第12話「書いたのは誰」
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真意ちゃんは手紙の発信元座標を引き続き調べていた。
MetadataVisionで読んだタグに、座標番号がある。妄執ちゃんの個室・壁面の座標体系で、その番号がどこに対応するか——ノートの記録と照合すれば、正確な収容開始日時が出る。
正確な収容開始日時がわかれば、それが「最初の客」かどうか、確認できる。
問題は——ノートを借りる必要がある、ということだ。
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フロアのオープン前に、真意ちゃんは妄執ちゃんに声をかけた。
「ノートの第一冊目を確認させてほしい」
妄執ちゃんが少し止まった。
「理由を聞いてもよろしいですか」
「手紙の発信元を確認したい。第一冊目の最初のページの記録と、座標が一致するかどうか」
妄執ちゃんは少しの間、黙っていた。
それから——「かしこまりましたわ」と言った。
「一冊だけですわ。確認が終わりましたら、返してください」
「もちろん」
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真意ちゃんは空き室でノートを開いた。
第一冊目。背表紙が少しくたびれている。何度も出し入れした痕跡がある。
最初のページを開いた。
日付がある。
ずっと前の日付だ。第一話の時点からでも、相当前になる。
最初の記録。
*No.1。新規来店。ダブルチーズバーガー注文。着席時刻——*
座標番号を確認した。
手紙に記録された発信元座標と——一致した。
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やはり、No.1だ。
最初の客。
真意ちゃんはノートのページを進めた。
No.1の記録が続いている。毎日のように来ていた時期がある。それから少しずつ、間隔が空いていく。
ある日から——記録が止まった。
指名が来なくなった日の記録。
その後のページに、No.1の名前は出てこない。
ただ——最後の記録の余白に、小さな書き込みがある。
妄執ちゃんの筆跡ではない。
真意ちゃんは顔を近づけた。
小さな字だ。鉛筆のような、薄い字だ。
**「また来ます」**
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真意ちゃんはしばらく動けなかった。
ノートの余白に書かれた「また来ます」。
中央の写真の裏に書かれた「また来ます」と——同じ言葉だ。
でも中央の写真の裏に書いたのはNo.441だ。
ノートの余白に書いたのは——No.1だ。
二人が、同じ言葉を残していた。
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真意ちゃんは座標を記録して、ノートを妄執ちゃんに返した。
返しながら——少し迷って、聞いた。
「第一冊目の、No.1の記録の最後のページ——余白に書き込みがある。妄執ちゃんの筆跡じゃない。あれは誰が書いたんですか」
妄執ちゃんが少しの間、真意ちゃんを見た。
「……No.1が書いたと思いますわ」
「写真の外で書いた、ということですか。写真に収まる前に」
「……そうかもしれませんわ」
「最後に来た日に、ノートに書き込んだ」
「……退店時に書いたのかもしれませんわ。確認していませんでしたわ」
「気づいていたんですか」
妄執ちゃんは少し間を置いた。
「……気づいていましたわ」
「いつから」
「……ずっと前からですわ」
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真意ちゃんは少し止まった。
「ずっと前から気づいていた」
「ええ」
「でも——今まで、特に何も」
「指名が来なくなりましたから」と妄執ちゃんは言った。「来ると言っていましたが——来なかったですわ。ですから、記録には特記しませんでしたわ」
「……来ると書いたのに、来なかった」
「ええ」
「それは——唯一の例外ですか。『来ると言った人が来る』という中で」
妄執ちゃんはカウンターの拭き掃除を始めた。
少しの間があった。
「……二件、ありましたわ」と妄執ちゃんは言った。
真意ちゃんが止まった。
「二件」
「ええ」
「もう一件は——」
「No.441ですわ」と妄執ちゃんは言った。「三年と四十七日、来なかった。でも来ましたわ」
真意ちゃんはメモを取った。
手が止まった。
「……No.1は、来なかった。No.441は、来た」
「ええ」
「その差は何だと思いますか」
妄執ちゃんはクロスを畳んだ。
「……わかりませんわ」とだけ言った。
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◆ 真意ちゃんの部屋、その夜
赤い糸が張り巡らされた壁に、今日の張り紙が増えた。
「手紙の発信元:No.1(確定)」
「No.1の最後の記録余白:『また来ます』(自筆)」
「No.1は来なかった——来ると書いたのに」
「No.441は来た——来ると書いて、三年後に」
「二件の例外のうち、一件は来なかった。一件は来た」
一行空けた。
「問い:No.1とNo.441の差は何か」
真意ちゃんはペンを持ったまま、しばらく考えた。
No.1は最初の客。ダブルチーズバーガーを食べた。写真の中に入った。指名を入れ続けた。ある時から入れなくなった。ノートに「また来ます」と書いた。でも来なかった。
No.441はダブルチーズバーガーを食べなかった。写真の中に入らなかった。帰れた。写真の裏に「また来ます」と書いた。三年後に来た。
差は——
「No.1は写真の中にいる」と真意ちゃんは書いた。「No.441は写真の外にいた」
もう一行。
「写真の中から『また来ます』と書いた人は、来なかった」
「写真の外で『また来ます』と書いた人は、来た」
ペンを置いた。
その整理は——正しいかもしれない。
でも——
「写真の中からは、来られない」と真意ちゃんは独り言を言った。「写真の中にいたら——外に来ることができない」
