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紅き竜と黄金の少女  作者: Waffle87
第一章「伝説の再起」
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18/21

第18話「少しくらい、ゆっくり」

昼食を終えて酒場を出た頃には、午後もだいぶ進んでいた。


店先へ出たゼルグは、一度大きく息を吐いた。ようやく腹が満たされたせいか、村へ戻ってきた時より幾分機嫌がよさそうに見える。


その隣を、クリスティーンが歩いていた。

昼食の間だけでも相当な数の質問を浴びせたはずなのだが、まだ聞き足りないらしい。何度かゼルグの方を見ては、何か言いかけて口を閉じている。


二人が村の中央を抜け、英雄神殿の前へ差しかかった時、通りの向かいで店の庇を直していた年配の男が、脚立の上からゼルグを見つけて手を上げた。


「おう、兄ちゃん!」


ゼルグが足を止める。


「今度暇な時でいいから、うちの屋根も見てくれ!」


「何故、戻るたびに仕事が増えるのだ」


「得意なんだろ?」


「得意だと言った覚えはない」


「でも前にあっという間に直したじゃねえか」


ゼルグは何か言い返しかけたが、結局面倒になったらしい。


「……暇ならな」


「頼んだぞ!」


男は満足そうに作業へ戻った。


「もう完全に村の便利屋さんですね」


「笑い事ではない」


「でも、結局断らないじゃないですか」


「大した手間ではないからだ」


「そういうところですよ」


ゼルグが怪訝そうに見る。


「何の話だ」


「何でもありません」


クリスティーンは楽しそうに答え、それ以上説明しなかった。


しばらく歩くと人通りが減り、道の片側には低い石垣、その向こうには畑が広がった。春も深まり、土から伸びた若い芽が風に揺れている。


そこでようやく、ゼルグは隣が妙に静かなことに気づいた。


「先ほどから随分静かだな」


「え?」


「酒場では、こちらが食う暇もないほど喋っていただろう」


「私だって、ずっと喋ってるわけじゃないですよ」


「そうなのか?」


「失礼ですね」


そう返したものの、クリスティーンは少し困ったように笑った。

本当は、ずっと聞こうか迷っていた。昼食の間にも機会はいくらでもあったのに、これだけは何となく切り出せなかったのだ。


少し歩いてから、ようやく口を開く。


「ゼルグさん」


「今度は何だ?」


「今度は……どれくらい、この村にいるんですか?」


何でもない質問のように聞いたつもりだった。だが、最後の方だけ少し声が弱くなった。

ゼルグはすぐには答えなかった。


「さてな。今のところ、数日はいるつもりだが」


「数日……」


「前と同じくらいになるかもしれん」


クリスティーンの肩が、ほんの少し下がる。それを見たゼルグが横目を向けた。


「何か不満か?」


「いえ」


「そうは見えん」


「そんなに顔に出てます?」


「分かりやすいぞ」


クリスティーンは少し唇を尖らせた。


「……また、すぐ行っちゃうんだなって思っただけです」


「旅をしている以上、いずれは出る」


「それは分かってますけど」


「村の者からは、好きなだけいて構わんとは言われているが」


「じゃあ、いてくださいよ」


間髪を入れずに返された。

今度はゼルグが彼女を見る。


「好きなだけいていいって言われてるんでしょう?」


「そうではあるが」


「なら、最初から数日って決めなくてもいいじゃないですか」


「何故そこまで長居させたがる」


聞かれて、クリスティーンは言葉に詰まった。

なぜそこまで、と改めて聞かれると、自分でも上手く説明できない。

ただ、せっかく戻ってきたのに、またすぐ旅立たれるのは何となく面白くなかった。


目の前の男は、長い年月を各地を巡りながら生きてきた。伝承にも、紅き竜ゼルグ・グラヴェルドは大きな戦いの後も世界を見守り続けた、とある。


「そういえば……本には、ゼルグさんがずっと世界を守ってきたって書いてありました」


「随分と大袈裟な書き方だな」


「でも、各地を見て回ってたんですよね?」


「それは事実だ」


「二千年ずっと?」


