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紅き竜と黄金の少女  作者: Waffle87
第一章「伝説の再起」
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第13話「揺らがぬ計画」

西の山中にあった施設が放棄されてから、まだ半日も経っていなかった。

洞窟を脱出した十数人の魔術師たちは、転移を何度か繰り返した末、別の拠点へ集められていた。


そこがどこにあるのか、建物の中から知ることはできない。窓は一つもなく、分厚い石壁に囲まれた通路が複雑に入り組んでいる。

壁へ一定の間隔で埋め込まれた魔石だけが白い光を放ち、外が昼なのか夜なのかさえ分からなかった。


彼らが通されたのは、そのさらに奥にある大広間だった。

百人が集まってもまだ余裕がありそうな広さがあり、高い天井を何本もの石柱が支えている。床には用途の異なる魔法陣がいくつも刻まれ、奥には数段高くなった壇が設けられていた。


すでに、大勢の魔術師が集まっている。

西の施設にいた者たちが姿を見せるなり、あちこちから声が飛んだ。


「本当に西の拠点を捨てたのか?」

「侵入者は一人だったと聞いたぞ」

「王国の兵ではないのか?」

「警報術式はどうした?ならず者も雇ったのではないのか?」


帰還した者たちは互いに顔を見合わせた。やがて、その中の一人が諦めたように口を開く。


「どこかの国の軍ではない」


「では誰だ」


男は少し間を置いた。


「……ゼルグ・グラヴェルドだと思われる」


それまで騒がしかった広間が、不意に静かになった。

その名を知らない者はほとんどいない。アゼルグラム山脈の守護竜。英雄ブリシンガー・ヴァルディアらと共に古代の戦いを生き抜いたとされる、紅き古竜。


「……確かなのか?」


一人が尋ねる。


「本人が名乗ったわけではない。断定はできん」


「なら、なぜそう思う」


「赤い髪に赤い瞳。人の姿を取り、こちらの術がほとんど通じなかった」


「それだけでは断定できぬ」


「山の外から岩盤を拳で打ち抜いて入ってきた」


言葉を挟もうとした者が黙った。


「……何?」


「入口が見つからなかったから、横から入ったそうだ」


「横から?」


「山を殴ってな」


「外壁の厚さは?」


「少なくとも数十メートルはある」


「それを拳で?」


「本人は“大して厚くなかった”と言っていた」


報告している男自身、口にするほど馬鹿げた話に聞こえるらしい。

別の帰還者が続きを引き取った。


「雷撃も火炎も当てた。大型魔獣を拘束する術まで使ったが、腕を動かしただけで破られた。防御術式も使っていない。少なくとも我々には分からなかった」


「あり得ん」


呆れたような声が広場に響く。


「我々もそう思った」


帰還者は疲れたように答えた。


「炎柱をまともに浴びせても無傷だった。気にしていたのは、外套に火がついたことくらいだ」


妙な沈黙が流れた。

しばらくして、年配の魔術師が低い声で言った。


「赤髪の人型については古写本にも記述がある。数は少ないが、特徴は一致する」


「では、本当に生きていると?」


「ゼルグには、そもそも没年の記録がない。二千年前の時点ですでに古竜と呼ばれていたのだ。我々の寿命を基準に考えても仕方あるまい」


それ以上、正体について話し続ける者はいなかった。代わって、広間の端から別の声が飛ぶ。


「誰だったかは後でいい。それより、西に何を残してきた」


帰還した者たちの表情が変わった。


「資料は?」


「……回収できなかった」


「素体の構造図は」


「一部が残っている」


「核についての記録は?」


返事が遅れた。


「……それもだ」


ざわめきが広がる。


「何をしている!」


「あれ以上残ってたらやられていた、残って回収できる状況ではなかった!」


「原記録は?」


「中核となるものは持ち出していない。西に置いていたのは一部だけだ」


「一部でも十分だ!」


誰かが机を叩いた。


「しかも相手が本当にゼルグなら、何を見ているのか我々とは違う!」


「全容までは分からんだろう」


帰還者の一人が言い返す。


「あの場所にあった資料だけで、我々のやろうとしていることそのものへ辿り着くことはできない」


「今はな」


その一言に、再び空気が重くなった。

古い記録を読み解いている自分たちとは違い、ゼルグはその時代を実際に知っている。

資料に記された一つの言葉、一つの図。それが彼に何を思い出させるのかは、誰にも分からない。


「少なくとも、西方系統の試験は凍結した方がいい。痕跡を拾われる」


誰かが言った。


「あの竜がどこまで資料を読めるのか確認するまでは、同じ形式の設備を使うべきじゃない」


「西方の活動だけ止めればいい」


「それで済むのか?」


