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第79話 由梨が笑うと、私も自然と緩んじゃうの♡

「もうっ、沙織ちゃんが気にし過ぎなんだって」

「そりゃ気にするって。てか、また沙織ちゃんって言ったー」

「だって、凄く変な感じなんだもん。沙織ちゃんは沙織ちゃんだよ」


 由梨はそう言って、肩をすくめるみたいに笑った。その笑い方が、少しだけ子どもっぽくて、少しだけ大人びていて、胸の奥がくすぐったくなる。


 ほんの軽い言葉の投げ合い。

 なのに、心臓はそれに律儀に反応してしまう。


 名前を呼ばれるたびに、耳の奥がじんわり熱くなる♡

 「沙織ちゃん」という音が、空気を震わせて、皮膚の内側に染み込んでくるみたいで、肩の力が抜けるのに、同時に背筋が少しだけ伸びる♡♡

 名前って、こんなにも身体を揺らすものだっただろうか♡


 私もつられて笑う♡

 声は軽く、でも呼吸はほんの少しだけ早い♡♡

 胸のあたりが、きゅっと縮んで、すぐにふわっと緩む♡♡

 緊張と安心が、同時に存在している感覚♡


 可愛い……可愛い……っ♡

 名前を呼ぶたび……もっと好きになってく……♡

 私……もう無理……好きでいっぱいで……頭がふわふわする……♡


 実のところ、私だって「由梨」と呼ぶのには、まだ慣れていない。

 舌の上で転がすたびに、距離を測っているみたいで、どこまで近づいていいのか、探りながら音にしている。


 でも、そのぎこちなさが嫌じゃない。

 むしろ、楽しい。


 踏み込みすぎたら壊れそうで、離れすぎたら寂しい。その狭間で、言葉を行ったり来たりさせる感じ。

 指先が触れそうで触れない距離を、あえて保っているような、そんな遊び。


 由梨が笑うと、私の呼吸も自然と緩む。

 私が言い返すと、由梨の目元が少しだけ細くなる。


 その小さな反応の積み重ねが、確かに「今、ここで一緒にいる」という実感を作っていく。

 今回は由梨という、信頼した相手が謝罪の相手だった。


 互いに傷つき、互いに迷い、それでも同じ場所に立とうとする意思がある。

 信じ合おうとすることで、許す・許されるが一方通行ではなく、関係として循環する相手。


 だからこそ、言葉は重くても成立した。

 痛みを差し出せば、相手もまた痛みを差し出す。

 そこに上下はなく、損得もなく、ただ「関係を壊さない」という一点で繋がっていた。


 でも、世の中にはそうじゃない相手もいる。

 謝罪という行為を、関係の修復ではなく、

 相手の弱さを掴むための機会として見る人間がいる。


 こちらが頭を下げた瞬間に、

 「ほら、やっぱりお前が悪い」

 「じゃあ、ここまでしてもらわないと」

 と、無意識のうちに立場を固定しようとする輩。


 反省を示せば示すほど、

 誠実であればあるほど、

 その手の人間は安心して踏み込んでくる。


 ──この人は抵抗しない。

 ──この人は関係を壊したくない。

 ──なら、こちらが優位に立てる。


 そう判断した瞬間から、謝罪は対話ではなくなる。交渉でも、理解でもない。

 ただの力関係の確定作業に変わる。


 こういう人間とは、対等な関係は築けない。

 信じることは出来ないし、長期的な関係を望むことも出来ない。

 それは性格の不一致や努力不足の話ではなく、関係そのものをどう捉えているかという、前提の断絶だ。


 彼らにとって関係とは、常に上下で測られるものだ。「どちらが上か」「どちらが我慢するか」

 その二つの軸でしか、人と人の距離を理解しない。

 並ぶという発想がなく、隣に立つという概念が存在しない。


 だから関係は、常に評価と選別の対象になる。

 利用できるか、出来ないか。

 今は使えなくても、どうすれば利用できるような関係に変えられるか。

 どうすれば自分が得をする形に歪められるか。

 そこに感情はあっても、尊重はない。


 彼らにとって「信用」とは、他者を縛るための言葉だ。安心させるためではなく、逃げ道を塞ぐためのもの。