ゼルグは少し考えた。


「ずっと歩き回っていたわけではない。長く一つの土地に留まった時期もあるし、人里から離れていたこともある。ただ、何か異変があれば見に行く程度のことはしていた」


「じゃあ、その二千年の間に……昔みたいな大きな戦いって、何回くらいあったんですか?」


「昔みたいな?」


「国がいくつも巻き込まれるとか、世界そのものが危なくなるような」


それを聞いて、ゼルグは少し眉を寄せた。


「そこまでのものはないな」


「一度も?」


「二千年前の戦いと並べられるようなものは、一度もない」


国同士の小競り合いなら何度もあった。魔獣が異常に増えた土地もあれば、危険な術へ手を出した者もいる。

しかし、いずれも世界全体へ広がるほどの災厄にはならなかったという。


「じゃあ……基本的には平和だったんですね」


「少なくとも、私が出張らねば世界が滅びるような時はなかった」


「二千年も?」


「人間には長いのだろうな」


「長いですよ」


クリスティーンは畑の向こうへ目をやった。どこにでもある、穏やかな村の午後だった。


「その間も、何か起きてないか見ながら旅してたんですか?」


「気になる話があれば確かめ、必要なら手を貸す。それが済めば、また別の場所へ行く。その繰り返しだ」


「ずっと?」


「結果的にはな」


クリスティーンは少しだけ黙った。

きっとこの男は今と同じように、どこかの道を歩いていたのだろう。異変があれば確かめ、困っている者がいれば手を貸し、それが終わればまた次へ向かう。

本人にとっては、それが普通なのかもしれない。


「……じゃあ、急いで次へ行く必要ってあるんですか?」


ゼルグが彼女を見る。


「どういう意味だ?」


「だって、今すぐどこかで大変なことが起きてるわけじゃないんでしょう?」


そこでゼルグは少しだけ表情を変えた。


「気になることがないわけではない」


クリスティーンも、彼が西の山から戻ったばかりなのを思い出す。

ゼルグは少し先の道を見ながら続けた。


「西で妙な連中を見た。何を企んでいるのかは、まだ分からん。手掛かりも途切れている」


「危ないんですか?」


「その可能性はある。だから忘れるつもりはない」


声に緊張はなかったが、軽く扱っている様子もなかった。


「何か動きが分かれば、その時は行く。必要なら大陸の端でもな」


それから、少し間を置く。


「だが今は、追えるものがない」


クリスティーンは小さく頷いた。


「じゃあ、今すぐ行かなきゃいけない場所は?」


「今の所は、ないな」


「だったら、もう少しここにいてもいいんじゃないですか?」


少しだけ勢いを取り戻す。

ゼルグは答えず、また歩き始めた。

クリスティーンも隣へ並ぶ。


「村の人たちも、いていいって言ってますし」


「あれは仕事をさせる気も混じっているだろう」


「それは……否定できませんけども、それだけじゃないですよ。今日だって、みんな本当に嬉しそうだったでしょう?」


「大袈裟だ」


「入口にあれだけ集まってたのに?」


「暇だったのだろう」


「素直じゃないなあ」


ゼルグが横を見る。


「何か言ったか?」


「何でもないです」


クリスティーンは少し歩調を緩めた。


「ゼルグさんって、いつも次に行かなきゃいけないって思ってません?」


今度はゼルグの返事が遅れた。


「……そう見えるか?」


「ちょっとだけ」


「各地を見て回れば、何か起きた時に早く気づける」


「それは分かります。でも……」


クリスティーンもゼルグの言うことを否定したいわけではなかった。


「それをずっと続けてたら、いつ休むんですか?」


ゼルグが足を止めた。クリスティーンは二歩ほど進んでから気づき、振り返る。


「休む?別に疲れてはいないぞ」


「そういう意味じゃなくて」


案の定、そこから説明しなければならなかった。

クリスティーンは少し考える。


「ずっと”何か起きるかもしれない”って思って次の土地へ行って、その次へ行って……ってしなくてもいいんじゃないですか、ってことです」


「だが、それが私のやってきたことだ」


「だからですよ」


ゼルグの眉が僅かに動いた。


