第78話 由梨だからこそ、苦しいの♡
「……うん。だから、これは私が由梨に許して欲しいって我儘でしかないの。それだけの謝罪」
「確かに恐かったけど、沙織が悪いわけじゃないし、恵美ちゃんも助けてくれた。だから沙織は謝らないで欲しい」
「……でも」
「恵美ちゃんが助けてくれたのは沙織のおかげ、と私は思ってる。そして、私が良いって言ったんだから、この話しはおしまい。違う?」
「……由梨がそう言うなら。でも、ありがと」
そう言葉にした瞬間、胸の奥がきゅっと縮こまる♡
由梨の声は、思っていたよりもずっと穏やかで♡♡
責めるでも、突き放すでもなく、ただ事実を並べるだけ。その淡さが、逆に心に沁みる♡♡♡
視線が合った瞬間、胸の奥がじんと熱を持った。肩に入っていた力が、すっと抜ける♡
心臓の鼓動が、耳にうるさく響かなくなって♡
代わりに、体の内側に温度が広がっていく。寒さが和らぐような、じんわりとした感覚♡♡
指先が少しだけ痺れて、次に血が巡る♡
立っている床の感触が、やけに確かに感じられて、自分がここにいるという事実を改めて意識させられた♡♡
由梨の優しさは、撫でるようなものじゃない♡
抱え込むでも、慰めるでもない。ただ、決めてくれる優しさ♡
それが、私の心を静かに満たしていく♡
不安や後悔が消えたわけじゃないのに、それでも立っていられる理由を与えられたような気がした♡♡
好き……好き……好きっ……♡壊れちゃいそう……♡
可愛すぎて……息が甘く絡まって……呼吸まで蕩けちゃう……♡
幸せが波みたいに押し寄せて……溺れるの……♡
謝罪とは、自分の過ちを認めて相手に許しを乞う行為でもあり、同時に、相手への敬意と感謝を差し出す儀式でもある。
それは自分一人では完結しない。関係性の中でしか成立しない行為だ。
許すのか、許さないのか。
なぜ許すのか、なぜ許せないのか。
その決定権を、相手に譲り渡すこと。
そして、その選択を尊重すると受け入れること。
私は、由梨に許して欲しかった。
申し訳ないと思っているのは本当だし、由梨を傷付けてしまったという事実から逃げるつもりもなかった。
けれど、どうすれば正しい形で詫びられるのか、何を差し出せば償いになるのか──そんな答えは、いくら考えても見つからなかった。
言葉を選んでも、態度を整えても、それが「足りている」のかどうかは分からない。
謝罪という行為には、常に不確かさがつきまとう。
分からないまま、私は謝罪した。
そしてそれは、決して純粋な謝罪ではなかった。
由梨なら、きっと許してくれる。
その確信が、最初から胸のどこかにあった。
由梨は優しい。
人を責めるよりも、自分の中で折り合いをつけてしまう子だ。
だから私は、由梨に甘えた。
だって、由梨には、私が許してもらえるだけのことをしてきたという自負がある。
助けたことも、支えたことも、由梨の不安を引き受けたこともある。
由梨には、私に対しての“借り”がある。
そんな考えが、胸の奥に確かにあった。
それは打算であり、傲慢であり、綺麗ごとでは決してない感情だ。
「これくらい、許してくれてもいいはずだ」
「私はそこまで一方的に悪いわけじゃない」
そんな我儘な期待が、謝罪の底に沈んでいた。
許すべきだ、という無言の圧を、私は由梨に向けていた。
それを、優しさの仮面で包みながら。
だから私は、この謝罪を美化しない。
誠実さだけで出来ているなんて、嘘は言わない。
自分の中にある計算も、独占欲も、優位性も──すべて含めた上での謝罪でしかない。
それでも、莉里に絡まれた原因が私にあるという事実だけは、どうしても消えなかった。
私が関わらなければ、生まれなかったトラブルだった。
私が踏み込まなければ、由梨が恐い思いをすることもなかった。
その責任感だけが、胸の奥に重く残り続けている。誰かに押し付けることも、正当化することも出来ない。
苦しさは消えない。
後悔は吐き出し先を失って、内側に溜まっていく。
だから私は、由梨に謝るしかなかった。
そして、由梨に許してもらうことでしか、自分を救う術がなかった。
これは、由梨のためだけの謝罪じゃない。
私自身が、この罪悪感から解放されるための行為そのもの。
身勝手で、狡くて、美しくなんて決してない。
だから、私は由梨に真正面から謝罪した。
逃げ道を残さない形で、視線を逸らさず、声を震わせすぎないようにして。
それは、醜さを隠すための謝罪で。
胸の奥に渦巻く傲慢さや計算高さを、丁寧な言葉と誠意という包装紙で包み込むための行為でもある。
少しでも心象を良くしたい。
それでいて、由梨の中にある「私」という存在の価値を、これ以上落としたくない。
その二つを同時に満たすために選び取った答えが、真っ直ぐで、誠実で、嘘のない「つもり」の謝罪だった。言葉は間違っていない。
