47話A 夕食での自問
帰宅してすぐ、私はすぐに晩御飯の為に、キッチンに立った。
西日が落ちて夜の気配が満ち始める中、一人で鶏肉に下味をつけ、熱した油へと落としていく。
静かな台所に、パチパチと小気味よく油の弾ける音が響き、香ばしい匂いがふわりと立ち上る。
カラリと揚がったきつね色のから揚げを大皿に盛り付け、冷房の効いた食卓へと運ぶ。
席で待っていた栞の前に、出来立ての料理と箸を静かに並べた。
お箸を手に取り、まだ熱いそれを口へと運ぶ。
から揚げを食べながら私は栞に声をかけた。
「味付けはどう?」
「うん。美味しいよ。塩味とレモン汁が最高かも」
「ならよかった」
栞においしく食べてもらってすごくうれしい気持ちになる。
そんな事が話したいわけではなく、唯さんのアドバイス通りにしっかり話し合わないといけないと思った。
実際どうやって切り出そうか悩んでいた。
栞に話さないといけないのはわかっているけど、どういえばいいんだろう?
「どうしたの綾さん?」
「口に合ったようでよかった」
「綾さんの手料理は本当においしいから口に合わない方が難しいかも。反対にあまりにも美味しいから他のものが食べられなくなっちゃいそうなのが怖いかも」
彼女がそう笑って言ってくれているから、多分冗談だとは思う。けれど、その言葉の響きが、今の私の胸の奥に妙な波紋を広げていた。
私は、彼女の事をどう思っているのだろう。
そして、彼女は私の事をどう思っているのだろうか。
どうしても頭から離れないのは、今朝見てしまった、あのDVDのことだ。
画面の中で絡み合っていたのは、私に似た女優と、栞に似た女優の卑猥なビデオだった。
ただの偶然にしては、あまりにも出来過ぎている。
もしあれが栞の意図したものであるなら、日本に帰ってきてからの、お互いのあの変な空気感の理由も間違いではないと思う。
私のこの疑念は間違いではないと思うけど、もしも本当にただの偶然だったら。
たまたま彼女が手に入れたものが、私と彼女に似ていただけのビデオだったのだとしたら。
それを「私のことが好きなの?」なんて問い詰めて、実は違ったらシャレにもならないだろう。
から揚げを小さく噛み砕きながら、私は目の前で無邪気に箸を動かす栞の顔を盗み見た。
もし栞が異性と同じ感情で私の事が好きと言ってきたら、私はどうこたえるのだろうか?
ふと沸き起こった疑問に、箸を持つ手がわずかに止まる。
でも、私と栞は女性だ。
普通に考えればおかしいと思うし、私も一応同性愛者がいるのは知っているけど、それが一般的ではないことくらいは分かっている。
いまさら私自身は他人の目を気にすることはないけれど、問題は栞の立場だ。
彼女は人気商売の芸能人なのだから、もしそんなことが世間にばれたら一大事ではないだろうか?
栞は物心着く前からこの世界に入っていると聞いたことがある。
物心って、一体何歳からだろう?
仮に四歳か五歳ぐらいだとして、彼女は今年一八歳だった記憶がある。
一三年以上もの長い間、彼女が必死に頑張って築き上げてきたキャリアなのに、私の存在がそれを一瞬で壊す可能性がある。
それだけの大きなリスクがわからない彼女ではないはずだ。
「恋人になってくれ」と、過去に誰かから言われたことはある。
けれど私はいつも、「やめたほうがいい。幻滅すると思うから」という言葉で断ってきた。
実際そう言われて、中学校のときとかに付き合ったことがあるけれど、どれも二・三日で破局していた。
だから自分の経験則としてそう言ってはいたんだけど、今こうして同じ屋根の下で生活している栞に対して、いまさら「幻滅するから」と言い訳したところで、彼女が納得するはずもないだろう。
私の内面も生活態度も、彼女はもうすべて知っているのだから。
から揚げのサクサクとした衣を噛み締めながら、私は小さく息を吐き出す。
私は少し、難しく考え過ぎなのだろうか?
答えの出ない自問自答だけが、冷房の効いた部屋の中で、私の頭をずっと支配し続けていた。
もう少しシンプルに考えてみようかな?
色欲や欲情といったものは単なる本能だから仕方ないけれど、特定の誰かを「どうしても好きだ」と思う感情は、決して本能だけで片付けられるものではない。
けれど、それは妥協や打算、損得の計算でもないだろう。
私はお父さんもあんな事をしたけどお母さんも今でも好きだ。
人ではないけれど、私を夢中にさせるサッカーのことも大好きだ。
こうした感情のどれもが、妥協なんかではないと思う。
唯さんやバニーといったシティのメンバーたちのことも、一緒にいて心地よくて好きだ。
この間ピッチの上で激しく戦ったレアルの選手たちのことも、リスペクトを込めて好きだと言える。
水無月さんや加藤店長など、私のことをいつも気にかけてくれる大人達のことも、決して嫌いではない。
なら、栞のことはどうなんだろう?
