空欄。


 妄執ちゃんは画面を閉じた。


「……今日も、誰かいらっしゃいますのね」


 写真の中の自分が、先に答えた。


「ええ」


「どなたですの?」


「お客様ですわ」


「それは存じていますわ」


 少し間。


 写真の中の妄執ちゃんが笑った。


「……まだ、存じていないお客様ですわ」


───────────────────────


 午前十一時五十九分。


 開店一分前。


 妄執ちゃんはカウンターに立っていた。


 昨日と同じ場所。


 昨日と同じ姿勢。


 昨日と同じ笑顔。


 ただ一つ。


 今日は——


 No.441が来る予定だった。


───────────────────────


 十二時。


 扉が開く。


 客が一人、入ってきた。


 妄執ちゃんは顔を上げた。


「いらっしゃいませ」


「こんにちは」


 知らない客だった。


 妄執ちゃんは端末を確認した。


 番号が表示される。


 No.442。


「ご注文をお伺いいたしますわ」


 No.442はメニューを見た。


「ダブルチーズバーガーを」


「かしこまりましたわ」


 妄執ちゃんは厨房へ向かった。


───────────────────────


 十二時十二分。


 No.442はバーガーを食べていた。


 妄執ちゃんは壁の写真を見た。


 中央。


 No.441の写真。


 昨日の未来が写っている。


 No.441がいる。


 バーガーを食べている。


 笑っている。


 妄執ちゃんは写真を見た。


 それから、フロアを見た。


 No.441はいない。


───────────────────────


 十二時二十分。


 まだ来ない。


 十二時三十分。


 まだ来ない。


 一時。


 二時。


 三時。


 四時。


 No.441は来なかった。


───────────────────────


 閉店。


 最後の客が帰った。


 妄執ちゃんはカウンターを拭いた。


 厨房を片づけた。


 鉄板を消した。


 照明を落とした。


 そして。


 壁を見る。


 No.441の写真を見る。


 写真の中では——


 No.441が、まだ笑っていた。


「……いらっしゃらなかったですわね」


 写真の中の妄執ちゃんが答えた。


「ええ」


「今日は、一度も」


「ええ」


「では、この写真は——」


 妄執ちゃんが写真に近づいた。


 写真の中のNo.441が、こちらを見た。


「こんばんは」


 妄執ちゃんは止まった。


「……こんばんは」


「今日は、忙しかったですね」


「……ええ」


「No.442さんも来ましたし」


 妄執ちゃんの指が止まった。


 No.442。


 その番号を、写真の中のNo.441が知っている。


 写真の中では——


 昨日の続きしか存在しないはずなのに。


───────────────────────


 妄執ちゃんは小さく尋ねた。


「あなたは、今日を知っていますの?」


 写真の中のNo.441が笑った。


「今日?」


「ええ」


「今日は、今日でしょう?」


「……そうですわね」


「明日も来ます」


 妄執ちゃんは顔を上げた。


「……明日?」


「はい」


「どこへ?」


 No.441は、写真の中のフロアを見渡した。


「ここへ」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真から離れた。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 壁に背中が当たった。