謝っている内容も、態度も、世間的に見れば申し分ない。でも、その奥底には、どうしても隠しきれない本音があった。
だって、由梨に許してもらえなければ、私の罪悪感は消えてくれない。
自分が悪かったと認めるだけでは足りない。
相手から「いいよ」と言われなければ、この胸の重さはそのままだ。
もし、許してもらえなかったら。
そう考えただけで、心臓を強く握り潰されるような感覚が込み上げる。
息が詰まり、胸がきゅっと縮こまり、鼓動の音だけがやけに大きく響く。
まだ何も起きていないのに、拒絶された未来を想像しただけで、身体が先に悲鳴を上げてしまう。
それほどまでに、私は由梨からの「許し」が欲しかった。
そして、それは単に「女の子」という抽象的な存在に許されたいだけじゃない。
由梨だからこそ、苦しい。
由梨は、私が信じたいと思った存在だ。
疑わずに、疑いたくもなくて、この子なら大丈夫だと、心のどこかで決めてしまった相手。
だからこそ、もし信じられなくなったらどうなるのかを想像すると、耐えられなくなる。
優しさが拒絶に変わる瞬間。
理解が沈黙に変わる未来。
その光景を思い浮かべるだけで、胸の奥が冷えていく。
そして、私が信じたいと決めた由梨が、私を許してくれないわけがない──
そんな確信が、最初から胸の奥に静かに座っていた。
だからこの苦しみは、よく考えれば自分で自分に与えていた痛みだ。
拒まれるかもしれないという恐怖をなぞるふりをして、その先にある「許し」を、より甘く受け取るためだけの自傷行為。
これは反省でも、贖罪でもなく、許しの柔らかさを、最大限に味わうための、歪んだ娯楽だったのだと。私は遅れて気付かされる。
そして──由梨は、迷いなく私を許した。
声は柔らかく、視線は揺らがず、「いいよ」という一言が、何かを裁くためではなく、包み込むためだけに放たれる。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で張り詰めていたものが、音もなくほどけた♡
呼吸が一拍遅れて、深くなる♡♡
肩の力が抜けて、背骨がゆるやかに緩む♡
心臓の鼓動は速いままなのに、不思議と苦しくない♡♡
頭の中が、ふわりと白くなる♡
思考が溶けて、由梨の存在だけが浮かび上がる♡♡
脳の奥から、細かな痺れが走り出す♡
それは鋭い痛みではなく、温度を持った微細な震えで、首筋から背中へ、背中から腕へと、静かに広がっていく♡♡
指先がじんわりと熱を帯びて、自分の身体が、今ここにあるという感覚だけが、やけに鮮明になる♡
考えなくていい。疑わなくていい。
拒まれないと、もう分かってしまった。
その安心が、信頼という名の甘さになって、全身を支配していく。
はぁ……っ、す……好き……♡ だいす……き、だよ……♡
はぁ……っ、もう……とろとろなの……可愛いで溢れて……♡
だめ……っ♡これ以上……好きが溢れたら……ほんとに……っ♡
抗う余地はなかった。
理性で線を引く前に、身体のほうが先に理解してしまったから。
私はもう、由梨に委ねてしまっている。
許されることを前提に、傷つくふりをして、
その優しさに溺れることを選んでいる。
その甘さを受け入れることは、確かに依存的だ。
自分の弱さを預ける行為であり、相手の存在に重心を傾けることでもある。
でも、人は結局、選ぶことと選ばれることからは逃げられない。
いくつもの依存の糸を張り巡らせて、
表向きは自立しているように見せることは出来ても、
それでも心のどこかでは、唯一の居場所を欲しがってしまう。
許されるって結局、「正しいかどうか」の話じゃない。
壊れた関係を修復するための手続きでもない。
ただ、自分の弱さを相手の手のひらにそっと預けて、受け取られるかどうかを待つ行為だ。拒まれるかもしれないし、何も返ってこないかもしれない。
それでも私は、由梨を信じることを選んだ。
由梨も信じているから、私を許した。
それは取引や勝ち負けなんてものでは決してなくて、ただ互いに関係を継続したいという相互意志。
だから、謝罪と許しが成立するのは、「これからも仲良くしたい」と、互いに思えている時だけ。
謝罪も、許しも、過去をどう処理するかじゃなくて、未来をどう続けたいか、という問いへの答えなんだ。
そうしたいと思い合える関係でなければ、どんなに丁寧な言葉を重ねても、どんなに誠実な態度を装っても、許しは生まれない。
由梨が私を許したのは、私が許されるに値したからじゃない。
これからも私と一緒にいたいと、由梨が選んでくれたからだ。
その事実だけが、今の私には、何よりも重くて、何よりも確かで、何よりも恐い幸福だった。