「では、接触班を出すか?」


「誰を寄越すつもりだ。あれに正面から近づける人員がいるのか?」


「放置すればこちらの痕跡を辿られる可能性がある」


「十数人で傷一つ負わせられなかった相手を、どう排除する」


次第に声が重なり始める。その時、硬い音が一度だけ広間に響いた。

壇上に、一人の中年の男が立っていた。黒いローブ姿は他の者と変わらないが、フードで顔を隠しおらず白髪。

男は全員が黙るのを待ってから言った。


「あの竜には接触するな。見つけても観察だけに留めろ」


何人かが顔を上げた。


「しかし―」


「こちらから理由を与える必要はない。今のところ、奴が追っているのは西の件だけだ」


低い声だった。


「西の施設は捨てる。残っている人員も撤収させろ。周辺の術式は解除し、中継地点も破棄する」


さらに男は、輸送経路と連絡方法を変更するよう指示を出した。


「素体の試験はどうする?」


誰かが尋ねた。


「西で使った方式だけ捨てろ。第二試作は予定通り進める」


答えに迷いはなかった。


「資料を見られた直後にか?」


「見られたのはほんの一部だ。こちらの研究そのものが失われたわけではない」


問いかけた者が黙る。


「奴は我々を探していたわけではない。近隣の村で目立つ真似をしたから見つかった」


「だが資料を持っていかれた」


「だから西を捨てる」


男は淡々と言った。


「想定外ではある。なら工程を変える。西で使った設備は捨て、残せる研究は残す。それだけだ」


広間が静かになる。


「素体の研究は予定通り続けろ。核についても同じだ。古文書の収集も止めるな」


「原記録に近づけるためか?」


その問いに、男は少しだけ目を細めた。


「近づけること自体が目的ではない」


「では……?」


男はすぐには答えなかった。壇の脇には、一冊の古い本が置かれている。

表紙には、長い年月でほとんど消えかけた紋様が刻まれていた。

魔術師たちにとって、それはただの歴史資料ではない。彼らが信奉する存在へつながる、数少ない古い記録の一つだった。


「我々が持っているのは、断片だけだ。記述も図も、書いた時代によって食い違っている」


男は静かに言った。


「なら、食い違っている部分まで忠実に真似る必要はない」


広間の中で、何人かが顔を上げる。


「どの記録を選んでも、別の記録とは矛盾する。なら最後に形を決めるのは、古文書ではなく我々だ」


「では、異なるものになっても?」


「必要なものが残るならな」


それ以上、男は説明しなかった。ただ、その一言で、この場にいる者たちには意味が通じたらしい。


「文献はまだ要る。ただし、答えを探すためではない。選択肢を増やすためだ」


男は続けた。


「失われたものを知るためには、それしかない」


そこで一度言葉を切る。


「だが、過去に縛られるな」


それは、信仰を捨てろという意味ではなかった。長い年月の中で残った僅かな記録から、彼ら自身の手で求めるものへ辿り着こうとしている。


「西で失ったのは、試作の一つと資料の一部だけだ」


男は広間を見渡した。今度は反論する者はいなかった。


「各自、持ち場へ戻れ」


その言葉を合図に、人々が少しずつ広間を出ていく。


帰還した者たちも、その流れに加わった。その中の一人が、扉をくぐる直前に振り返る。

壇上の男は、すでに別の資料を手に取っていた。


計画を続ける。理屈は分かる。

それでも、洞窟で見た光景が頭から離れなかった。


昼の光とともに現れた赤髪の男。雷も炎も効かず、それでも最後までこちらへ立ち退くよう勧めていた。

もし本当に、あれがゼルグ・グラヴェルドなら。そして、あの資料を見て何かに気づいたなら。

その先を想像したくはなかった。


魔術師は何も言わず、広間を出ていった。

やがて重い扉が閉じる。


静かになった広間で、壇上の男はしばらく資料を読んでいた。やがて手を止め、脇に置かれていた古写本へ目をやる。


頁をめくる。そこには、アゼルグラム山脈に棲む紅き竜について、僅かな記述が残されていた。

人語を解すること。人の姿を取ること。そして、赤い髪を持つ大柄な男として現れたという、古い記録。

男はしばらくその一節を眺めていた。


「……本当に残っていたとはな」


驚きも警戒も、その声にはあった。

だが、それだけだった。


写本を閉じる。

隣には、もっと古い別の書物が積まれている。その表紙には、彼らが長く追い続けてきた名が記されていた。


男はそこへ手を伸ばしかけたが、やめた。

代わりに、机の上に置かれていた研究報告を取り上げる。数頁を読み、筆で短く何かを書き加えた。


ゼルグ・グラヴェルドが生きていた。それは確かに大きな想定外だった。それでも、彼らが何年も追い続けてきたものが、それだけで揺らぐことはなかった。

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