「二千年もやってきたなら、少しくらい違うことしてもいいじゃないですか。例えば、この村で屋根を直したり」


「結局仕事ではないか」


「例えです!」


「悪い例えだな」


「じゃあ昼まで寝るとか」


「そこまで眠くない」


「広場でぼーっとするとか」


「何のために?」


「何もしないためですよ!」


ゼルグは本気で分からないような顔をした。


「何もしないために、わざわざ時間を使うのか?」


「もう!」


クリスティーンは笑いながら額を押さえる。


「じゃあ、普通に村にいればいいんです。朝起きて、ご飯食べて、人と話して、頼まれたら何か手伝って、疲れたら休む」


「それなら今も似たようなことをしているぞ」


「数日だけじゃなくて、もっとです」


クリスティーンの声が、少しだけ小さくなった。


「一週間でも、二週間でも。一か月でも」


ゼルグは黙って彼女を見る。


「……もちろん、行かなきゃいけないことができたら別ですよ」


「その時は行く」


答えは迷いがなかった。


「だが、何もなければ……確かに、急ぐ理由もないか」


クリスティーンが顔を上げる。


「じゃあ、いてくださいよ」


ゼルグは少しだけ目を細めた。


「随分と簡単に言うな」


「だって、せっかく戻ってきたのに、また数日でいなくなるって聞いたら……」


そこで一度言葉に詰まる。


「何だ?」


「だって、せっかく戻ってきたのに、またすぐいなくなるのはつまらないじゃないですか」


「つまらない?」


「そうですよ。祭りだって一緒にいた方が面白かったし、村のみんなだってもう顔を覚えてますし」


ゼルグは珍しく何も返さなかった。

その顔を見て、クリスティーンが微笑む。


「何ですか、その顔」


「……いや」


「二千年どころじゃないくらい生きてるのに、こんなこと言われたことないんですか?」


「こういう言われ方は珍しいな」


それを聞いたクリスティーンがクスッと笑う。


「だから、そんな困った顔をしてるんですね」


「困ってはいない」


「絶対困ってます。顔に出てますよ」


「決めつけるな」


しばらく言い合ったあと、ゼルグは小さく息を吐き、再び歩き始めた。

クリスティーンもすぐに追いつく。


「それで?もう少しいてくれるんですか?」


今度はゼルグもすぐには答えなかったが、前を向いたまま口を開いた。


「……元々、数日で出ると決めていたわけではない」


クリスティーンが顔を上げる。


「では?」


「手掛かりが出れば西の件を追う。そのほかにも、我が行く必要のあることが起きれば行く」


そこで彼女をちらりと見る。


「何もなければ、もう少しいても構わんだろう」


「本当ですか?」


一気に声が明るくなった。ゼルグが僅かに顔をしかめる。


「だから声が大きい」


「だって!」


「今すぐ出る理由もない。しばらくはいる」


「一週間?」


「何故そこで期限を決める」


「二週間?」


「聞いているか?」


「一か月?」


「増やすな」


クリスティーンは楽しそうに答えた。


「じゃあ、しばらくですね」


「それでいい」


「私もそれでいいです」


「何故お前まで許可する側なのだ」


「気のせいです」


ゼルグは呆れたように息を吐いた。

二人が村の中心へ戻る途中、先ほどの男が屋根の上からゼルグを見つけ、手を振った。


「兄ちゃん!さっきの話、忘れるなよ!」


ゼルグが露骨に嫌そうな顔をする。


「ほら。もう少しいる理由、できましたよ」


「やはり仕事ではないか」


「いいじゃないですか。世界を守るより平和でしょう?」


ゼルグは何か言い返そうとして、少し考えた。

確かに、屋根の修理で世界が滅びることはない。


「……まあ、それはそうだな」


クリスティーンが満足そうに鼻歌を奏でる。

ゼルグはその横顔を一度だけ見て、そのまま歩き続けた。


いつもなら、次にどこへ向かうのかを考え始めている頃だったが、今のところ、その必要はない。

ならばしばらく、この村にいればいい。


ゼルグはそう結論づけた。

少なくとも、屋根を一つ直すくらいの時間はありそうだった。

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