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紅き竜と黄金の少女  作者: Waffle87
第一章「伝説の再起」
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第4話「ただの旅人」

翌朝、赤髪の旅人は日が高くなる前に宿を出た。

特に急ぐ用事があるわけでもないらしく、村の通りを気の向くままに歩いている。


朝食の席でも、宿の主人から「せっかく来たんだから神殿くらい見ておいた方がいい」とまた勧められたのだが、本人は「気が向いたらな」と答えただけだった。


どうやら、本当にあまりその気がないらしい。

昨日から何かと村人の視線を集めていることにも、どうやら本人はまだ気づいていない。広場を抜け、南側の畑へ続く道へ差しかかった時だった。


前方から大きな物音がした。木材が激しく軋んだかと思うと、続いて重いものが石畳へ倒れ込む音が響く。


「うわっ!」


声のした方を見ると、一台の大きな荷車が道端で横転していた。

どうやら前輪が石畳の窪みに乗り上げ、そのまま均衡を崩したらしい。

荷台には穀物を詰めた麻袋や木箱が山ほど積まれていたが、幸い下敷きになった者はいなかった。ただ、御者の方は驚いて暴れる馬を落ち着かせるので手いっぱいだった。


すぐに近くにいた男たちが駆け寄ってくる。


「馬を外せ!」


「その前に荷台を起こせるか?」


体格のいい男が四人、横倒しになった荷車の側面に手を掛けた。


「せーの!」


掛け声に合わせて一斉に力を込める。

しかし荷車は鈍く軋んだだけで、ほとんど動かなかった。


「重てぇな……!」


「先に荷物を下ろした方が早い!」


そんな声が飛び交う中を、赤髪の旅人がちょうど通りかかった。大柄な姿に一瞬だけ目を向けたものの、今は人を選んでいる場合ではない。


「すまん、あんたも手ぇ貸してくれないか」


「これか?」


「ああ。五人なら少しは……!」


男が言い終える前に、旅人は荷台の縁へ片手を掛けた。そして、そのまま何気なく腕を持ち上げる。

ゴトン、と重い音がした。

横倒しになっていた荷車が、そのまま起き上がった。


「…………」


四人の男が黙った。御者も黙った。

赤髪の男だけが何事もなかったようにしゃがみ込み、荷車の下を覗き込んでいる。


「車軸は無事だな。前輪も割れていない」


「……ああ」


「なら問題ない」


それだけ確認すると、男は荷車から手を離した。


「あ、あんた……」


御者が何か言おうとした頃には、もう旅人は歩き始めている。

残された四人は、元通りになった荷車と、遠ざかっていく大きな背中をしばらく交互に眺めていた。


「今、片手だったよな」


「……だったな」


誰もそれ以上は言わなかった。

少なくとも本人にとっては、人助けと呼ぶほど大したことではなかったらしい。そのまま何事もなかった顔で、村の南へ向かって歩いていく。


しばらく進むと、通りの端に小さな露店が見えてきた。

並べられた籠の中には、乾燥させた草や木の実、小瓶に詰めた粉末などが所狭しと並んでいる。店番をしているのは、腰の曲がった老婆だった。


旅人はその前を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。

籠の一つに目を留める。


「これは、どこで採った」


老婆が顔を上げた。


「ん?」


男が指差していたのは、細長い灰緑色の葉だった。


「ああ、それかい。北の森だよ。最近じゃあんまり生えなくなってねえ」


「北の森?」


旅人は一本取り上げると、指先で葉を軽く擦り、その匂いを確かめた。


「……なるほど」


「薬草に詳しいのかい?」


「多少はな」


老婆は笑った。

「そいつは熱冷ましだよ。煎じて飲ませるとよく効く」


ところが、男は葉から目を離さないまま首を振った。


「そのままでは駄目だ」


「え?」


葉を裏返し、細い葉脈を指先で示す。


「これはまだ若い。ここに白い筋が残っているだろう。この時期のものには、根から上がった毒がわずかに残っている」


老婆の顔から笑みが消えた。


