第七話 届かない距離
「お腹減ったねー」
ノエルと共に、帰路を辿る。日が暮れ始めた夕方。変わらない街の光景。
ほんの僅かな──違和感。街の音が、一瞬消えた。誰かが、息を潜めたみたいに。
音もなく近づいてきた気配を察した途端に、後方から腕を捻り上げられ、動きを封じられた。
逃さない──無言の拘束は、そう告げていた。
ルシアの身体が後方へ引き寄せられたのを見て、ノエルが慌てて振り返る。
「──姉さん!?」
ルシアは、辛うじて動く首を回し、後方を確認した。懐かしい青い瞳と、視線がぶつかった。
「リア先輩っ」
思わず口から零れた声に、リア先輩の顔がゆがんだ。
「なんで名前を知っている。何者だ──」
その言葉が、刃みたいに突き刺さった。
誰、これ──知っているはずなのに、分からない。
──なんで、どうして。
氷水を浴びせられたような感覚に、思考が一瞬で凍りついた。何か言おうと思っても、喉がうまく動かない。
「こら、リア!突然消えたかと思ったら、なにしてるの!」
ルシアの身体を溶かすような優しい声。いつもリア先輩を宥め、ルシアに笑いかけてくれていた人が駆け寄ってくる。
「ヴァイス……さん……」
「君、大丈夫?ごめんね、普段はリアもこんなことしないんだけど」
リア先輩の拘束が解け、ヴァイスさんの方へ身体を向ける。すると、ヴァイスさんの視線が冷めたものに変わった。先ほどまでの気遣うような雰囲気は、跡形もない。見定めるような視線でルシアを見ていた。
「金髪に、金の瞳……君、ルシアだね」
静かなヴァイスさんの問いかけに、小さく頷いた。
「少女、とは聞いていたけれど……本当に少女じゃないか……」
ヴァイスさんが小さくため息を吐いた。
「姉さん……この人たち、アルグレイ隊の人だよね……?知り合い?」
恐る恐る尋ねるノエルの声に、はっとした。
この人たちは間違いなく自分のことを大佐から聞いている。だが、なんだか反応がおかしい。……彼は、彼らにルシアのことをなんと伝えたのだろう。
「大丈夫、心配しないで。この人たちの上司と知り合いなの」
安心させるためにノエルへ笑いかけるが、ノエルからは心配そうな表情が消えない。それもそのはずだ。鋭い目つきで未だに睨んでいるリア先輩がいるのだから。
怯えたようなノエルの反応に、ヴァイスさんはやっとリア先輩の様子に気づいたらしい。ポカリ、とリア先輩の頭を叩いた。
「こら、リア。威嚇しろとは言われてないだろ。連れて来いっていう指示だけなんだからそんな顔しないの。弟くん怯えてるでしょ」
「だって、少佐の様子おかしかったし……」
「言い訳しない。ほら、謝って」
ヴァイスさんに促され、リア先輩がしぶしぶ「ごめんなさい」と呟く。
その様子は、いつも叱られたときに不貞腐れていたリア先輩となにも変わっていなくて、ルシアはつい笑ってしまった。
「なに?」
思わず笑ったルシアに、リア先輩が片眉を吊り上げる。
自分は知っているのに──相手は知らない。
少佐……か。
当たり前だ。あの人は、まだ大佐じゃない。
喉の奥が、じわりと痛む。すぐそこにいるのに、手が届かない。
もう一度、あの中に入れるのだろうか。
先ほどヴァイスさんは、”連れて来い”という指示を受けたと言っていた。
少佐に、会える。
──ここから、取り戻す。
大きく深呼吸し、息を整える。
「少佐のところへ、連れて行ってください」
「姉さん!」
悲鳴に近い声で、ノエルが叫んだ。
「ノエルはお母さんに伝えて。”レオンさん”に会いに行ったって。それで伝わる」
きっぱりと言い切ったルシアを見て、何を言っても無駄だと悟ったのだろう。ノエルは全く納得していない表情のまま「分かった」と頷いた。
「リアに送らせるよ」
「……一人で大丈夫です。ありがとうございました。姉をよろしくおねがいします」
――姉になにかしたら許さない。
そう聞こえてきそうなノエルの言葉に、ヴァイスさんは苦笑した。
「お姉さんはちゃんと家まで送り届けるよ。約束しよう」
全くヴァイスさんを信用していないノエルに、ルシアも思わず苦笑いが漏れる。
ノエルは、こんな顔をする子だったか――普段はおっとりと笑っていることの多いノエルにしては、珍しい姿だった。
「ほら、早く帰らないとお母さん心配するよ。私は大丈夫だから、暗くなる前に帰って」
ルシアの言葉に、ノエルはやっと歩き始めた。何度もルシアたちを振り返りながら去っていく。
「行きましょうか、遅くなります」
ノエルの姿が見えなくなるまで待っていてくれたヴァイスさんたちに向けて、軽く頭を下げた。
並んで歩くヴァイスさんとは対照的に、ルシアを警戒するようにルシアの後ろを歩くリア先輩。
その距離を寂しく思いながら、ルシアは足を動かした。
それが今の──ルシアとアルグレイ隊の距離だった。
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