第41話 修行−8
国王が苦笑すると、サファイアが横から口を挟んだ。
「でも、おじいちゃんの修行って、変なのばっかりだよ」
「箸とか」
「水運びとか」
「鉄下駄とか」
「兎跳びとか」
サファイアは、これまでの修行を指折り数えていく。
国王もその一つ一つを思い返した。
確かに、普通の鍛冶修行とは言い難い。
鉄を打つどころか、鉄下駄を履いて走らされる。
箸で小さな鉄鉱石を一粒ずつ運ばされる。
水の入った桶を担いで、長い石段を何度も往復する。
挙げ句の果てには、兎のように跳ねさせられた。
鍛冶師を目指しているはずなのに、
いつの間にか身体そのものを鍛える修行になっている。
国王は頷いた。
「確かにな」
師匠は鼻を鳴らした。
「全部必要だ」
「鍛冶師の身体は、鍛冶場だけじゃ作れねえ」
「日常の動き全部が修行になる」
師匠は石段の上にある水瓶へ目を向けた。
「重い物を持つ」
「長い時間立つ」
「細かい物を扱う」
「足元が悪い場所でも身体を崩さねえ」
「そういう一つ一つが、鉄を扱う時に生きてくる」
国王は黙って聞いていた。
これまで、何度も思った。
なぜこんなことをするのか。
なぜもっと直接的に、槌の振り方を教えてくれないのか。
なぜサファイアは簡単にできることが、自分にはこんなにも難しいのか。
だが、少しずつ分かってきた。
師匠は、単純に身体を鍛えているわけではない。
鉄を扱うために必要な感覚を、
身体そのものへ染み込ませようとしているのだ。
理不尽で、説明不足で、時々意味が分からない。
それでも、その一つ一つには、
長年鉄と向き合ってきた職人なりの理由がある。
国王は自分の手を見る。
槌を握る手。
箸を握る手。
桶を担ぐ身体。
全部が同じ自分の身体だ。
「……分かりました」
国王は静かに言った。
「しばらく付き合いますよ」
師匠は国王を見る。
その口元が、ほんの僅かに緩んだ。
「しばらく?」
「帰る気か?」
「いや」
国王は立ち上がった。
疲労は残っている。
肩も痛い。
脚も重い。
それでも、もう逃げようとは思わなかった。
「鍛冶師になるまでです」
師匠の表情が、一瞬だけ柔らかくなる。
「そうか」
短い言葉だった。
だが、その声にはどこか嬉しそうな響きがあった。
師匠にとって、弟子が戻ってきたということは、
それだけで特別なことだったのかもしれない。
しかし――。
次の瞬間。
「なら、明日からもっと厳しくする」
「……やっぱり言わなきゃよかった」
国王は頭を抱えた。
サファイアが吹き出した。
「あはは!」
「兄弟子さん、頑張って!」
「他人事だと思って……」
「私もやるよ」
「本当か?」
「もちろん」
サファイアは笑った。
「でも、兄弟子さんよりはできると思う」
「……お前な」
「何?」
「いや、もういい」
夕暮れの石段に、三人の声が響く。
昼間の厳しい修行が嘘だったかのように、
村には穏やかな空気が流れていた。
その少し離れた場所では、熊五郎が静かに国王を見守っていた。
そして、いつものように人差し指を鼻筋へ添える。
「……なるほど」
国王が振り返る。
「何がなるほどなんだ?」
「いえ」
熊五郎は執事そっくりの仕草で眼鏡を押し上げる。
「明日は倍だそうです」
「聞いてたのか!」
熊五郎は静かに頷いた。
「もちろんでございます」
「お前も手伝え!」
「私は応援担当でございます」
「そこは執事を見習わなくていい!」
サファイアがまた笑う。
師匠まで、肩を震わせている。
国王は呆れながらも、つられて笑ってしまった。
今日一日。
身体は散々鍛えられた。
何度も疲れ、何度も弱音を吐いた。
それでも、久しぶりに心から笑った気がする。
かつて自分が鍛冶師だった頃。
師匠の隣で槌を握っていた頃。
あの頃も、こんな一日があったのだろう。
厳しい修行の合間に笑いがあり、
くだらない言い争いがあり、それでも最後にはまた金床の前へ戻る。
国王は、そんな昔の記憶を胸の奥に感じていた。
そして思う。
帰ってきたのだ。
自分は、本当にここへ帰ってきたのだと。
夕暮れの空を見上げる。
赤く染まった雲の向こうで、夜の気配が少しずつ広がっている。
「……明日か」
国王が呟く。
サファイアが隣で笑う。
「うん」
「明日も修行だよ」
「……分かってる」
国王は苦笑した。
そして、師匠の後を追って歩き出す。
その腰に、まだ鉄下駄の重さが残っていた。




