第二十九話 役目を終えるとき
「ねぇー、開けてよー」
トントン、とドアを叩いてもぐすぐすと泣く声だけが微かに響く。じとり、とミアへと視線を向けるとミアはスッと視線を外した。
「ふっとばすか?」
「いやいやいや、そんな物騒なこと言わないでよ」
気の短いフェルの尻尾は忙しなく揺れており、たいして時間がないことを悟る。これは、やばい。
思わず大きなため息が漏れたが、しょうがないだろう。……幼稚園か、ここは。
「待ってたんでしょ。お話ししよ」
できるだけ優しい声を心がけて声をかける。
「指輪、くれるんじゃないの?」
その声に、中の泣き声がぴたりと止んだ。ギィという音を立てて、ゆっくりと扉が開くのを見て、ほっと息を吐くり
「……なんで知ってるの?」
「あなたが、私が王族だって言ったんでしょ?」
得意げに笑いかけると、納得していない顔の口をへの字にした妖精が、視線だけで中へと促してくれる。機嫌を直したのかと思いきや、すれ違う時、ミアにだけ舌を出したのを見て、全然懲りていない子どものような妖精にまた息が漏れた。
「ミア……?」
わかってるよね、と睨むと、「分かってるわよ」と不貞腐れた声が返ってきた。
分かってるならいいのだ。
……本当に分かってるよね?
部屋の中は、記憶と変わらない。古ぼけた椅子と、机が一つ。殺風景な部屋に心が痛む。
「取りに来たんでしょ?」
妖精が指差した先には、古ぼけた箱がポツリと置いてあった。
「やっとかぁ……長かったなぁ」
目を細めた妖精は、パタパタと羽を動かす。すると、その度にキラキラと光が舞った。
その光を目で追いながら、ルシアは妖精へ謝罪した。
「待たせてごめんね?」
「んー、いいよ。契約主に頼まれただけだから。君たちのために待ってたんじゃないし」
ちらちらとフェルの方を見るところを見ると、フェルのことは知っているらしい。
二回目ともなると前回よりも冷静に見ることができ、色々な発見がある。
できればもう少し話したいけれど、妖精は一刻も早くルシアに指輪を手に取って欲しそうだ。そんなにも帰りたいんだろうか。
──そういえば、どこへ帰るのだろう?
ルシアは、ふと浮かんだ疑問を妖精へと投げかけた。
「ねぇ」
「ん?」
「あなたは、どこへ帰るの?」
「うーん……」
悩むように宙を見つめると、妖精はちらっとフェルを見た。ここでもフェル。ミアたちも答えづらいことがあるときは、フェルを伺うように見ていることが多い。
「無理そう?」
「んー、いや、そのくらいなら……?」
首を傾げた妖精が、得意げに胸を張る。
「僕は、妖精の国に帰るんだよ」
またここでも、妖精国。やっぱりさっきのフェルの言葉は聞き間違いではないのか──とフェルを見ると、くぁっとあくびをしていた。
どうやら、まだ大丈夫そう?
フェルのラインがよくわかんないな──と首を傾げる。でもまぁ、教えてもらえるなら教えてもらおう。
「妖精国ってどんなとこ?」
「んー妖精の王様がいてね、すごく綺麗で楽しいところ。おっきい木があるよ!」
「へー、そうなんだ」
なんかだか、イメージどおりの場所だな、と思う。ミアやシルフィを見る限り、自由なところなんだろうな、とは思っていた。
「どうやって行くの?」
「ん?君が?妖精国の入り口を開けて」「おい」
妖精が得意げに話し始めた途端、フェルが低い声で唸った。
やっぱりダメかぁ……いけるかと思ったんだけどな……
「ごめんごめん、言えないんでしょ?気にしないでいいよ、ごめんね?」
「ごめんなさい……」
ぺちゃん、とすっかり元気のなくなった妖精に笑いかける。そして、フェルを睨んだ。
「こら!もうちょっと言い方ないの!?こんな小さい子に!」
「小さい子って、そやつはもう300年は生きておるぞ」
フェルの声に、思わず妖精を二度見した。え、ということは……
「え……ミアは?」
ギギギっと音がしそうな動きでルシアは、浮かんでいるミアを見た。ミアは「あちゃー、バレたかー」と苦笑している。
そりゃそうでしょうね、あなた私に散々甘やかされてますから。
「私はまだまだひよっこだよー、80年くらい?」
「どこがひよっこ!?」
信じられない年齢に、ルシアはゴシゴシと目を擦った。擦ったところで妖精の見た目は変わらないのだが。
「こっちに来たのは、ルシアが生まれた時だからー、12年?同い年だね!」