「毒?」


「死ぬようなものではない。ただ、熱を出している者に飲ませれば胃を傷める」


男は籠の中から何本か取り出し、一枚ずつ確かめていった。


「三日ほど水に晒してから陰干しにすれば使える。急ぐなら茎を捨てて、葉だけを一度湯に通せ。それから乾かせばいい」


老婆はしばらくぽかんとしていた。


「……そんな話、聞いたことないよ」


「今はそうなのか」


あまりにも何気なく返された言葉に、老婆が眉を寄せる。


「今は?」


「いや」


旅人は葉を籠へ戻した。


「昔はそうしていた」


「昔って、あんた幾つだい」


「さてな」


老婆は冗談だと思ったらしく、声を立てて笑った。


「見たところ、私よりは若いじゃないか」


男も、それにつられるようにわずかに笑っただけだった。

そこへ店の奥から若い女が出てきた。


「おばあちゃん、これどうするの?」


手にしているのは、小さな青い花の束だった。

老婆が振り返る。


「ああ、それは捨てようと思ってたんだよ。去年から薬に使えなくなっちまってね。乾かすと全部黒くなるんだ」


赤髪の男が花を見る。


「見せてくれ」


若い女は少し戸惑ったものの、そのまま束を差し出した。

旅人は茎を指で押し、次に花弁の根元を確かめる。


「育てた場所を変えただろう」


老婆が目を丸くした。


「……去年から畑の東側へ移したけど」


「土が合っていない。これは石灰の多い土地では育たん」


「そんなことまで分かるのかい?」


「茎が硬すぎる」


男は一本だけ茎を折った。

断面は、本来なら白いはずのところがわずかに黄色く変色している。


「昔は川沿いで育てていたはずだ」


「いやいや、昔って……」


老婆はそこで言葉を止めた。何か思い当たったらしい。


「そういえば、爺さんの頃は川の近くに畑があったって聞いたことがあるね」


「なら戻せばいい。水はけが良すぎる場所より、少し湿った土の方が育つ」


「肥料は?」


「要らん。むしろやるな」


「どれくらい間隔を空ければいい?」


「一尺半ほどだな。密集させると根が腐る」


聞けば聞くほど答えが返ってくるものだから、老婆の方もいつの間にか完全に商売人の顔になっていた。

しばらく質問を続けたあと、とうとう真顔で男を見る。


「……あんた、本当に何者なんだい」


男の方は、むしろ質問の意味が分からないという顔をした。


「旅人だ」


「旅人はそんなこと知らないよ」


昨日から何度目になるのか分からないやり取りだった。

男がそのまま立ち去ろうとすると、老婆が慌てて呼び止めた。


「ちょっと待ちな」


乾燥させた果実をいくつか袋へ放り込み、そのまま差し出してくる。


「持ってきな。金はいらないよ」


「別に何かを貰うつもりで言ったわけではない」


「知ってるよ。だからやるんだ」


男はしばらく袋を見ていたが、やがて受け取る。


「……では、ありがたく貰おう」


「それでいい」


老婆は満足そうに笑った。

男が立ち去ってから、店の奥にいた若い女がそっと尋ねる。


「知り合い?」


「今日初めて会ったよ」


「じゃあ誰?」


「知らないねえ」


老婆は腕を組み、遠ざかっていく赤い髪を眺めた。


「ただ、薬草を売って五十年になる私より詳しい旅人なんて、初めて見たよ」


昼を過ぎる頃には、その話はすでに村のあちこちへ広がり始めていた。

話す人間が変わるたびに細かいところは少しずつ違っていたが、結局のところ、誰もが同じ結論に辿り着いていた。

どうやら、昨日村へやって来たあの男は普通の旅人ではないらしい。

当の本人は、そんな噂が立っていることなど知る由もない。


ちょうどその頃、広場の食堂で昼食を取っていた。

出されたパンを手で千切り、煮込み料理に浸して口へ運ぶ。

しばらく黙って食べていたが、皿が半分ほど空いたところで店主を呼び止めた。


「これはなかなか旨いな」


「そりゃどうも」


店主は少し嬉しそうに笑った。

男は食事を終えると普通に代金を払い、礼を言って店を出ていった。

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