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第十五話 ぬるくなったコーヒーは少し甘い


「ただいまー、お母さん、ちょっとお客さん」

「おかえり、遅かったわね。大丈夫だった?」


 ルシアが部屋の奥に声をかけると、足音を立てながら玄関先まで母が出てきた。ルシアの視線を辿った母が、少佐の存在に気づく。


「あら、レオンさん、こんばんは」

「こんにちは、夜遅くなりまして申し訳ありません」

「いえいえ、うちの子が困らせませんでした?」

「いえ、全く。ありがとうございました」

「それはよかったです。ずっとレオンさんのことまってたんですよ?」


 頭を深く下げたあと、落ち着いて話す少佐と、ルシアを見ながら悪戯っぽく笑う母に少しだけ居心地が悪い。


「もう、いいから」

「はいはい、素直じゃないんだから。ちゃんと心配してたの伝えた?」

「だからもういいって!」

「ふふ、それで?──話があるから、御足労いただいたんですよね?」


 さっきまでの楽しそうな空気が一変、すっと鋭い視線で中佐を見る母に舌を巻く。経験の差か、王族の貫禄か。ルシアはまだ母の足元にも及ばない。前世のルシアは、こんな雰囲気は纏えていなかった。


「ルシア嬢のことと、婦人とご子息のことでご相談が」

「……私たちも?少し長くなりそうね。玄関先ではあれだし、居間へどうぞ。狭いですけど」

「いえ、失礼いたします」


 少佐が軽く頭を下げ、部屋の中へ入ってくる。いつも過ごしている家に、少佐が居るのは変な感じだ。なんとなく擽ったい。

 身体の大きい少佐が、ちょこんと小さなダイニングテーブルに腰掛けているのを見ると、あまりにもそれが体格に合っていなくて、ルシアはついに笑いを堪えきれなかくなった。

 くすくすと笑うルシアを見て、少佐は心外そうに眉をあげ、母は嬉しそうに微笑んだ。


「あなたがそんな風に笑うの、久しぶりに見た気がするわ」


 母の噛み締めるような言葉に、少佐が驚いたようにルシアを見た。


 そういえば、今日はよく笑ってる気がする。


 少しだけ気恥ずかしくなって、少佐から視線を逸らして飾り棚に飾られている写真を見る。そこには、幼いルシアたちと両親が笑っていた。


「王太子殿下……ですね……」


 ルシアの視線を辿って、写真に気づいたらしい。少佐が切なげに目を細めた。


「ええ……優しい、立派な主人でした」


 そう告げた母の言葉には、悲しみは見えない。ただ、愛おしくて、誇らしい。そう語っていた。


「そうですね、私も幼かったですが、何度か頭を撫でてくださったことを覚えています。臣下にも優しいお方でした」

「え……?もしかして、アルグレイって……あなた、ユリアの?」


 たった今気がついた、というように目を見張った母に、「はい、ユリアは私の母です」と少佐が微笑んだ。


「そう……世の中狭いわね。ご両親にはお世話になったわ。二人は……?」

「お二人を逃した後にフェルンベルクで……。お二人の無事を最後まで願っておりました」

「そう……そうなの……」


 切なげに目を細め、顔を伏せてしまった母の表情は伺うことができない。


「お茶を淹れてくるわね」

「あ、私が!」

「ううん、私が淹れてくるわ」


 いつもは静かに立つ母が珍しくガタン、と音を立てて席を立つ。少し驚いて母を見ると、その目尻にはキラリと光るものが見えた。その様子に、ルシアはハッと息を呑んだ。


 ──母が泣いているのを、初めて見た。


 今更になって、その事実に気づく。父が死んだ時でさえ、その涙を見なかったことに。


「いい、お母様だな」

「そうでしょ……優しくて頼もしいお母さんだよ」


 少佐に目を向け、ルシアが微笑むと、少佐も優しく見つめ返してくれた。そして、ゆっくりと部屋を見渡すと「優しくて、温かい部屋だ」と静かに呟く。


「狭いけどね」

「三人で暮らすには充分だろう……苦労されたんだな……情けない……」


 顔を歪ませた少佐に、そんなところまで背負ってどうするんだ、とルシアは呆れてため息を吐く。そもそも、ルシアたちはもう王族ではないのだ。


 でも。確かに、王族として育ったはずの両親の弱音を、ルシアは聞いたことがない。先ほど初めて見た、母の涙を思い出す。ああやって隠れて、泣いていたのかもしれない。


「お母さんって……凄いね……」

「そうだな、凄い方だ」


 ルシアたちが噛み締めていると、「お待たせしました」と母が戻ってきた。その手に抱えられたお盆には、湯気の上がったコーヒーが三つ乗っている。


「お口に合うかわかりませんが」

「ありがとうございます、いただきます」


 母が腰を下ろし、静かに少佐を見つめた。

 

「それで?お話とは?」


 凛と張り詰めた声に、ルシアの背筋も自然と伸びる。ゆらゆらと立ち上がるコーヒーの湯気が消えていくのを、自然と目で追っていた。


「ルシア嬢が、我々の目標に協力していただけることとなりました。私個人としては、ルシア嬢の騎士となり、お仕えしたく」

「騎士……?ルシアはそれでいいの?」


 その言葉が意外だったのか、少し目を見張った母がルシアを見る。


「いいの?って」

「騎士になったら気持ち、受け入れてもらえないんじゃない?」


 ──鋭い。なんでもお見通しじゃん……。

 ルシアは、軽く息を吐いた。


「今は、いい」

「そう、()()、ね。まぁ、王族という訳でもないんだし、いいんじゃない?騎士と王女の恋も」

「リア先輩と同じこと言うね……」

「リア先輩?レオンさんの部下の方?お友達になれそうだわ」


 嬉しそうに笑った母には一生敵う気がしない、もはや諦めた。ルシアは肩を落とす。その様子に少佐は苦笑を漏らしていた。


「私は構いませんよ、この子が決めたことですし。精霊様に託された使命もあるみたいなので、必要なことなのでしょう?」


 母の問いかけに、ルシアは小さく頷いた。

 

「精霊……様……ですか?」


 首を傾げた少佐に、「あら?言ってなかったの?」と母がルシアをみる。そして、言っていなかったことを確認すると、楽しげに少佐に向き直った。


「ルシアが伝えてないのであれば、私から言えることはありません。ルシアに聞いてくださいな」

「ひみつっ!」

「だそうです。残念でしたね、レオンさん?」


 親子でクスクス顔を見合わせて笑うと、複雑そうな顔で少佐が眉を下げていた。だが、気を取り直したらしい。


「それで、婦人とご子息につきましては……」

「エリシアとノエルで構いません。もう王族ではないのですから」

「そうですか……では、エリシア様とノエル様におかれましては」

「様もいりませんし、敬語も使われなくて大丈夫です。私はただの平民ですよ?」


 母の譲らない様子に、少佐も折れたらしい。「分かりました」と肩を下げている。きっと少佐も母には敵わないだろう。


 口を湿らせるため、机上に置かれたコーヒーへと手を伸ばす。温かな湯気を立てていたはずのコーヒーは、もうぬるくなっていた。

 苦いはずのコーヒーは、少佐を見ているだけで、なぜか少しだけ甘く感じた。

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