第46話 家事と畑
翌朝。
国王が工房へ入ると、すでにサファイアが炉の前に立っていた。
「おはよう、兄弟子さん」
「おはよう」
サファイアは国王の顔を見るなり、にこりと笑う。
「ちゃんと来たね」
「来るって言っただろ」
「昨日は疲れてたから、来ないかと思った」
「そこまで軟じゃない」
「でも、昨日かなり疲れてたよね」
「……まあな」
国王は肩を回す。
昨日の修行の疲れが、まだ身体の奥に残っていた。
鉄下駄。
兎跳び。
鉄鉱石を箸で運ぶ修行。
そして大量の水を担いで石段を何往復もした。
思い返してみれば、よく一日でここまでやったものだ。
「肩、痛い?」
「少しな」
「じゃあ、今日は無理しない方がいいよ」
「お前が言うと、何となく腹が立つな」
「なんで?」
「お前は平気そうだから」
「私は鍛冶師だから」
「俺も鍛冶師だ」
「まだ修行中でしょ?」
「……」
国王は言い返せなかった。
サファイアが楽しそうに笑う。
「じゃあ、今日も頑張ろうね」
「ああ」
その笑顔を見ていると、不思議と身体の疲れも少しだけ軽くなった気がした。
その時だった。
「朝から何を遊んでやがる」
師匠が奥から出てきた。
「遊んでません」
「話してただけ」
「それを遊んでるって言うんだ」
師匠は二人の前へ、二本の槌を置いた。
そして、その横へ一本の鉄を置く。
「今日はこれだ」
国王が鉄を見る。
「釣り針ですか?」
「違う」
「じゃあ何です?」
「鍬だ」
「……鍬?」
国王は少し驚いた。
「釣り針の次は鍬ですか?」
「鍛冶師が釣り針しか作らねえと思ってるのか?」
「そういう意味じゃありません」
サファイアが鉄を持ち上げる。
「これ、二人でやるの?」
「ああ」
師匠は頷いた。
「二人で仕上げろ」
「二人で?」
「そうだ」
「一人では?」
「一人でやるより難しい」
国王は嫌な予感を覚えた。
「なぜです?」
「相手がいるからだ」
「……」
師匠はそれ以上説明しなかった。
「打て」
国王とサファイアは金床の前に並ぶ。
国王が槌を握る。
サファイアも構える。
「まず兄弟子から」
「はい」
国王が槌を振り上げた。
「今!」
カァン!
鉄が鳴る。
「次!」
サファイアが打つ。
カァン!
「次!」
国王。
カァン!
サファイア。
カァン!
最初は順調だった。
だが、数回続けたところで、微妙にタイミングがずれた。
「今!」
「え、今?」
「今って言っただろ!」
「早いよ!」
「お前が遅いんだ!」
「兄弟子さんが早いの!」
カァン!
二本の槌が危うく重なった。
「危ない!」
サファイアが咄嗟に国王の腕を掴む。
「!」
国王の動きが止まった。
サファイアの手が、しっかりと国王の腕を掴んでいる。
二人の距離が近い。
「……」
「……」
なぜか、どちらもすぐには動かなかった。
「どうした?」
師匠の声が飛んでくる。
「!」
サファイアが慌てて手を離す。
「な、何でもない!」
「そうです」
国王も咳払いする。
「ちょっと槌がぶつかりそうになっただけです」
「そうか」
師匠は二人を見る。
その口元が、ほんの僅かに緩んでいる。
「なら、続けろ」
「はい!」
「うん!」
二人は再び鉄へ向き直った。
だが、先ほどまでとは少し違う。
お互いを意識してしまう。
国王は槌を握り直した。
「……」
隣を見る。
サファイアもこちらを見ていた。
目が合う。
「何?」
「いや」
「何?」
「何でもない」
「変なの」
サファイアが笑う。
国王も苦笑した。
「今度はちゃんと合わせよう」
「うん」
「俺が合図する」
「分かった」
国王が鉄を見る。
「一、二――」
カァン!
サファイアが続く。
カァン!
