第17話「古い家系」
昼時を少し過ぎた酒場には、まだ遅い昼食を取る村人が何人か残っていた。奥の卓では木こりらしい男たちが酒を飲み、厨房からは肉を煮込む匂いと皿の触れ合う音が漂ってくる。
その一角で、ゼルグはようやく昼食にありついていた。
村へ戻ってから声を掛けられ続け、すっかり遅くなったらしい。
肉と豆の煮込みにパン、根菜のスープ、焼いた芋が並んでいたが、すでに二枚の皿が空になっている。
向かいのクリスティーンも食べていたが、自分の食事どころではなかった。
「じゃあ、本当に二千年前の英雄たちと一緒に戦ったんですね?」
ゼルグは肉を口へ入れたまま頷く。
クリスティーンは周囲に聞かれないように、身を乗り出して彼に話しかける。
「ブリシンガー・ヴァルディアとも?」
「んむ」
「システィーン・メイルフィとも?」
「むぐ」
「バルダー・ガインルフやドゥガル・グリムフォルドも?」
「ん」
クリスティーンは眉を寄せた。
「……何て言ったんですか?」
「へんいんひっへいる……」
「全然分かりません」
ゼルグは片手を上げて少し待てと示し、ようやく肉を飲み込んだ。
「全員知っている、と言った」
「最初から飲み込んでから喋ってくださいよ」
「お前が食っている最中に聞くからだ」
「だって、聞きたいことが多いんです!」
「なら少し待て」
そう言いながら、もうパンをちぎっている。
「……まだ食べるんですか?」
「腹が減っている」
「もう結構食べてますよ?」
「それだけ腹が減っている」
まるで話が通じない。それでもクリスティーンの興味は尽きなかった。
「じゃあ、ブリシンガーって、本当に本に書いてあるような人だったんですか?」
「本とは?」
「神殿にある伝記です。いつも冷静で、ほとんど感情を表に出さなくて、どんな時でも動じない……みたいな」
ゼルグの手が止まる。
「……まあ、大きくは間違っていない」
「じゃあ本当なんだ」
「ただ、妙なところで抜けていたぞ」
「え?例えば?」
「話せば長くなる」
「そこが聞きたいんです!」
「後で話してやる」
「絶対ですよ?」
「分かったから、少し食わせろ」
ようやく引き下がったものの、それも長くは続かなかった。
「じゃあ、システィーンは?」
「何がだ」
「本当に神殿の像みたいな人だったんですか?優しくて、穏やかで、誰に対しても分け隔てなくて……」
ゼルグが小さく鼻で笑った。
「何ですか?」
「いや」
「今、絶対何か思ったでしょう」
ゼルグは肉を食べ終えてから、改めて彼女を見る。
「やはり、お前はあの小娘に似ていると思ってな」
「……小娘?」
「ああ」
「誰のことです?」
「システィーンだ」
クリスティーンの表情が止まった。
「……システィーン・メイルフィを、小娘って呼んでるんですか?」
「他に誰がいる」
「いや、そうじゃなくて……」
世界中で聖女と呼ばれる人物を、目の前の男は当然のように小娘扱いしている。
「それで、似てるって……顔がですか?」
「顔もだな」
「も?」
「性格も似ている」
少し考えてから付け加える。
「ただし、お前の方が騒がしい」
「そこは言わなくていいです!」
声が大きくなり、クリスティーンは慌てて口元を押さえた。近くの客がこちらを見たので、何でもない顔をしてやり過ごす。
「もう……」
「事実だろう」
「そういう問題じゃありません」
そこで、ふと疑問が浮かんだ。
「でも、そんなに似るものなんですかね」
ゼルグはパンを煮込みへ浸しながら答えた。
「血がつながっているからだろう」
クリスティーンが止まった。数秒の沈黙。
「……今、何て言いました?」
「血がつながっていると言った」
「誰と?」
「ブリシンガーとシスティーンだ」
「…………」
「私が?二人の……?」
「子孫だろうな」
今度こそ言葉が出なかった。
「……私が?」
「そう言っている」
「ブリシンガー・ヴァルディアと、システィーン・メイルフィの?」
「ああ」
「子孫?」
「そうだと言っている」
クリスティーンは椅子へ背を預けた。
「……初耳ですよ、そんなの」
「知らなかったのか?」
ゼルグの方が少し意外そうだった。
「知るわけないじゃないですか!うちが昔からこの村にいる家だとは聞いてます。織物もずっと昔からやってるって。でも、それだけです。英雄の子孫だなんて一度も……」
「なるほどな」
「その"なるほどな"で終わらせないでください」
俯いていたクリスティーンが、しばらくして顔を上げる。
「でも待ってください。私が本当に二人の子孫だってことが、何で分かるんですか?。二千年も経ってるんですよね?途中の家系を全部見てきたわけじゃないでしょう?」
「当然だ」
「なら、顔が似てるだけで?」
「それだけなら偶然で済ませる」
ゼルグはようやく食事の手を止めた。
「最初にお前を見た時、顔立ちはシスティーンを思い出させた。髪も目もそうだ。ただ、それだけなら似た人間がいるだけだと思っただろう」
春祭り前の、神殿で子どもに言われたことが頭を過る。
「じゃあ……」
「話してみれば、性分にも似たところがある。お節介で、考えるより先に人へ手を伸ばす」
「お節介……」
「褒めてもいる」
「今つけ足しましたよね?」
ゼルグは構わず続けた。
