第八話 変わらない場所、変わった空気
コツ、コツ、と革靴の音だけが響く。誰も口を開かない空間は、これまでルシアが経験したどの沈黙よりも胸を締め付けた。
いつも優しく笑いかけてくれていた二人が、他人行儀な態度を示す。まるで前世で仲間になる前のような、リア先輩の冷たい視線がルシアの心を切りつけた。
どんな説明をしたら、こんな冷たい態度になるんだ、少佐のせいだ……と、半ば八つ当たり気味に地面を蹴る。
──違う。説明していないのは自分の方だ。でも、あのときは仕方かなかった。時間もなったし……
しょうがない。そう思うけれども、この状況が歯がゆい。やっと、会えたのに。そんな気持ちが、消えない。
先導するヴァイスさんの後ろを歩き続けると、司令部の前を素通りした。二人の方を見ても「着いてきて」と言われるばかりで、どこに向かうのか教えてくれなかった。
だけど、慣れ親しんだ光景に、ルシアはすぐに行き先に気がついた。
この先は──
何度も、みんなと歩いた道。記憶より少し低い街路樹と、いつも買っていたパン屋の匂いに、懐かしさが込み上げる。
最後にこの道を歩いたのは、士官学校を卒業し、国内を巡る旅に出る前だった。遠い昔の記憶。ふざけながら、笑いながら歩いた道。懐かしいと思うと同時に、近い筈なのに遠い二人との距離を突きつけられて、目の奥が熱くなる。ルシアはうつむき、唇を噛み締めた。
遠い場所に想いを馳せていたルシアは、馴染みある宿舎が近づいていたことに気づかなかった。
「ここだよ」
足を止め、ちらりとルシアを見たヴァイスさんはそのままドアを開けた。
「少佐、いたよ」
入るように、と視線で促されたルシアはおずおずと足を進める。部屋の中には、懐かしい顔ぶれがそろっていた。ウィル先輩、グレインさん、そして──少佐。
フェルンベルクへ着任した際に浮かべていた笑みはなく、全員が静かな視線でルシアと中佐を見つめていた。部屋に漂う夕食の匂いとは対照的に、リビングには突き刺さるような冷ややかな空気が満ちている。どう考えても、歓迎されていない。
──ガタ
突然響いた椅子を引く音に、ルシアは思わず身体を竦めた。息の仕方が分からない。カツカツと歩く革靴と、きしむ床板の音が部屋の沈黙を切り裂いた。
「探したぞ、ルシア」
たった一言。
その一言で、ルシアの緊張の糸が、プツンと切れる音がした。
別に優しい響きでも、かつてルシアが命を預けた声色とは程遠い。
だが、確かに、"レオン・アルグレイ"。その男の声に、ルシアの心は限界を迎えた。
溢れる涙が静かに頬をつたう。瞬きを忘れた瞳は、次から次に雫を生み出した。
「どうした、なにかあったのか?」
何も発さずただ涙を流すルシアの様子に、中佐が探るような目でヴァイスさんとリア先輩を見やる。
「……っちがっ、ふたりは、なんにも……っない」
途切れ途切れに発した言葉は、きっと聞き取りづらかっただろう。それでも必死に伝えた。本当に二人はなにもしていない。ただ、勝手に自分が傷ついただけ。
4年の月日は──長かった。
母もノエルも優しかった。時戻り前には過ごすことができなかった、穏やかな家族の時間は本当に幸せなものだった。だけど、時戻りの代償に失った大切な仲間たちは、それ以上に大きな存在だったのだとこの4年で痛感した。
共に笑い、泣き、地獄のような日々を共に駆け抜けた仲間を失った事実は、ルシアの心に大きな風穴をあけた。
寂しかった。苦しかった。
──会いたかった。
ずっとずっと皆に会いたくて、やっと会うことが出来たのに、彼らの中に自分の居場所はない。
その現実は、あまりにも残酷だった。
だが、彼らにとっては、ただの知らない娘が突然泣き出したにすぎない。
止めなければ。そう思うのに、涙は止まってくれない。この4年間我慢していた全てが、あふれ出ているようだった。
アルグレイ隊の面々が怪訝そうに眉を顰め、わずかな心配の色を浮かべる中、ただ一人、少佐だけが驚いたように目を見開いていた。
その視線を受け止めているうちに、ルシアの心は、少しずつ穏やかになっていき、こぼれ出る涙もやがて止まった。
誰も動かない。
ただ、ルシアと中佐の次の動きを待っていた。
「私の部屋で話す。誰も近寄るな」
「ですがっ」
「命令だ」
「……イエス、サー」
告げられた少佐の指示に、一瞬反論しかけたリア先輩が口をつぐんだ。
「着いてこい」と向けられた大きな背中に、ルシアは黙って強張る足を動かした。
登るたびにギシギシと軋む階段の音に、目を細めた。
アルグレイ隊の宿舎は何も変わっていない。
変わらない音、変わらない部屋──変わった空気。
ルシアが知っている宿舎とは、なにかが違う。
どこかが噛み合っていない、そんな違和感が消えなかった。




