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【三部開始】 Liebe   作者:
3部 1章 最高のイングランドの経験

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45話 好奇心は猫をも殺す R15 描写あります。

 夜中に目が覚めた。

 壁の時計に目をやると、針は午前三時を指している。

 私は思わずクスッと笑ってしまった。

 ここに来る前は、新聞配達のために毎朝この時間に起きていたのだ。なんだかひどく懐かしく思えてしまった。

 同時に、重い現実が頭を頭をよぎった。

 九月からどうしよう。


 このままハウスキーパーを続けながら学校に通うのか。

 それとも以前のように、新聞配達のバイトに戻るべきか。

 悩みは尽きないけれど、心の中にある答えは一つだった。今まで以上に、サッカーの練習がしたい。


 日本にいてもプロの選手にはなれないと諦めていた。

 でも、イングランドにはチャンスがあった。

 プレシーズンマッチとはいえ、あの舞台に立てた時間は心から楽しかった。

 またあそこに立ちたい。


 ずっと諦めていたはずなのに。「ボールさえあればそれでいい」と自分に言い聞かせてきたはずなのに。

 やっぱり私は、サッカーがしたい。

 試合をしたい。


 さすがにこの時間からマンションの練習場を使うわけにもいかないし、二度寝も良くないと思い。

 リビングへ移動し、唯さんからいただいたDVDでも見ようと思い立った。

 栞を起こさないように廊下を静かに歩き、リビングの明かりを点ける。


 イングランドでの唯さんの邸宅や、このマンションの広い空間に身体が慣れてしまったなぁ。

 自分の狭いアパートに戻ったとき、私はどう感じてしまうのだろうと、一瞬だけ不安が頭をよぎった。


 DVDプレイヤーを操作しようとしたとき、トレイにすでにディスクが入っていることに気がついた。

 栞が見ていたのだろうか。

 私がいない間に、彼女がこれを使っていたのかもしれない。

 そう思うと、胸の奥から小さな好奇心が湧いてきた。

 栞は一体、どんなものを見ているのだろう。

 ここに入れっぱなしにしているのだから、きっと見られて困るものではないはずだよね。

 これが会話のきっかけになれば、気まずい今の状況の突破口になるかもしれない。


 私は高鳴る鼓動を抑え、リモコンの再生ボタンに指をかけた。

 画面に映し出されたのは、この間のプレシーズンマッチのダイジェスト映像だった。

 前半戦の様子はすべてカットされていた。

 映っているのは、私がピッチに足を踏み入れた瞬間からだった。


 これを通しで見ると、よく分かる。

 当事者としてピッチを駆けていた時には気付かなかったが、客観的な視点から見ると、私は面白いほどに当たり負けをして吹き飛ばされていた。

 一ゴール一アシストと結果は出していたけれど、実際はシティのメンバーが凄すぎて、相手のマークが私から逸らされた結果に過ぎない。

 もし相手が、ほんの少しでも私を警戒していていたら。

 多分、何の結果も残せなかっただろう。

 そんな反省が脳裏をよぎり、自分自身の非力さに溜息をついた、まさにその直後だった。


 画面に映し出されたのは、銀髪のウィッグを被り、赤いカラコンを入れたツンとした雰囲気の女性と、茶髪の栞によく似た女性の姿だった。


 銀髪に赤の瞳の姿は、あまりにも私自身に似すぎていて、現実感を失いそうになる。

 女性同士で、慈しみ合うような親密なやり取りをしている?

 あまりの衝撃に、これ以上は見てはいけないという防衛本能が働いた。

 私は震える手でリモコンを掴み、停止ボタンを押そうとする。

 だが、その指が届く前に、スピーカーから二人の熱を帯びた感情の揺らぎが溢れ出し、私は思わずリモコンを床に落としてしまった。

 視線は画面に釘付けになり、逃がしてくれない。


 心では「止めなければ」と叫んでいるのに、全身の血液が逆流するような熱さが駆け巡る。

 鼓動は不規則に跳ね上がり、ドクドクと耳元でうるさいほどの音を立てていた。

 未知の衝撃が全身を締め付けるようにうずかせ、抗いようのない動揺が、身体の奥底から痺れとなってこみ上げてくる。

 私はそんなはずはないと否定したいのに、身体が、うずうずと疼いて、強烈な情動に肉体が支配されていく。


 栞は、どんな気持ちでこれを見ていたんだろう。

 生き物にとって性欲が必要なのは知ってる。

 だけど、どうして私と栞にそっくりな姿の女優の動画なんて選んだの?