 そして「謝罪」とは、関係を修復する行為ではない。相手に罪悪感を背負わせることで、自分が有利な立場を確定させるための儀式に過ぎない。

 その一言で関係の形を固定し、主導権を握る。それが彼らの言う「大人の対応」だ。


 彼らが信じているのは、ただ一つ。

 世界は残酷で、人は信用に値しない、という真実だけ。


 それは確かに、間違ってはいない。

 甘い期待は裏切られるし、無防備な善意は踏みにじられることもある。

 疑うことは、生き延びるための知恵だ。

 けれど、それだけでは、人は関係を続けられない。


 私たちの祖先──ホモ・サピエンスは、信用という虚構を信じることで生き残ってきた。


 力では他の人類に劣り、爪も牙も持たず、走る速さも特別ではなかった私たちが絶滅しなかった理由は、単純な強さではない。

 「この相手は裏切らないだろう」

 「次も協力してくれるだろう」

 そういう確証のない前提を共有し、集団として行動できたことこそが、生存を可能にした。


 狩りの分配、子どもの養育、危険の共有。

 それらはすべて、信用という虚構がなければ成立しない。


 裏切られるかも、騙されるかもしれない。

 それでも「今回は信じる」という選択を繰り返した集団だけが、環境の変化を乗り越えてきた。


 信用は事実ではない。証明も保証もない。

 だからこそ、それは虚構だ。


 けれど、虚構だからこそ信じたい。まやかしだからこそ、信じてもらうために行動できる。

 言葉だけでは足りないと知っているから、態度で示す。一度きりでは足りないと分かっているから、何度でも繰り返す。


 行動が積み重なることで、虚構は物語になる。

 物語になることで、人はそれを守ろうとする。

 そうして初めて、長期的な関係が成立する。


 信じるというコストを払える人間は、一見すると危うく見える。

 騙されやすく、損をしやすく、無防備に映る。

 けれどそれは、生存競争において、れっきとしたスキルであり、技術だ。


 どこまで信じるか。誰を信じるか。

 由梨は、たぶんそれを無意識のうちにやっている。信じることを特別な決断だと思っていない。

 だからこそ強い。関係の中で揺れないし、相手を試すこともしない。


 一方で私は、それを意識しなければ使えない。

 信じる前に考えてしまうし、考えた分だけ遅れる。だから弱い。


 それでも、その弱い私を信じさせてしまう由梨の強さは、ここにある。

 信用を武器として振りかざさず、自然な呼吸の延長として使っていること。


 相手に「信じている」と言わせるのではなく、「信じてしまった」と思わせること。


 それに比べて、信用出来ない、謝罪すら弱みとして利用しようとする相手といえばどうなるだろう。

 こちらが歩み寄れば、相手は動かない。


 こちらが譲れば、相手は要求を増やす。

 こちらが誠実であればあるほど、相手は誠実さをコストだと思う。


 信用を信じない人間は、結局、誰とも長く組めない。短期的には得をするかもしれない。

 けれど、その世界はいつも一人分しか席がない。


 虚構を信じることは、弱さではない。

 それは、人と生きるために選び取られてきた、人類の技術なのだと思う。


 謝罪を受け取る能力のない人間がいる。

 正確には、謝罪を“受け取らない方が得だ”と考える人間がいる。

 そんな人間は決して信じるに値しないし、関係を作ろうとは思えない。


 そういう相手に対して、理解を求めても、対話を試みても、関係は決して対等にはならない。

 だから、気を付けなければならない。謝ることが悪いんじゃない。

 弱さを見せることが間違いなんじゃない。


 それを武器に変える人間の前で、同じ振る舞いをしてはいけないだけだ。


 信頼は、相互性があって初めて成り立つ。

 一方だけが傷を差し出し続ける関係は、

 もうそれは関係じゃない。


 それはただの──利用だ。

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