第二話 知らぬ貴方と、知りすぎた私
「誰か……いるのか?」
その声に、ルシアの心臓が飛び跳ねた。大好きな人の声を聞き間違えるはずがない。
目の前にある茂みが動き、男の姿が現れた。腰に剣を下げた、体格の良い男。ルシアの元上司であり、恋人でもあった”レオン・アルグレイ”の姿がそこにはあった。
「大佐……」
思わず漏れてしまった呟きに、男が眉をひそめる。
「大佐、だと?誰のことだ?」
片眉をあげ、不審そうにこちらを見る表情さえも懐かしい。時が戻る、つい先ほどまで隣にいたはずなのに、もう長いこと会っていないような気がした。
……でも、違う。
会いたかった、声が聞きたかった。
抱きつきたかった。
近くにいるはずなのに、触れることのできない距離が──遠い。
分かっていたはずの事実に、視界が歪む。幼い身体に、心も引っ張られているのか、身体が言うことを効いてくれない。
喉が詰まり、言葉にならないまま、ルシアは声をあげて泣いてしまった。
その声に、眠っていた母が目を覚ましてしまった。
「ルシア……どうしたの?怖い夢でも見た?」
声を出して泣くルシアを、母がそっと抱き寄せ、頭を撫でる。
ふと顔を上げた母の視線の先には、困惑した様子の大佐がある。見知らぬ男の姿に、母が警戒したのがわかった。
穏やかだった空気は一変し、警戒に包まれ、母の背中にルシアはノエルとともに隠された。
「……誰なの?」
「私は、マレディア軍少尉、レオン・アルグレイだ。怪しいものではない」
「マレディア軍!?!?」
大佐の言葉に、一気に母の警戒が高まったことが分かる。小声でドワーフたちを呼び集め、周囲を固めた。ドワーフが見えない大佐は、それに気づいていない。ドワーフたちの姿は、ルシアたちにしか見えないのだ──マレディア王によって滅ぼされた、ルミナリア王族の者にしか。
「お母さん、駄目!」
──大佐が、危ない。
今にもドワーフたちをけしかけてしまいそうな母の様子に、ルシアは慌てて母の服を引っ張った。ルシアの言葉に、母が怪訝そうにチラリとルシアを見た。
「何を言ってるの?ルシア、この人は軍人なのよ」
「そうだけど、そうじゃない!この人は悪い人じゃないよ!あいつらとは違う!」
「そんなこと分からないじゃない」
母の視線は、片時も大佐から外れない。母の警戒は高まるばかりで、ルシアと母の会話に、大佐も眉を顰めた。
「一体なんなんですか。軍人というだけでそんな風に言われる筋合いはありません」
少し低くなった声には、微かな怒りが込められている。当然だろう、初対面の相手に軍人だというだけで過剰に警戒されているのだから。
「だから、大丈夫なの!」
このままでは不味い──そう思った瞬間、身体が動いていた。
ルシアたちを守るように抱きしめられた母の腕から、ルシアは飛び出した。
大佐に、記憶がないことなどすっかり忘れていた。ただ、大佐を守らなくては──その一心で大佐の前に手を広げ、母親に向かって立ち塞がった。
大丈夫。この人は、そんなことする人じゃない。
それは、ルシアが一番よく知っていることだった。だけど、理由を説明することができない。
信じてもらえるはずがない。
「ルシア、こっちに来なさい!」
悲鳴のような母の叫び声が、静寂に包まれた暗い森の中に響き渡る。
「行かない!この人は大丈夫!悪い人じゃないの!話を聞いてよ、お母さん!」
「初めて会った人でしょ!お父さんを、村の人たちを殺したのは軍なのよ!信じられるわけないじゃない!」
しまった、そう思った時には遅かった。
「……なんだと」
地を這うような声が、夜の闇を切り裂いた。ビリビリとしたマナの騒めきが肌を粟立たせる。まずい、そう思うのに、身体がうまく動かない。
「どういうことだ」
問い詰めるような声に、母が答えた。その声は、堂々としていて、揺るぎない意志が込められている。
「先ほど、軍の方が私たちの村に来て全てを焼いていかれました。私の夫も、村の人たちも、家も。村の全てを魔術で焼かれました」
母は一度、深く息を吸い込んだ。大佐を鋭く睨み、ゆっくりと口を開いた。
「どういうことだ、はこちらの台詞です。どういうことですか?」
静かに怒る母の姿を、ルシアは初めて見た。母は、どんな時でも優しく笑っていた。そんな母が、ルシアたちを守るために怒り、立ち塞がっている。
その姿は、まさに王太子妃そのものだった。
なぜか自分たちにだけ見えるドワーフたち。村には似つかない、美しい両親。見守るように接する村人たち。
今思えば──全部、最初からそうだったのだ。
だけど、幼い自分は全く気づかなかった。記憶を取り戻した、あのときまで。自分が残された亡国の姫であることなんて、考えもしなかった。
でも、今は違う。
これから先の未来を、私は知っている。
それなら、全てを取り戻してみせる。
母のことを守ることはできた。
次は、王国を救う。
そして、目の前の、この人のことも。
時戻りの前、ルシアは大佐に救われた。何度も何度も困ったときに手を差し伸べられた。絶対に叶わないと諦めていた初恋を、一度は掴むことができたのだ。
今度も、掴んでみせる。
そして、私が今度はあなたのことを救ってみせる。
母に向き合っていた身体を反転させ、ルシアは大佐と向き合った。
記憶よりも若く、まだ絶望に染まっていない目。
ルシアたちの村が焼かれた次の日に、彼は出兵したのだ、と教えてくれたことがあった。つまり、明日だ。今、彼を引き止めることができれば彼は傷つかずに済むのかもしれない──だけど、できない。
その未来を、変えれない。
そうしなければ、彼はこの王国を変えようとは思わないのだから。
マレディア王の私利私欲のため、ただ民が消耗される現状に絶望しなければ、"大佐"が生まれることはないのだ。彼が地獄を見ることが分かっていても、ルシアは送り出さなければならない。
頬を濡らした涙を拭い、ルシアはゆっくりと顔を上げた。
「覚悟しなさい、レオン・アルグレイ」
母の言葉に呆然としていた大佐のゆっくりとルシアを見た。
──今は救えない。
だけど、帰ってきたら、私があなたを救ってあげる。そして、また私に恋をさせてあげる。
与えられるだけの王女は、もう辞める。
私は、私の手で全てを掴む。
「貴方は、これから絶望を知る。
その意味がわかったら──会いに来て。フェルンベルクで待ってる。
私の名前は、ルシア・ルミナリア。
マレディア王に滅ぼされた、ルミナリア王族の生き残りよ」
ルシアの言葉に、大佐と母がはっと息を呑んだ。
誰も口を開かなかった。
静かに白み始めた空が、朝の訪れを告げている。
その淡い光は、まっすぐ前を見据えて胸を張るルシアの姿を、静かに照らしていた。
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前作【妖精に愛された亡国の王女、少年として軍に潜む】も楽しんでいただければ幸いです。
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