第18話 旅立ち (前編)
──翌朝。
王城の中庭には、一台の小さな馬車が停められていた。
王族専用の豪華な馬車ではない。
頑丈な木で組まれた荷馬車に、簡素な幌を掛けただけの質実剛健な造りだ。
遠目には、どこにでもいる旅商人の馬車と変わらない。
朝日を浴びた車輪が鈍く光り、荷台には旅支度が少しずつ積み込まれていた。
「……グルル」
熊公は荷台へ顔を突っ込み、大きな鼻で荷物を一つひとつ確かめている。
外套の筈なのに……。
やがて布袋を見つけると、鼻先で器用に引き寄せた。
干し肉だった。
「グル!」
嬉しそうに尻尾を振る。
「駄目だ」
国王が即座に止める。
熊公は聞こえないふりをして袋をくわえた。
「それは非常食だ。今日全部食べる気か」
熊公は名残惜しそうに袋を見つめる。
「グル……」
「戻せ」
数秒の葛藤の末、渋々荷台へ戻した。
ただの外套なのに。
その様子を見ていた執事が思わず苦笑する。
「……本当に言葉を理解しておりますね」
「そして、本当に外套ですか?」
「食い物だけはな」
国王も苦笑した。
「だから油断できない」
熊公は不満そうに鼻を鳴らした。
そして外套に関する答えはない。
「グルル」
「文句を言うな」
国王は熊公の頭を軽く叩く。
そして優しく撫でる。
熊公は満足そうに目を細めた。
執事は積み荷へ目を向け、確認を始める。
「着替え三日分」
「保存食七日分」
「水袋四つ」
「鍛冶道具一式」
「携帯炉……まで積まれるのですか」
国王は当然という顔でうなずいた。
「向こうで鉄を見つけたら打ちたくなるだろ」
「師匠の村へ行くんですよ」
「だからだ」
そう言って荷台から一本の金槌を取り上げる。
柄は何度も削り直され、手の形に合わせて滑らかになっていた。
鉄の頭には幾度となく焼き直した跡が残っている。
新品とは程遠い。
それでも、不思議と風格があった。
国王は懐かしそうに柄を撫でる。
「それもお持ちになるのですか」
「先生にもらった最初の金槌だ」
「柄は三回替えた」
「頭も何度も焼き直した」
「それでも手に馴染む」
軽く振る。
空気を切る音が心地よい。
「捨てる理由がない」
執事はその金槌を見つめた。
王国一の鍛冶師となった男が、今も弟子時代の道具を使い続けている。
その理由が少しだけ分かった気がした。
熊公も興味津々で金槌へ鼻を近づける。
外套なのに。
「駄目だ。それは噛む物じゃない」
「グル」
熊公は素直に引き下がる。
「今日は聞き分けがいいですね」
「朝飯を食べたからだ」
「外套がですか?」
やっぱり返事がない。
そんなやり取りをしているうちに、中庭へ人が集まり始めていた。
門番。
庭師。
料理長。
女中たち。
若い兵士。
いつもなら仕事に取り掛かっている時間だ。
それでも皆、手を止めて国王を見送りに来ていた。
「陛下!」
若い兵士が大きな声を上げる。
「私達も同行するべきでしょうけど……お気を付けて!」
料理長も頭を下げる。
「先生によろしくお伝えください!」
女中たちも笑顔で手を振った。
「お土産を楽しみにしております!」
国王は笑い返す。
「土産は鉄でいいか」
「困ります!」
女中たちが声を揃えて答えた。
中庭に笑いが広がる。
熊公まで「グルル」と喉を鳴らし、楽しそうに尻尾を振った。
国王は少しだけ真面目な顔になる。
「先生はな」
「護衛を何十人も連れて来るような弟子を一番嫌う」
「俺は弟子として会いに行く」
「国王としてじゃない」
皆んなはしばらく黙っていた。
執事は静かに納得する。
「昔から、一度決めると変わりませんな」
国王は笑う。
「よく知ってる。だから諦めろ」
「はいはい」
執事は苦笑しながら襟元を整えた。
「では、せめて定期的に連絡だけは。政務に関わりますので」
「努力する」
「努力では困ります」
「善処する」
「もっと困ります」
そのやり取りに、中庭から再び笑い声が上がった。




