第80話 由梨に悲しい思いはさせないの♡
「ダメですー。由梨は私のこと、沙織って呼ぶの。私がそう決めたのー」
「……えぇ、それ、ズルいよ」
わざとらしく頬を膨らませて、口を尖らせてみせると、由梨は一瞬言葉に詰まり、それから困ったように笑った。
拒否するほど本気でもなく、かといってすんなり受け入れるには照れが残っている、そんな曖昧な表情。
その間、私の胸の奥で心臓が一拍だけ早く打って、喉のあたりが少しだけ熱くなる♡
息を吸うと、空気がやけに冷たく感じて、吐く息がほんのわずか震えたのが自分でも分かった♡
由梨の視線が一瞬、私の口元に落ちて、すぐに逸れる。その仕草ひとつで、肩の力が抜ける代わりに、指先に余計な力が入った♡
制服の袖をつまむ感触がやけに現実的で、笑っているのに、身体はちゃんと緊張している♡♡
その反応が、可笑しくて、嬉しくて、胸の奥がきゅっとなる♡♡♡
こうやって、軽く意地悪をして、ふざけて、笑い合える関係が愛おしい。
まだ今は、私から一方的にふざけを投げているだけで、由梨はそれを受け止めてくれている側だけれど、いつかは由梨の方からも、同じ距離感で踏み込んできてほしいと思ってしまう。
名前の呼び方ひとつで、関係は簡単に変わる。
それはカーストにも関わるし、立ち位置にも影響する。
でも、それ以上に、私はそういう関係を望んでいる。
上下じゃなく、緊張でもなく、ふざけが成立する場所。
軽口を叩いても壊れない、安心して遊べる関係。
そういう関係が、私は好きだ♡
そういう関係を、由梨と築けたらいいと思っている♡♡
ねえ……お願い……もっと沙織って呼んで……蕩けさせて……♡
私の全部が……由梨って叫んでる……♡沙織って言葉を求めてる……♡
指先まで甘く震えて……好きが零れ落ちる……♡
そして、もっと厄介な信用できないタイプの人間もいる。
一見すると優しく、理解がありそうで、
「そんなに自分を責めなくていいよ」
「君は悪くないよ」
と、こちらを庇う言葉をかけてくるタイプ。
声は低く、穏やかで、否定しない。
こちらが傷ついていると分かると、正論も感情論も使わず、ただ寄り添うような言葉だけを選んでくる。
でもその優しさは、対等さのためじゃない。
主導権を握るための緩衝材だ。
相手は許してくれる。
表面上は、何もなかったように振る舞う。
責めないし、怒らないし、蒸し返さない。
でも、忘れない。
その“許した事実”を、関係の奥底にそっと沈めて、見えない場所に保存する。
いざという時、「前にあんなことがあったよね」と、静かに掘り起こされる爆弾みたいなもの。
責めてはいない。怒ってもいない。
ただ“思い出しただけ”。
そういう顔で、こちらの足元を揺らしてくる。
こちらが反論すれば、「そんなつもりじゃなかった」と引き、黙れば、「やっぱりそう思ってるんだ」と内側で勝利する。
このタイプは、謝罪を借金のように管理する。
けれど、その瞬間に感情は清算されない。
謝罪は返済済みにならず、帳簿の端に小さく書き込まれる。「まだ回収していない債権」として。
彼らはそれをすぐに使わない。
むしろ使わないことに意味がある。
関係が安定している間は、優しさの仮面を被ったまま、それを“保険”として保管する。
いざ関係が揺れた時、こちらが何かを主張しようとした時、対等に立とうとした時──その瞬間に、静かに取り出される。
その時点で、もう立場は傾いている。
こちらは過去に引き戻され、相手は現在から語る。時間の軸を握った側が、関係の主導権を持つ。
もちろん、善意や関係の中での貸し借りそのものが悪いわけではない。
長期的な関係を円滑に続けるために、多少の不均衡や、一時的な負担が生まれることはある。
それどころか、誰だって苦しい時はあるし、誰かの手を借りなければ生き延びられない瞬間だって、きっとある。
だからこそ重要なのは、「徴収しない」という選択だ。
借りを返すことを強制しないからこそ生まれるのが信頼であり、見返りを求めないからこそ成立するのが謝罪と受容だ。
謝罪とは、本来は関係をゼロに戻すための行為であって、将来の優位性を確保するための投資ではない。
貸し借りは、長期的な関係を続けるための“建前”にすぎない。
それを保険として所持し続けるなら、それはもう友情ではない。取引だ。
感情のやり取りではなく、損得勘定で関係を運用するという宣言でもある。