「はぁ、もういいよ……」
肩を落としたルシアの周りを、二匹が飛び回る。なんだか疲れてきた。そんなルシアの手を引っ張り、妖精が「はやくはやく」と急かす。
「ねぇ、早く受け取ってよ」
目の前には古びた箱。妖精の声に手を伸ばしたとき、ルシアはあることを思い出し手を止めた。
「ねぇ……これ受け取ったら塔が崩れるんじゃなかったっけ?」
「んー、僕が妖精国に帰ったら、崩れるかもね?大丈夫大丈夫、待ってるってー」
音のならない口笛を吹いて素知らぬ顔をする妖精の首根っこをガシッと掴んだ。「なにするんだよー」と、ジタバタと小さな手足を動かすけれど、無視だ。
「私が言わなかったらすぐ消えるつもりだったでしょ!?危ないじゃないの!」
前回は、ルシアとノエルの二人が危うく死にかけたのだ。フェルが背中に乗せて脱出させてくれたから良かったものの、危ないところだったのだ。
「絶対帰らないでよ?」
「えー、すぐ帰りたいのにぃ」
「絶対に!帰らないでよ?」
念を押したルシアの勢いに、妖精は渋々と頷く。その様子を確認してから、ルシアは箱へと手を伸ばした。
ぱかり、と箱を開ける。中には、大きな赤い石のはまった指輪が収められていた。部屋へ差し込む太陽の光を受けて、鈍く輝いている。
不思議な色合いをした、変わらない指輪に、ルシアはふっと息を吐き出した。受け取ってからずっと、ペンダントのチェーンに通して、胸元で旅をしてきた指輪。
ルシアはゆっくりと手を伸ばした。
そっと指輪に触れた瞬間、それまで鈍く光っていた宝石が、輝きを取り戻したように内側から光を宿し始めた。まるで、何かを呼び起こしたかのように。
けれど、なぜだかすぐにつける気にはなれず、ルシアはそっとポケットへ滑り込ませる。
視線を上げると、そこには嬉しそうな顔をした妖精がいた。
「渡したよ」
「うん、貰ったよ。ありがとうね、待っててくれて」
ルシアの言葉に一度何かを飲み込んだような顔をした妖精は、嬉しそうに、少しだけ寂しそうに笑った。噛み締めるように、ゆっくりと話す。
「ちゃんと渡せて良かった。──約束守れた」
ゆっくりと机の上に舞い降りた妖精が顔を挙げると、先ほどまでの物憂げな表情は消えていて、小生意気な顔で笑っていた。
「ほら、早く帰って。僕は早く帰りたいんだから」
「ごめんごめん、じゃ、帰るね。またね?」
会えるかどうかは分からないけれど、なんとなく"また"という言葉が相応しい気がして、"またね"と言うと、妖精は少しだけ目を見開いて、そして笑った。
「ん、またね。ばいばい」
小さく手を振る妖精に手を振って、最後に一度だけ振り返ると、妖精はもうルシアたちを見ていなかった。窓の近くに立ち、どこか遠くを見つめていた。
その姿に声をかけることはできなくて、「ありがとうね」と小さく呟くと、そっとドアを閉じた。
カツカツという一人分の足音が塔の中を反響する。ルシアは、一定のペースで、ゆっくりと降りた。誰も、何も言わなかった。
階段を下り終わり、開いていた扉から外を見ると、少し離れた木陰でみんなが休んでいるのが見えた。
「ただいま」
ルシアがそっと声をかけると、パッと顔を輝かせたリア先輩が駆け寄ってきてくれた。
「ルシア!長かったね!崩れなくてよかったぁ。大丈夫だった!?」
「うん、大丈夫だよ」
塔を見上げると、一瞬キラリと窓が光った気がした。その途端、ガタガタとした音が鳴り響く。
──帰ったんだな。
そう思った。
「崩れるよ、離れて」
「え!? いきなり!? なんでそんなに冷静なの!?」
リア先輩は慌ててルシアの手を引き、みんなが休んでいる木陰まで駆けていった。
ガラガラ、と大きな地響きを響かせながら、砂埃の中へ塔だったものが埋もれていく。
「行っちゃったなぁ」
「ん? 誰が? どこに?」
噛み締めるように零されたルシアの言葉に、リア先輩は不思議そうに首を傾げる。そして、そのままルシアの顔を覗き込んだ。
「妖精がね。役目を終えて妖精の国に帰ったんだよ」
「そっかぁ……お疲れ様、だね」
「うん、お疲れ様だ」
目を細めて、つい先ほどまで塔だった瓦礫の山を見る。
長い時を、王族が訪れるのをただひたすら待ち続けていた塔は、役目を終えたかのように、あっという間に崩れ落ちた──




