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はちみつ色の求婚(3)

 殿下は、授かった天恵ゆえに交流関係がごく限られていた。


 魅了の瞳。その瞳が見つめたものを虜にしてしまう天恵だ。

 過去に発現した者はその脅威から、一生を隔離して過ごすことを余儀なくされたという。身分を問わず、すべからく。


 わたしが殿下と出会ったのは、その天恵ゆえに王太子としての立場すら危ぶまれていた頃だ。

 殿下いわく、その頃の私はたいへんに捻くれていたんだよ、とおっしゃっていたけれど、そんな言葉で言い表せるほど単純な状況でなかったことはわたしにもわかる。


 誰の本心もみえない。向けられる好意すら、あるいは魅了のそれゆえかもしれない。


 ご両親すら、そのお立場ゆえに愛情をそのまま与えることができない。殿下が天恵をコントロールできなければ、王太子という身分の剥奪さえ辞さなくなる。


 思惑と、見極めと。すべて悪意ではなかったとしても、それらを一身に受けていた殿下の御心を思うと胸が痛くなる。


 そんな中、魅了の瞳を浴びても〝なんともない〟――なんら影響を受けない者があらわれたのだ。周囲が色めき立ったのは当然のことだった。

 おそらく、このときこそ婚約者候補とみなされて、予定調和のお膳立てをされていたように思う。



 そんなこととはつゆ知らず、わたしは殿下と遊ぶのが楽しくて仕方がなかった。


 ずっと王宮の奥深くに閉じ込められていたはずなのに、殿下はさまざまなことをご存じだった。

 遠駆けにもよく一緒に連れていってもらったものだ。この湖にも、いつか幼い日に共に来た。


「きれいだね」


 わたしを見つめながら殿下が言う。

 わたしが頷くと、殿下はやさしいほほ笑みを返した。摘んだ花でせっせと冠をつくり、わたしの頭上に授けてくれる。


「本で読んで、ずっと来てみたかったんだ。君と一緒だとどこまでも行けるね」


 それまでのわたしは、侯爵家に生まれたとはいえ末子に過ぎず、自分に特別なものは何もないと思っていた。優秀な兄や姉たちと比べたら迷子になって困らせてばかり。

 そんなわたしを、殿下は言葉や態度を尽くして特別にしてくれた。そんな殿下を、わたしが特別に思うようになるのは自然なことだった。


 殿下のお役に立つために、勉学に務めはじめたのもこの頃だ。


「先生。わたしにも天恵があるのでしょうか」


 この国の貴族の多くは、なにかしら天恵を持っている。わたし付きの家庭教師となってくれたベルも、速読の天恵持ちだ。


 ベルは頬にえくぼを作った。


「ええ、きっと。発現するのはだいたい十を過ぎたあたりの頃ですから、シェリーさまももう少ししたら」

「そうでしょうか」

「あら、不安ですか?」


 からかうようにベルが言う。

 わたしは開いた本のふちをそっとなぞった。天恵について書かれた研究書の中には、わたしの求める答えの手がかりは見つけられなかった。


「……殿下のお役に立ちたいのです」

「もう十分お役に立っていらっしゃると思いますけれど」


 ふるふると首を振る。出会って三年。殿下がときどき何もかも諦めたような表情になることは、とうに気づいていた。殿下にそんな顔をしていて欲しくない。


 そのためには、まだまだ学ばなければならないことがある。


 それは何も、天恵のことだけではなかった。国のこと。外つ国のこと。国内の有力貴族の勢力図。周辺諸国との歴史や関係性。数えだしたらきりがない。


「もしもわたしに天恵がなかったとしても、殿下のお役に立てるように。先生、お願いします」


 ベルがぱちりと目をみひらく。もともとのおっとりとした雰囲気にあどけなさが加わって、いっそうにかわいらしい。勝気に眉を持ち上げたのはけれど、貴族社会においてその腕ひとつで教師の道を切り拓いてきた自負からだろうか。


 家庭教師は、長いあいだ嫁き遅れの女性の職業とみなされがちだった。そうした世間の常識を覆した英傑のひとりがここにいるベルだ。


 既婚未婚貴賤問わず婦人たちを集め、会社を興し、さまざまな場所へ家庭教師を斡旋する事業を手がけている。事業主である彼女みずからわたしの教師を引き受けてくれたのは、王家のあと添えが大きい。