信頼には、信頼で返すべきだ。でも、取引を持ち込まれたのなら、取引として扱えばいい。
誠実さをコストと見なす相手に、誠実さで応え続ける必要はない。
相手がそのような関係を望むのならば、こちらも、そのような関係に切り替えればいい。
損得感情そのものは、実はとても信頼できる。
何が欲しくて、何を失いたくないのか。どこで引いて、どこで踏み込むのか。
それが明確な人は嘘をつきにくいし、行動も予測しやすい。
けれど、その人が信頼しているのが、あくまで「損得」だけであって、私という存在そのものではないのなら、意味がない。
私が大切にされているのではなく、私と関わることで得られる利益や、失うかもしれない不利益が計算されているだけ。
それは信頼ではなく、評価であり、採点。
点数が下がれば、態度は変わる。条件が悪くなれば、関係は切られる。
そこに、感情の居場所はない。
私がどう思うかなんて、関係ないのだから。
そして、もっと厄介なのは、被害者の椅子から降りない人間だ。
こちらがどれだけ言葉を尽くしても、どれだけ慎重に、誠実に向き合っても、相手は「傷ついた私」という位置を、決して手放さない。
話し合いは成立しない。
なぜなら、その人にとって傷は、癒されるべきものではなく、関係を支配するための正当性だから。
傷ついたという事実が、相手を責める免罪符になり、要求を通す通行証になり、自分は何も変わらなくていいという証明になる。
こちらが一歩近づけば、「まだ癒えていない」
こちらが距離を取れば、「逃げた」
沈黙しても、説明しても、答えはすでに用意されている。
どの選択肢を選んでも、相手は被害者で、こちらは加害者だ。
このタイプと関係を続ける限り、こちらは永遠に、罪を背負う役を演じ続けることになる。
謝罪は終わらない。許しも、決して訪れない。
なぜなら、終わらせない方が、相手にとって都合がいいから。
癒えてしまえば、対等になってしまう。
対等になれば、支配できない。
だから傷は保存される。
語り直され、磨かれ、関係のたびに、都合のいい形で提示される。それはもう、痛みではない。
武器だ。そして、武器を手放す気のない相手に、こちらがどれだけ誠実であっても、関係が健全な場所に着地することはない。
そんな人は、論外だ。
長期的な関係を築くという前提に立てない。
本当に長く続く関係というのは、互いに完璧であることを求め合うものじゃない。
互いに失敗して、互いに迷って、それでも許し、許されながら、少しずつ形を整えていくものだ。
一時的に、どちらかが多く受け取ることもある。
一時的に、どちらかが多く差し出すこともある。でもそれは「負債」じゃない。
長い時間の中で、自然と均されていくものだ。
もし自分が大きな借りを作ってしまったのなら、無理に今すぐ精算しなくてもいい。
関係が続くのであれば、その時間の中で返せばいい。
そして何より、相手が長期的な関係を望んでくれているのなら、その信頼に、きっと応えようとしてくれる。
だからこそ、一方的な精算ばかりを求める人間とは、長期的な関係を築く価値がない。
今すぐ返せ。今ここで償え。過去を忘れるな。
その言葉の裏にあるのは、
関係を続けたい気持ちじゃない。
優位でいたいという欲望だけだ。
結局のところ、謝罪が成立するかどうかを決めるのは、言葉の巧さでも、涙の量でもない。
相手が、対等な位置に立つ覚悟を持っているかどうか。ただ、それだけ。
自分も傷つく覚悟があるか。
相手にだけ痛みを背負わせない覚悟があるか。
関係の重さを、半分引き受ける意思があるか。
痛みを共有できる相手なのか。
それとも、痛みを利用する相手なのか。
そこを見誤ると、誠実さは、気づかないうちに形を変える。
人を大切にするためのものだったはずの誠実さが、自分を縛る鎖になってしまう。
謝り続けることで、許されない関係にしがみつくことで、「ちゃんとしている自分」を保とうとしてしまう。
でも、それは健全な関係じゃない。
そして──私は、由梨にそんな思いはさせない。
由梨も、私にそんな思いはさせはしない。
傷ついたら、話す。間違えたら、謝る。
でも、それで終わらせる。
過去を武器にしない。痛みを保険にしない。
関係を、人質にしない。
そう信じられるからこそ、この関係は、こんなにも愛しい。
対等であることを、当たり前だと思えることが、どれほど貴重で、どれほど尊いかを、私は由梨と一緒にいる時、何度も思い知らされる。




