50話 夏休み最終日
一応は契約最後の日だから、大皿に盛りつけた揚げたての天ぷらに、湯気の立つ温かいスープ、冷蔵庫で冷やしておいた特製のプリンなど、これまでの感謝を込めていろいろ作ってみた。
今日はマネージャーの秋子さんも一緒にここへ来るという話を聞いていた。
私は、この食事が終わった後に、これからの将来のことを、彼女たちの前でしっかり話さないといけない。
「すごいいい匂いね! 綾ちゃん本当にいつも手を込んだ料理をありがとう?」
リビングにやってきた秋子さんが、テーブルの上の料理を見て嬉しそうに声を弾ませていた。
サクッと軽い音を立てるエビの天ぷらを口に運ぶと、美味しい、と何度も頷いて箸を進めてくれる。
一生懸命に準備した甲斐があった。
その賑やかな食事の席で、対面に座る栞だけはいつもと違っていた。
手元の箸を動かす速度も遅く、時折思い詰めたように私を盗み見ては、驚くほど静かに佇んでいる。
ひと通りのお皿が空になったところで、秋子さんがお茶を飲み干して一息ついた。
「約一か月半、本当にありがとうございました」
「こちらこそ助かったわ」
秋子さんがそう言って笑みを浮かべ、テーブルの上へ白い封筒を一枚差し出してきた。
「これは?」
「良くやってくれたから、ボーナスだと思って受け取ってちょうだい」
「ですが」
良い生活をずっとさせてくれたのにこれ以上貰うのはよくないと思ってしまった。
「お金で解決するのはよくないとは思うんだけどね。でも、これが一番分かりやすいから」
以前の私なら、きっと頑なに断っていたかもしれない。
けれど、今の私はその封筒を素直に両手で受け取った。
「ありがとうございます。お二人だけではなくて、色々な人に助けられました」
「うん」
対面に座る栞は、私の顔をじっと見つめたまま、驚くほど静かに佇んでいる。
彼女からぶつけられたあの気持ちに対する返事は、まだしていなかった。
だからこそ、この最後の食事が終わり、日付が変わってしまう前に、自分の答えをはっきりと告げると決めていた。
「えっと、延長のお話だけど」
私が切り出すと、栞の顔がみるみる強張っていく。
そんなにガチガチになっていると、せっかくの天ぷらの味も分からなくなってしまうと思う。
やはり食事中にこういう真面目な話をするのは、タイミングとしてよくなかったのだろうか。
栞にしても秋子さんにしても、普段から分刻みで動いている忙しい人たちだ。
ここで一括して用件を済ませた方が、スケジュール的にも助かるだろう。
それにせっかく作ったのに、栞にはそんな顔で食べて欲しくないと思った。
「延長はしません。ただ、これも私のわがままになりますけど、週に一度や二度で良かったらお手伝いは出来ます」
「……それでは生活できないでしょ?」
秋子さんが箸を置き、怪訝そうに眉をひそめた。
「はい、だから国の支援をお願いします」
「生活保護かしら?」
「そうですね。今までは、私にそんな無駄な事をしなくてもいいと思っていました」
「どういう心境の変化?」
問いかけてくる秋子さんの視線が、しっかり伝えてくれると問いかけているように思える。
「栞や水無月さんを含め、唯さんとか、沢山の人が手を差し伸べてチャンスをくださいました。それを払いのけるのは、よくは無いと思いますし」
「あくまでも他人の為かしら?」
「いいえ、そこまで私は聖人君子ではないです。栞に、もう少しわがままになっていいと言われた気もして……だから少しだけあがこうと思いました」
このまま栞のハウスキーパーを続けながらここで暮らし、来年の為にチャレンジをするのが、一番楽だとは思う。
私だけを考えたら、金銭的な心配もしなくていいし、アスリートに合うような食事も大丈夫になる。
すごくいい環境だとは思える。
私はそれでいい。
でも、栞はどうなのだろう。
もしこのまま同じ屋根の下で関係が進んでしまったら、きっと私は、栞が身体を求めてきた時にそれを拒めず、そのまま差し出してしまう。
身体を差し出す、なんて言葉はおかしいかもしれない。
けれど、人を愛するって一体何だろう。
考えれば考えるほど、すごく難しい。
心がつながるとか、身体を繋げるのが、愛する事なのだろうか。
今の私には、まだ何もわからない。
そんな中途半端な気持ちのままで、ずっと彼女と一緒に暮らし続けるのはよくないと思う。
多分、栞はそれでもかまわないと、そう言ってくれるとは思うけれど。
それに、このままずるずるここに居たら、私はきっと栞に依存をしてしまう。
それが、自分自身の中でいちばん怖かった。
私は多分、一度でも誰かに依存をしたら、醜く執着を始めてしまうかもしれない。
もし恋人同士になって、その後に彼女を失ったりしたら、私はもう二度と耐えられないだろう。
だから、心の中ではもう結論を決めているはずなのに、はっきりと口に出来ないんだと思う。
私は膝の上でそっと拳を握り、目の前の二人を見つめた。
「今までは、サッカーが思いっきりできるとは思いませんでした。そのチャンスがあるのでそれに向かって頑張りたいと思ったら、以前のバイト三昧の生活は出来ません。それと同じように、ここのハウスキーパーとサッカーを両立させることも、今の私にはできないと思いました」
「綿津見さん少し意地悪な質問してもいい?」
「水無月さんなんですか?」
「もしそれでも入団できなかったらどうするの?」
「それは、考えたこともなかったです」
「完全に入団できる自信があるって事なのかしら?」
「秋子さん、それは失礼でしょ」
すかさず口を挟んだ栞の声を遮るように、私はまっすぐ秋子さんを見据えて言葉を返した。
「落ちるつもりでは受けません。思いっきりチャレンジして落ちたのなら、私は受け入れられます。反対に今まで通りで落ちたのなら背中を押してくれた人にも迷惑ですし、私自身許せないと思います」
淀みなく言い切った私の言葉に、秋子さんはふっと表情を和らげた。
なんだか今日の水無月さんは、いつもと少し様子がおかしいような気がする。
私をあえて試すような、底の知れない違和感。ただの気のせいならいいのだけれど。
「そぉ。納得したわ。栞はどうなの?」
「私としては残念だけど、アヤさんがそう決めたのなら納得する。あの部屋に戻るの?」
栞は寂しげに眉を下げながらも、私の目を見て静かにそう言った。
「私の家は……あそこだから」
自分で言っておきながら、なぜか一瞬だけ胸の奥がチクリと戸惑った。
あそこしか帰る場所なんてないはずなのに、なぜ私は今、言い淀んでしまったのだろう。
そんな小さな疑問を置き去りにしたまま、些細な食事会は静かに終わりを迎えた。
自分の部屋に戻り、ベッドに腰掛けてこの一か月半を振り返る。本当に、驚くほど楽しい日々だったと思う。
あの事件で私の止まっていた時間以降、文句なしに一番濃い時間だった。
でも、まだ本当に終わったわけではない。
私は、決意を決めて立ち上がり、廊下を進んで栞の部屋の前に立った。
静寂のなかで、ゆっくりとドアをノックする。
長らくかけていませんでしたがやっと公開できました。
めちゃくちゃ言い訳になっちゃうけど、20回ぐらい没になったんだよね。
結末は決めているのにその間が上手くかけきれない。
難しいですよね。
言い訳でした。
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