「ええ、ええ。シェリーさまならどこまででも行けますとも」


 今度はわたしがきょとんとした。殿下のくださった言葉と、それはほとんど同じだったので。


 ふふ、と笑い合う。

 今は何もできなくとも、信じてもらえている。



 真夜中のことだった。

 ベッドの上で、わたしは目を覚ました。


 胸騒ぎがする。半身を起こす。少し迷って、毛布を取り去り、じゅうたんに足をつけた。

 もわりとした感覚がつまさきから駆け上がってくる。悪寒がおさまらない。衝き動かされるようにして部屋を出る。


 窓越しの月は、ぼんやりと霞んでいた。


 殿下と親しくさせていただけるようになってから、わたしは月に一度王宮に出向き、数日を過ごすようになっていた。七歳のころみたいに迷子にももうならない。

 足が向かうほうへ、夜を縫うようにして駆ける。


「……シェリーさま?」


 王宮の居住区は、王族と客用とで完全に分断されている。

 王族の居住エリアに踏みいっていたことには、衛兵に呼び止められてから気づいた。


「どうしたので、」


 衛兵の動きが不自然に止まる。ふつりと、糸が切れたようにくずおれた体の先に夥しい闇が広がる。


 闇の中心、あまたの手に絡め取られるようにしていたのは。


「……っ、殿下!」


 はっとしたように殿下がこちらを見る。駆け寄ろうとするわたしを、きつい眼差しで留める。


「シェリー、くるな!」


 闇の手が止まったのはそのときだ。ぎょろりと、おぞましい気配がこちらに向いたのがわかった。


(ほほう。また面白いのがきた)


 神経を逆撫でするような声色で、それはわたしを睥睨した。

 ぞくっと背筋が凍えるような心地がしたが、わたしは目を逸らしはしなかった。


「殿下を離しなさい」


(ふふふ。心根もうつくしい。――ああ、でも。まだ核のままか)


「核……?」


 ざらついた声で、それはふしぎな言葉を言う。遮りたいのに、聞きいってしまいたくなる、ような。


 ぐらつきかけた心に、殿下の声が届いた。


「シェリー、聞くな。お前が欲しいのは私のこの力だろう」


 挑発するように、殿下の瞳から光があふれる。闇もその魅了の力には抗えないらしく、わたしから意識が逸れる。闇が殿下の全身を包む。


 わたしはとっさに殿下に手を伸ばした。


「いけません、殿下……!」


 間に合わない――そう思ったときだった。


 パリン、と身体の内側に巻き付いていた鎖のようなものが弾け飛ぶ音がした。同時に、手のひらから眩い光が放たれた。


 殿下の御身にまといついていた闇が引き剥がされ、ズズズ、とわたしの手のひらに吸い込まれてゆく。


 それは血流をたどってわたしの全身を巡る。あまりの激痛に、わたしは膝を折った。


「……アッ」

「シェリー!」


 くず折れそうになった体を抱き止められ、わたしはかろうじてまぶたを押し上げた。うっすらとした視界に、殿下の姿がぼんやりと映る。良かった、ご無事だ。


 ほっとしたわたしとは裏腹に、殿下は瞳を険しくした。隠すようにわたしを腕に仕舞い込み、闇の蔓延る空間へ視線を移した。


「貴様。シェリーに何をした」


 闇は甲高い笑い声を立てた。


(笑止。すべて己で招いておきながら何をいう。お前から魅了の瞳を奪ってやったのだから、感謝して欲しいくらいだ。私を喚んでしまうほど、その力が忌まわしかったのだろう?)


 ぎり。殿下の体が強張る。


(だが、そうだな。なにかを望めば代償は伴う。その女子(おなご)に感謝することだ。お主にもたらされるはずだった呪いは、すべてその女子が請け負った)


「なんだと……!?」


(ふん。面白いものをみせてもらった礼だ。教えてやろう。その女子はサクリファイスの天恵の持ち主。開花したその力で、お主に代わって呪われた。その呪いは、)


 二度と誰も愛することができない。――そういう呪いだよ。



 殿下のからだが震えている。


 だいじょうぶ。そう伝えたかったけれど叶わず、わたしの意識はそこでふつりと途切れた。

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