  理解が全然追いつかない


 栞は、そんな視線を私に向けていたのだろうか?

 いや、そんなはずはない。

 けれど、画面の中の光景はさらに密度を増し、緊迫した空気が漂っていく。


 茶髪の栞に似た女性が、銀髪のパートナーに完全に身体を預けて、甘く鼻にかかった吐息を漏らしていた。

 その指先が相手の背中にきつく爪を立てて、身体を弓なりに大きく反らせる姿は、あまりにも生々しくて、見てはいけない快感に溺れきっていた。


 目から飛び込んでくる圧倒的な熱情は、容赦なく私の理性をめちゃくちゃに壊していく。

 銀髪の女性が強引に相手の唇を塞いで、貪るように何度も激しく接吻を繰り返せば、茶髪の女性は抗うこともできずに甘い声を漏らして、しがみつくように絡みつく。


 同性同士の情愛なんて、自分には絶対に無縁だと思ってた。

 それなのに、画面越しにイヤホンなしで響く熱っぽい吐息と、肌と肌が激しく擦れ合う湿った音を聞いているだけで、私の呼吸はすっかり乱れて、下腹部の疼きはもう限界寸前まで跳ね上がっていた。


 社会的な地位もあるあの栞が、なんでこんなヤバい映像を。

 そんな疑問さえも、画面の中から溢れ出す圧倒的な悦楽に塗りつぶされていく。

 私自身の体も、その映像に栞の面影を重ねるようにして、どろどろに溶けた熱さにコントロールを奪われかけていた。


 私は、頭の中でよくわからない言い訳を必死に考えていたんだと思う。

 普段の私なら、こんなの「そう」で切り捨てて、終わりにするはずだった。


 だって、私には関係ないから。

 人が私にどんな歪んだ願望を持っていようが、それはその人の問題で、私にはこれっぽっちも関係ない。

 誰かに力ずくで襲われるような目にあっても、自業自得だって冷めて受け入れられるくらいなのに。


 それなのに、なんで相手が栞だと、こんなにも心がめちゃくちゃに動揺しちゃうの?