「そのうえ、この土地で生まれ、昔から織物を生業としてきた家の娘だという」
「……織物?」
「あの小娘の家もそうだった」
クリスティーンは黙った。
家の織機も、幼い頃から嗅いできた糸の匂いも、神殿へ納める祭礼用の布も、自分にはただ当たり前のものだった。
「じゃあ、うちの家って……本当にそんな昔から?」
「途中で何があったかまでは知らん。家名も変わっているだろうし、枝分かれもしているはずだ。だが、それだけではない」
「まだあるんですか?」
赤い目が、彼女の顔ではなく、その奥を見るように細められる。
「お前の中には、かなり大きな魔力が眠っている」
「……私に?」
彼が頷く。
「魔法なんて、ほとんど使えませんけど」
「使えるかどうかの話ではない。まだ表へ出ていないだけだ。人間として見れば、随分と大きなものを内に抱えている」
クリスティーンは思わず自分の胸元を見る。
「……どれくらい?」
「正確には分からない。眠っているものだからな。だが、気配だけでも大きいことは分かる」
「じゃあ、どうしてそれがシスティーンと関係あるって分かるんですか?」
ゼルグの目が僅かに細くなった。
「あの小娘も、人間の身には不釣り合いなほどの魔力を内に抱えていた。同じものではないが、お前のものには似た気配がある。もっとも、この時代にそれを使うことはないだろうがな」
クリスティーンは黙って聞いている。
「顔や家業だけなら偶然も疑った。だが、そこまで重なれば話は別だ」
「……それで、私を見てすぐ?」
「すぐに確信したわけではない。最初は随分と似た娘がいると思っただけだ。お前の家のことを知るうちに、ほぼ間違いないと思うようになった」
ゼルグは少し考えた。
「少なくとも、あの二人の血を引いていることについては疑っていない」
クリスティーンはしばらく言葉を失った。
外見も性格も、この村で生まれたことも、織物の家も、自分さえ知らなかった魔力も。
何の関係もないと思っていたものが、急につながっていく。
「……じゃあ、英雄神殿にあるシスティーンの像って……私の、ものすごく遠い先祖なんですか?」
「そうなるな」
「ブリシンガーも?」
彼が頷いた。
クリスティーンは深く椅子へ座り直した。向かいではゼルグが何事もなかったように食事を再開する。
「ちょっと待ってください」
「何だ」
「今、頭が追いついてないんです」
「そうか」
まるで近所の噂話でも聞いているかのような“そうか”だった。
「普通、もっとこう……家系の秘密とか、荘厳な場所で知らされるものじゃないんですか?」
ゼルグはコップの水を飲んでから答えた。
「何故だ」
「酒場でお肉食べながら聞く話じゃない気がするんです!」
「場所で血筋が変わるわけでもあるまい」
「それはそうですけど!」
また何も言えなくなった。
向かいで昼飯を食べている男は、遥か昔から生きる紅き竜。その男が「小僧」と呼ぶ相手がブリシンガーで、「小娘」と呼ぶ相手がシスティーン。
そして、その二人の血が自分にも流れている。どう考えても大変な話なのに、伝える本人だけが普段通りだった。
しばらくして、クリスティーンが小さく尋ねる。
「……システィーンって、どんな人だったんですか?」
ゼルグは肉へ伸ばしかけた手を止めた。ほんの一瞬、遠いものを思い出すように目を細める。
「そうだな」
少し考えた。
「お前よりは静かだった」
「最初にそれ言います?」
クリスティーンがすぐ顔をしかめると、ゼルグの口元が僅かに緩んだ。
「だが、似ている」
「……本当に?」
「ああ。困っている者を見れば、相手が誰であろうと放っておけなかった。こちらが止めても、自分から面倒事へ首を突っ込む」
「それ、褒めてます?」
「半分はな」
「半分なんだ……」
クリスティーンも少し笑った。
「ブリシンガーは?」
「あの小僧か」
「やっぱり、その呼び方すごく変な感じします」
「我からすれば小僧だ」
「でもブリシンガーって、あなたより―」
「知っている」
ゼルグは少し嫌そうな顔をした。
「奴にも何度も言われた」
「何て?」
再度水を一口飲む。
「"多分、俺の方が年上だと思うぞ"とな」
クリスティーンは一瞬きょとんとしてから笑った。
「じゃあ、分かってて小僧って呼んでたんですか?」
「呼びやすかったからな」
「絶対それだけじゃないですよね」
ゼルグは答えなかった。それでも、そのやり取りだけで少し分かった気がした。
ブリシンガーもシスティーンも、ゼルグにとっては本や石像の中の英雄ではない。昔、一緒に歩き、話し、時には言い合った人間なのだ。
まだ実感などなかったが、先ほどまでよりほんの少しだけ、遠い英雄たちが身近に思えた。
クリスティーンは再び身を乗り出す。
「……もっと聞かせてください」
ゼルグが眉を上げた。
「まだ聞くのか」
「聞きます」
「飯が冷める」
「食べながらでいいです」
「先ほど、口に物を入れたままでは分からんと言っただろう」
「じゃあ、飲み込んでから答えてください」
「注文が多いな」
そう言いながらも、ゼルグは嫌そうにはしていなかった。
ようやくクリスティーンも自分の皿へ手を伸ばす。
二人の昼食は、まだしばらく終わりそうになかった。