「……でも」


 小さく呟く。


「今日は、来ませんでしたわ」


 写真の中のNo.441が首を傾げた。


「来ましたよ」


「……ええ?」


「私は、今日ここにいました」


「……」


「あなたと話しました」


「……」


「バーガーも食べました」


 写真の中のテーブル。


 半分になったバーガー。


 空になったコップ。


 椅子。


 No.441。


 妄執ちゃん。


 全部がある。


 今日、実際には存在しなかった時間。


───────────────────────


 妄執ちゃんは、写真を見た。


 そして初めて。


 少しだけ怖い顔をした。


「……どちらが、本当ですの?」


 写真の中の妄執ちゃんが答えた。


「どちらも、本当ですわ」


「……」


「写真の中では」


 写真の中の妄執ちゃんが、そう続けた。


「私は、お客様をお迎えしましたわ」


───────────────────────


 その夜。


 真意ちゃんが呼ばれた。


 割れたルーペを持って。


「これですわ」


 妄執ちゃんが写真を渡す。


 真意ちゃんは写真を見る。


 ルーペを近づける。


 レンズの亀裂が、わずかに光った。


「……昨日の写真じゃない」


「ええ」


「今日の写真でもない」


「ええ」


「じゃあ、何?」


 妄執ちゃんは答えない。


 真意ちゃんがさらに見る。


 写真の裏側。


 タグが浮かぶ。


記録対象:No.441


状態:来店済


来店時刻:12:03


退店時刻:16:41


注文:ダブルチーズバーガー


担当:妄執


 真意ちゃんが止まった。


「……全部、記録されてる」


「ええ」


「でも、現実には来ていない」


「ええ」


「おかしい」


「そうですわね」


 真意ちゃんはルーペをさらに近づけた。


 最下層。


 昨日と同じ項目。


撮影者:妄執


撮影時刻:明日 00:00:00


 真意ちゃんの眉が動いた。


「……また明日」


「ええ」


「撮影時刻が、明日になってる」


「ええ」


「じゃあ、この写真は明日撮られる」


「ええ」


「なのに、写真の中では今日が終わってる」


「ええ」


 真意ちゃんはルーペを下ろした。


「妄執ちゃん」


「はい」


「あなた、未来を見てるんじゃない」


「……」


「未来を——」


 真意ちゃんは言葉を選んだ。


「未来を、もう終わったことにしてるんじゃない?」


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を見た。


 No.441が笑っている。


 今日来なかったNo.441。


 今日の中にいるNo.441。


 そして。


 写真の中の妄執ちゃん。


 今日の妄執ちゃんより、先にいる。


「……そういうことなのですの?」


 真意ちゃんは首を横に振った。


「わからない」


「真意ちゃんでも?」


「わからないから、怖い」


───────────────────────


 そのとき。


 写真の中から声がした。


「妄執さん」


 二人とも写真を見る。


 No.441が立っている。


「はい」


「今日、来ましたよ」


 妄執ちゃんは少し考えた。


「……ええ」


「じゃあ、明日も来ます」


「……ええ」


「約束します」


 妄執ちゃんは目を伏せた。


「……それは、約束しなくても——」


 そこで止まった。


 写真の中のNo.441を見る。


 No.441は笑っている。


 妄執ちゃんは言い直した。


「……お待ちしていますわ」


───────────────────────


 真意ちゃんが帰ったあと。


 妄執ちゃんは一人になった。


 壁を見る。


 七百万枚の写真。


 その中の一枚。


 No.441。


 今日来なかった人。


 でも写真の中では——


 確かに今日を過ごした人。


───────────────────────


 妄執ちゃんは椅子を持ってきた。


 写真の前に座った。


 しばらく黙っていた。


「……私は、あなたを見ていますわ」


 写真の中のNo.441が笑った。


「はい」


「だから、あなたはここにいるのですの?」


「はい」


「では——」


 妄執ちゃんは少し迷った。


「私が見なければ、あなたはどうなりますの?」


 写真の中のNo.441が止まった。


 初めて。


 答えなかった。


───────────────────────


 妄執ちゃんは写真を見つめた。


 そして。


 ゆっくり目を閉じた。


「……」


 見ない。


 ただ、それだけ。


 写真を見ない。


 声も聞かない。


 確認もしない。


 記録もしない。


 妄執ちゃんは、初めて。


 自分の仕事をしなかった。


───────────────────────


 一分。


 二分。


 三分。


 壁は静かだった。


 写真から声がしない。


 妄執ちゃんは目を閉じたまま。


「……まだ、いらっしゃいますの?」


 答えはない。


「……No.441さん?」


 答えはない。


 さらに一分。


 妄執ちゃんは、目を開けなかった。


───────────────────────


 その瞬間。


 写真の中で——


 椅子が動いた。


 誰も見ていないのに。


 No.441が立ち上がった。


 写真の中の扉を開けた。


 昨日まで存在しなかった扉だった。


 外へ続いている。


 No.441は振り返った。


 写真の外を見た。


 しかし、妄執ちゃんは見ていない。


 だから——


 固定されなかった。


───────────────────────


 No.441は写真の中を歩き始めた。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 昨日までなら、存在しなかった場所へ。


 写真の中のフロアから。


 写真の中の外へ。


───────────────────────


 妄執ちゃんは目を閉じている。


 だから知らない。


 写真の中の人物が、


 初めて——


 妄執ちゃんの観測から離れた。


───────────────────────


 午前零時。


 妄執ちゃんの個室の時計が鳴った。


 目を開ける。


 壁を見る。


 No.441の写真。


 そこには——


 誰もいなかった。


 テーブルもない。


 バーガーもない。


 椅子もない。


 ただ、空っぽのフロアがある。


───────────────────────


 妄執ちゃんは立ち上がった。


 写真へ近づく。


「……No.441さん?」


 返事はない。


 もう一度。


「……お客様?」


 返事はない。


 妄執ちゃんは写真に手を伸ばした。


 触れる寸前。


 止めた。


「……」


 そして。


 手を下ろした。


「……見なければ、よかったのかもしれませんわね」


 違う。


 妄執ちゃんは少し考えた。


「……見ない方が、よかったのかもしれませんわ」


───────────────────────


 翌朝。


 業務端末が鳴った。


「担当者指定:妄執」×一件。


 妄執ちゃんは画面を見た。


 顧客番号。


No.441


 来店予定。


本日 12:00


 妄執ちゃんは、しばらく画面を見つめた。


 そして。


 承認した。


───────────────────────


 壁を見る。


 No.441の写真。


 まだ空っぽ。


 昨日までそこにいた人は、いない。


 でも写真の端。


 ほんの小さなところに。


 一つだけ。


 昨日まで存在しなかった文字があった。


「また来ます」


 妄執ちゃんはそれを読んだ。


 しばらく黙っていた。


 そして。


 笑った。


「……お待ちしていますわ」


 今度は——


 写真に向かってではなかった。


 誰もいないフロアに向かって。


 ただ一人。


 客が来る前のカウンターで。


 妄執ちゃんは待っていた。


───────────────────────


 その日の写真には。


 まだ、何も写っていなかった。

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