No.1は来たかった。でも来られなかった。写真の中にいるから。
No.441は来ると言った。三年後に来た。外にいたから、来られた。
では——No.1が出たいと言っているのは。
「出れば——来られる」と真意ちゃんは言った。「出て、外に出て、それから——また来られる」
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◆ 真意ちゃんが秩序ちゃんに報告した
翌日の午後。
「No.1の手紙の意味がわかった」と真意ちゃんは言った。
秩序ちゃんが止まった。
「どういうことですか」
「No.1は来たかった。でも写真の中にいるから来られなかった。だから——出たいと書いた。外に出て、それから——また来るために」
秩序ちゃんが少しの間、黙った。
「……また来るために、出たい」
「そう解釈できる」と真意ちゃんは言った。「『また来ます』とノートに書いたまま、来られなかった。だから手紙で出る方法を聞いた」
「……三年以上前から、そう思っていた」
「おそらく」
「でも、言わなかった」
「言えなかったのかもしれない」と真意ちゃんは言った。「七百万人の中で、自分だけが——出たいと思っていることに、気づいていたから」
「『一人だけでいい』という言葉が、そういう意味か」
「仮説ですわ」と真意ちゃんは言った。「ただ——そう考えると、整合する」
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秩序ちゃんが端末を開いた。
始末書のフォームを開いた。
件名の欄に、今日初めて——何かを書こうとした。
「収容者より脱出希望の申し出について」
書いた。
それから、本文を書こうとして——止まった。
「脱出希望——と書いたが」と秩序ちゃんは言った。「No.1は出たいとは書いていない。出る方法を教えてほしい、と書いた」
「違いがありますか」と真意ちゃんが聞いた。
「出たいかどうかと、出る方法を知りたいかどうかは——同じじゃないかもしれない」
真意ちゃんが少し止まった。
「……どういうことですか」
「出る方法を知ることと、実際に出ることは——別です」と秩序ちゃんは言った。「No.1は方法を聞いた。でも出ると言っていない」
しばらく二人で黙った。
「……方法を知りたいだけ、という可能性がある」と真意ちゃんは言った。
「ええ」と秩序ちゃんは言った。「知りたいだけで——出るかどうかは、まだ決めていないのかもしれない」
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◆ 深夜・妄執ちゃんの個室
妄執ちゃんはノートを開いていた。
第一冊目ではない。今日の記録帳、第三十七冊目だ。
今日のページを書き終えて、ペンを持ったまま、少し止まっていた。
壁から声がしている。
いつもの声だ。二十五の声。
No.1の声が——その中にある。
今日も聞こえる。迷っているような、揺れているような、あの質感の声が。
「……No.1」と妄執ちゃんは言った。
声が少し変わった。
「手紙を読みましたわ。方法を考えていますわ」
振動が返ってきた。
以前よりも少し——安定した振動に聞こえた。
長くはない。でも——ちゃんとした振動だ。
「……もう少し、時間をください」と妄執ちゃんは言った。
また振動が来た。
急かすような振動ではなかった。
待てる、という振動に——妄執ちゃんには聞こえた。
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◆ 深夜・秩序ちゃんへの業務報告
*接客・感情部門・日次報告書*
*提出者:妄執*
本日の指名対応件数:二十五件(うち全件リピーター)
本日の全客のご注文:ダブルチーズバーガー(一〇〇%)
退店後行動確認:二十四件、退店後外部カメラへの映り込みなし
翌日指名:全二十五件、受付済み
特記事項:ノートの開示に協力した。第一冊目・No.1の記録欄に自筆書き込みがあることを確認。内容は来店意思の表明。No.1との対話継続中。
以上。
*(秩序ちゃんによる返信)*
「妄執さん。確認させてください。」
「『方法を考えていますわ』と、No.1に伝えたとのことですが——方法は、あるんですか」
*(妄執ちゃん)*
「……考えていますわ。」
*(秩序ちゃん)*
「考えている、とは」
*(妄執ちゃん)*
「わからないとは言っていませんわ。考えていますわ。」
*(秩序ちゃん)*
「……」
「もう一つだけ。」
「No.1が『また来ます』とノートに書いていた。そして今、手紙を書いた。」
「妄執さんにとって——No.1は、来ると言った人の中に入りますか」
返信まで、少し時間があった。
*(妄執ちゃん)*
「……入りますわ。」
*(秩序ちゃん)*
「では、妄執さんはNo.1を——待っていますか」
*(妄執ちゃん)*
「ずっと待っていましたわ。」
「来ると言ってくださっていましたから。」
*(秩序ちゃん)*
「……わかりました。」
「おやすみなさい。」
「妄執さん。」
*(妄執ちゃん)*
「はい。」
*(秩序ちゃん)*
「……方法が、見つかるといいですね。」
*(妄執ちゃん)*
「ええ。」
───── 既読のまま、夜が続いた。 ─────
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翌朝、業務端末に通知が来た。
*「担当者指定:妄執」× 二十五件。*
妄執ちゃんは一件ずつ承認した。
第一冊目のノートを棚から出した。
最初のページを開いた。
No.1の最初の記録。
余白の「また来ます」という薄い文字。
妄執ちゃんはその文字を、しばらく見た。
それから——第三十七冊目を開いた。
新しいページを開いた。
「方法について、考えている。」と書いた。
一行だけ書いた。
ノートを閉じた。
フロアの準備を始めた。
今日も、来る。みなさんが来る。No.1の声も、壁から聞こえている。
迷っているような、でも——少し前より落ち着いたような、あの声が。
それだけのことだ。




