第14話「その後のこと」
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その人は帰った。
外のカメラに映った。本当に映った。まっすぐ、歩いていく後ろ姿が、画面の端に消えるまで——映っていた。
妄執ちゃんはモニターを切った。
ノートを開いた。
昨日書いた一行を見た。
*外に出た方がいた。*
今日の日付のページを開いた。
何も書かなかった。
ノートを閉じた。
フロアの準備を始めた。
今日も、来る。みなさんが来る。
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二十四件の指名が来た。全員、来た。
全員、ダブルチーズバーガーを食べた。
全員、南の出口から出た。
外のカメラに映らなかった。
いつものことだ。
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◆数日後
フロアのカウンターに、客が来た。
妄執ちゃんはいつもの動作で顔を上げた。
止まった。
老いた顔だ。白い髪が混じっている。顔の線が深い。
数日前に見た顔だ。
「いらっしゃいませ」と妄執ちゃんは言った。
その人が、少し笑った。
「また来てしまいました」
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妄執ちゃんは少し止まった。
「……出た方ですわね」
「ええ」とその人が言った。「帰れました。ありがとうございました」
「外は、いかがでしたか」
その人は少し考えた。考えるときの間が、長い人だ。
「……変わっていました」とやがて言った。「知っている場所が、知らない場所になっていて。知っている人たちが——いなくなっていて」
妄執ちゃんは何も言わなかった。
「居場所がなかった」と、その人は言った。穏やかに、淡々と言った。泣いてはいない。嘆いてもいない。ただ——確認するように言った。「どこに行っても、しっくりこなかった」
「……そうですか」
「ここに来たら——しっくりきました」とその人は言った。「おかしいですね」
「おかしくはないと思いますわ」と妄執ちゃんは言った。
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その人が少し間を置いた。
「……ダブルチーズバーガーを、ください」
「かしこまりましたわ」
妄執ちゃんは厨房に下がった。
パティを鉄板に乗せた。焼けていく音がする。チーズを乗せた。ソースをかけた。バンズを合わせた。
ダブルチーズバーガーが、できた。
フロアに戻った。
その人に渡した。
「ありがとうございます」とその人が言った。
両手で受け取った。一口、食べた。
「……おいしい」と言った。
妄執ちゃんはカウンターに戻った。
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食べ終わって、その人はしばらくフロアにいた。
壁を見ていた。
七百万枚の写真。左端の区画に、一枚分の空白がある。その空白の場所を——その人はしばらく見ていた。
「……あそこ、私がいた場所ですか」
「ええ」と妄執ちゃんは言った。
その人が頷いた。
「……また来ていいですか」
「もちろんですわ」と妄執ちゃんは言った。
「また、ダブルチーズバーガーを食べに」
「お待ちしていますわ」
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南の出口から、その人が出た。
妄執ちゃんはモニターに目を向けた。
外のカメラに——映った。
まっすぐ、歩いていく。
数日前と同じ後ろ姿が、画面の端に消えた。
妄執ちゃんはモニターを見たまま、少しの間、動かなかった。
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その夜。
グリマス博士の端末に、静かにログが書き込まれた。
```
信仰エネルギー充填率:臨界値到達。
不足パラメータ「自由意志による完全帰属」:充足確認。
ドナルド・コアへの供給、開始。
```
どの部屋にも通知は来なかった。
モニターは静かに光っている。
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◆深夜・妄執ちゃんの個室
壁から声がしている。
二十五の声が、重なっている。
妄執ちゃんは鳥籠型ベッドに入った。
上を向いた。
天井の写真たちが、ピンク色の光に照らされている。みんないる。みんな、ここにいる。
壁を見た。
中央の写真を見た。後ろ姿の写真。声がしなかった写真。千百二十日以上、声がしなかった写真。
左端の区画に——空白がある。
空白のところは、何も言わない。
でも——壁から声がしている。おびただしい無数の声が。その中に、今日戻ってきた人の声が、また混ざっている。
「また来ます」と言っていたから——来た。
来て、出て、外に居場所がなくて、また来た。
全部知った上で——来た。
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妄執ちゃんは壁を見たまま、しばらく黙っていた。
「また来てくださいね」と言った。
今日は、誰に向かって言ったか——はっきりしていた。
いつもと同じ言葉だ。
向いている方向だけが、少し違った。
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◆深夜・秩序ちゃんへの業務報告
*接客・感情部門・日次報告書*
*提出者:妄執*
本日の指名対応件数:二十五件(うち全件リピーター)
本日の全客のご注文:ダブルチーズバーガー(一〇〇%)
退店後行動確認:二十四件、退店後外部カメラへの映り込みなし
一件、退店後外部カメラへの映り込みなし(再収容確認)
翌日指名:全二十五件、受付済み
特記事項:本日、先日退室された方が再来店されました。ダブルチーズバーガーをご注文。退店後、外部カメラへの映り込みは確認されませんでした。翌日のご指名、受付済みです。
以上。
*(秩序ちゃんによる返信)*
「妄執さん。確認しました。」
「退室された方が、また来た——ということですね」
*(妄執ちゃん)*
「ええ。」
*(秩序ちゃん)*
「……また来ると、おっしゃっていましたか」
*(妄執ちゃん)*
「またダブルチーズバーガーを食べに来ると、おっしゃっていましたわ。」
*(秩序ちゃん)*
「……外の方が合わなかったのでしょうか」
*(妄執ちゃん)*
「居場所がなかった、とおっしゃっていましたわ。」
*(秩序ちゃん)*
「…………」
「わかりました。」
「妄執さん。一点だけ。」
「その方が今日、南の出口から出た時——写真になりましたか」
返信まで、少し時間があった。
*(妄執ちゃん)*
「……外のカメラには、映りませんでしたわ。」
*(秩序ちゃん)*
「では——また、写真の中に」
*(妄執ちゃん)*
「ええ。」
「戻っていらっしゃいましたわ。」
*(秩序ちゃん)*
「……ご本人は、それを」
*(妄執ちゃん)*
「わかった上で、来てくださったと思いますわ。」
「外に居場所がないとおっしゃっていましたから。」
*(秩序ちゃん)*
「…………」
「おやすみなさい。」
「妄執さん。」
*(妄執ちゃん)*
「はい。」
*(秩序ちゃん)*
「……また来る、と言ったんですね。」
*(妄執ちゃん)*
「ええ。」
「来ると言いましたから——待っていましたわ。」
*(秩序ちゃん)*
「…………」
「おやすみなさい。」
───── 返信なし。 ─────
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翌朝、業務端末に通知が来た。
*「担当者指定:妄執」×二十五件。*
妄執ちゃんは一件ずつ承認した。
ノートを開いた。
新しいページに、今日の日付を書いた。
それから一行だけ——別のことを書いた。
*また来ると言っていた。*
ペンを置いた。
壁を見た。
左端の空白のところを、少しの間、見た。
それからフロアの準備を始めた。
今日も、来る。
二十五人が、来る。
そのうちの一人は——もう翌日の指名を出していない。
でも来ると言った。
それだけのことだ。