 そんなパニックに陥っているうちに、十五分くらいの短い動画は唐突に終わってしまった。

 画面の向こうの二人は、お互いに本当に幸せそうに抱きしめ合いながら。

 その人が隣にいれば、あんなに幸せそうな顔ができるのだろうか。

 私には、やっぱりよくわからない。


 ……ことわざで、なんて言ったっけ。

 触らぬ神に祟りなし、はちょっと違う。

 そうだ。好奇心は猫をも殺す、だ。

 あんな余計な好奇心を出して、再生ボタンなんて押さなければよかった。

 せめて、自分が映っているサッカーの場面が終わったところで、すぐに止めさせおけばよかったのに。


 真っ暗になったテレビ画面の前で、私にそっくりな女性の、あの甘く蕩けた声がずっと頭の中でリフレインしている。

 彼女の喘ぐ姿が、じわじわと私自身に投影されていくような、変な錯覚に襲われる。

「――っ」

 私はたまらなくなって、横に激しく何度も首を振った。

 自分の口から、信じられないくらい甘い吐息が漏れていた。

 ハッと息を呑んだ瞬間、興奮で少しよだれが出そうになっている自分に気が付いて、私はひどく惨めな気持ちになった。


 震える手でトレイから例のディスクを取り出し、テレビの横にそっと置いた。

 それから、本来の目的だった唯さんから頂いたDVDをプレイヤーに滑り込ませる。

 画面にはお世話になったイングランドの懐かしい光景やサッカーの映像が映し出されているはずだった。


 だけど――何一つ、頭に入ってこない。

 目に焼き付いたあの衝撃的な光景が、激しいノイズになって思考をジャックしてくる。

 栞にそっくりな人物が、見たこともないような切迫した表情で何かに追われている姿。

 私にそっくりな人物が、愛おしそうに乱れている姿がよみがえってくる。

 二人の不可解なやり取りが、耳の奥で、頭の中で、しつこいくらいに何度も何度もリフレインして離れなかった。


 結局、そのまま朝食を作る時間になっていた。

 なんとか朝ご飯の準備だけは済ませたけれど、栞が起きてくる前に慌てて書き置きを残し、自分の部屋へと逃げ帰った。

 ダメだ。いま彼女の顔を見たら、私が私じゃいられなくなっちゃう。

 今日は、彼女は仕事の予定らしく、しばらくすると廊下から「行ってきます」という声と、パタンと玄関の閉まる音が聞こえてきた。

 いつもなら、玄関に出て見送りするのにできなかった。

 普通に聞き流せるはずのその声さえ、今の私の耳には、あの動画の卑猥な甘い声に聞こえてきて、頭がおかしくなりそうだった。


 昼間、自分のハウスキーパーの仕事をなんとか終えて。

 私はマンションの専用練習場に向かい、一人でサッカーの練習を始めた。

 だけど当たり前だ。こんな心ここに在らずな状態で練習をしていても、何一つ身につくはずがなかった。

 ボールを蹴っていても、トラップをしていても、頭をよぎるのはあの動画の残像ばかり。


 誰がどんなビデオを見ていようと関係は無いはずだ。

 ああいう動画は需要があるから売られているだけで、私にはこれっぽっちも関係ない。

 栞が裏でそういう趣味を持っていたとしても、私の人生には関係ないはずなのに。


  ポンポンと、足元でリフディングを繰り返しながら、私は必死に考えた。

 あまりにも衝撃が強すぎる動画だったから、私は大げさに考えすぎているのかもしれない。

 もう少し、コンパクトに問題を整理してみよう。


 そもそも私は、あの映像を見てどう思ったんだろう?

 嫌だったか、と聞かれれば、不思議と嫌悪感は無かったと思う。

 過去に無理やり襲われた時は、後半こそ諦めて受け入れたけれど、心の底にはハッキリとした嫌悪感があった。

 動画と現実という違いはあるかもしれないけれど、あの映像を見たからといって、栞のことが嫌いになるなんてことは、絶対に無かった。

 きっと、もし栞にそういうことをされたとしても……あの時のように、無理やり襲われるようなことがあったとしても、ショックはあっても私は絶対に彼女を嫌いにはなれないだろう。

  まあ、彼女はそんな私の意思に反して、そういうことをする人じゃないとは思うけれど。


 じゃあ、私は栞のことをどう思っているの?

 気になる人で、それに、私の命の恩人だ。

 彼女が差し伸べてくれた手が無ければ、こんな贅沢な生活どころか、今頃「九月からの生活をどうしよう」なんて悩む権利すらなく、路頭に迷っていただろう。


 もし……もしも、栞が私を……女の子として、異性のように愛してたとしたら……。

 そこまで考えた瞬間、頭に火がついたみたいに、耳たぶがカッと熱くなって、頬まで真っ赤になっていくのが自分でも分かった。

 さすがに、こんな大混乱を唯さんにそのまま質問できるわけもないし、どうしよう。


 いくら一人で頭を抱えて考えたところで、答えなんて出るはずがなかった。

 私は悩みに悩んだ末、イギリスにいる唯さんに、短く一つだけメールを送った。

『もし同性から告白されたら、唯さんならどう思いますか?』

 スマホの画面で時間を見ると、日本は十四時。あっちのマンチェスターは、ちょうど朝の六時になったばかりかな。


 唯さんは朝が少し弱いから、起こしちゃってたら悪いな、なんて心配が頭をよぎる。

 私は一度大きく息を吐き出してサッカーボールを拾い上げると、今日の夕飯の買い出しのために、重い足取りでマンションを出た。

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