今度は完璧だった。
「……」
二人とも顔を見合わせる。
「できた」
「できたな」
少し嬉しい。
それだけなのに、妙に胸が弾んだ。
「もう一度」
カァン!
カァン!
また合う。
今度も合う。
さらに一度。
カァン!
カァン!
鉄が少しずつ平らになっていく。
国王は、相手の動きを見なくても分かるようになっていることに気づいた。
サファイアが槌を上げる。
自分も自然に動く。
呼吸が合っている。
「……面白いな」
国王が呟く。
「何が?」
「二人で打つのも悪くない」
「私もそう思う」
サファイアが嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、国王も自然に笑った。
しばらくして、鉄は鍬の形へ近づいていく。
師匠が二人の作業を止めた。
「よし」
師匠は鉄を持ち上げる。
「形はいい」
「本当ですか?」
「ああ」
国王が胸を張る。
「じゃあ、合格?」
「まだだ」
「ですよね」
「使ってみろ」
師匠は鍬を国王へ渡した。
「使う?」
「鍛冶師が道具を作ったなら、道具として使えるか確かめろ」
工房の裏手には、小さな畑がある。
国王は鍬を肩に担いだ。
「なるほど」
サファイアも鍬を持つ。
「行こう」
「お前もやるのか?」
「二人で作ったんだから、二人で試すの」
「そういうものか」
「そういうもの」
二人は畑へ向かった。
国王が鍬を振り下ろす。
ザクッ。
土が綺麗に割れた。
「おお」
思わず声が出る。
「いいな、これ」
「でしょ?」
サファイアも鍬を振る。
ザクッ。
「使いやすい」
「だな」
二人は並んで土を耕し始めた。
ザクッ。
ザクッ。
夕方までやるのかと思っていた国王だったが、意外にも作業は楽しかった。
鍛冶場では鉄と向き合う。
畑では土と向き合う。
自分たちが作った道具が、ちゃんと役に立っている。
その感覚が嬉しかった。
しばらくして、サファイアの額に汗が浮かんだ。
国王はそれに気づいた。
「休むか?」
「大丈夫」
「無理するな」
「兄弟子さんこそ」
「俺は大丈夫だ」
「昨日、あんなに疲れてたのに?」
「……」
サファイアが笑う。
「やっぱり休もう」
「お前もだろ」
「私は平気」
「それは聞き飽きた」
「じゃあ、兄弟子さんが休んで」
サファイアが国王の手から鍬を取った。
「私がやる」
「いや、二人の修行だろ」
「少しだけ」
サファイアが一人で鍬を振る。
ザクッ。
ザクッ。
国王はその姿を見つめた。
汗で前髪が額に張り付いている。
頬が少し赤い。
それでも、楽しそうに土を耕している。
「……」
なぜか、目を離せなかった。
「兄弟子さん?」
「ん?」
「どうしたの?」
「いや」
国王は慌てて視線を逸らした。
「何でもない」
「変なの」
サファイアが笑う。
国王は胸の中に生まれた妙な感覚を、疲れているせいだと思うことにした。
「……昨日の修行の疲れだな」
「何が?」
「独り言だ」
「ふーん」
サファイアは少しだけ首を傾げた。
だが、それ以上は聞かなかった。
その様子を、工房の陰から師匠が見ていた。
「……」
隣には熊五郎が立っている。
「よろしい雰囲気でございますな」
「鍛冶の話だ」
「もちろんでございます」
「なら黙ってろ」
「承知しました」
数秒後。
「……なるほど」
「お前は本当に黙れ」
「申し訳ございません」
師匠は畑を見る。
二人は並んで鍬を振っている。
時々、顔を見合わせて笑う。
まだ二人とも、自分たちの間に生まれ始めたものが何なのか分かっていない。
だが――。
鍛冶を通じて、少しずつ距離は縮まっていた。
そして、その日の帰り道。
「兄弟子さん」
「なんだ?」
「明日も一緒にやろうね」
「ああ」
国王は何気なく答えた。
だが、その一言を口にした瞬間。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。
サファイアも、嬉しそうに笑った。
「約束ね」
「ああ」
二人は並んで歩いていく。
夕暮れの村に、二人の足音が重なって響いていた。