出会ったあの日、仕事に行こうと思ったら、早朝の激しい雨に濡れて道端で倒れていた謎の女の子。
それが始まりだった。
私が高熱を出して倒れた時、私の代わりにバイト先へと行ってくれたこともあった。
待ち合わせの場所に誰も来なくて一人で待っていた時、まっすぐに私の元へ来てくれた子。
バイトが無くなって困っていた私を、こうしてハウスキーパーとして雇ってくれた子。
唯さんに完璧に叩き潰されて心が折れそうになった時、隣でしっかりと支えてくれた事もあった。
こうして一つずつ振り返ってみれば、私は彼女に一方的に迷惑しかかけていない事に、今さらながら気づいてしまった。
イングランドへ渡ってからも、「面倒だ」と言いながらメールのやり取りは続いていた。
私はその時間を、何よりも楽しんでいたのだと思う。
時差のある海の向こうから届く、彼女からの言葉にふっと柔らかく解けていくようだった。
新着通知が鳴るたびに、私の胸の奥は小さく跳ねていた記憶がよみがえってくる。
きっと私は、栞の事が嫌いではないのだろう。
多分好きというものだと思う。
でも、これは両親を好きだという気持ちとは、また何かが違う感情でもあった。
私は、目の前で嬉しそうにから揚げを口に運んでいる彼女をじっと見ていた。
ただこうして、彼女が美味しそうに食べている姿を見ているだけで、自分の胸の奥がなんだかほっとする。
本当になんだろう、この感覚は。
ただまっすぐに彼女の姿を見て、心の中で想う。
嫌ではない。それどころか、一緒にいると少しだけ楽しいかもしれない。
この胸の弾むような心地よさは、私が大好きなサッカーをしている時の感覚にどこか近かった。
これ以上一人で考えていても仕方ないのに、私の思考は止まってくれない。
『話し合えば』
唯さんは確かにそう言ったけれど、一体、何を話し合えばいいのだろうか?
「私のこと好き?」と、そのままストレートに聞いてみれば、きっと栞は好きだと言うだろう。
そもそも、嫌いな人間をわざわざ自分のハウスキーパーとして雇うような人はいないはずだ。
結局、さっきから同じことばかりをぐるぐると考えている自分自身に、だんだんと嫌気がさしてくる。
箸を持ったまま、冷房の効いた部屋の中で、私は一人で出口のない迷路に迷い込んでいた。
じっと見つめてくる私の視線に耐えかねたのか、栞が箸を止めて、自分の頬に手を当てた。
「私の顔に何かついてる? もしかしてみそ汁のわかめとかが歯についてるとか?」
「気にしなくていいよ。いつも通りかわいい顔だから」
本当に、ただ思った事実をそのまま言葉にしただけだった。
それなのに、対面にいた栞が目に見えて狼狽し、手元のみそ汁のお椀を派手にこぼしてしまった。
私はすぐに動いてキッチンから布巾を手に取り、テーブルの上に広がっていく温かい汁を素早く拭き取って処理をした。
「ごめん、綾さん。急にいつも通りかわいいと言われてびっくりしちゃった」
「言われ慣れてるでしょ?」
「ま……そうだけど、綾さん普段言わないでしょ。だから、不意打ちっぽく来たからびっくりしちゃ……」
語尾がどんどん小さくなっていくけれど、彼女が言いたいことはよくわかった。
そう言えば、今までに一度もそんな言葉を口にしたことが無かったかもしれない。
私としては単なる客観的な事実を述べただけなのだが、彼女にとってはよほどびっくりすることだったのだろう。
まだ栞の顔は、恥ずかしさで真っ赤になったままだった。
「よくわからないけど、驚かしてごめん」
「こっちこそ、ごめんね」
よくわからないって、そんなはずが無いのに、なぜかそうやってごまかしていた。
彼女がどうしてそこまで赤くなって驚いているのか、本当はその理由をちゃんと分かっているはずなのに。私はなぜか、その理由を知らないフリをして、その場を濁してしまっていた。
この胸の奥にある、掴みどころのない曖昧な感覚のせいかもしれない。
自分一人ではどうしてもこの割り切れない思いの整理がつかなくて、唯さんに相談してみようかと一瞬思った。
困ったときにいつも的確な答えをくれる彼女のことを、私はまるでお姉さんみたいに思う。
きっとお姉さんが居たらこんな感じなんだろう。
私は夕食を終え、自分の部屋に戻った。
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