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【三部開始】 Liebe   作者:
3部 1章 最高のイングランドの経験

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2章 お互いの変化? 44話 楽しみな帰国のはずが

 飛行機の中で唯さんに渡された包みを開き、その中身に驚かされた。

 新しい練習帳。

 新しいものが書いてある練習帳で本当にうれしかった。 

 練習帳の下にあったもう一つの存在に釘付けになっていた。

 ポータブルDVDと、その傍らに添えられた三枚のディスク。

 なんだろう、これ?


 私は一番と書かれたディスクをトレーに滑り込ませた。

 画面が切り替わると、そこに唯さんが映し出される。どうやら、練習の様子を動画で指南してくれる教材のようだ。

 これだけでも、信じられないような驚きだった。

 唯さんのはうとさんに渡された包みを開き、その中身に驚かされた。

 新しい練習帳。

 新しいものが書いてある練習帳で本当にうれしかった。 

 練習帳の下にあったもう一つの存在に釘付けになっていた。

 ポータブルDVDと、その傍らに添えられた三枚のディスク。

 なんだろう、これ?


 私は一番と書かれたディスクをトレーに滑り込ませた。

 画面が切り替わると、そこに唯さんが映し出される。どうやら、練習の様子を動画で指南してくれる教材のようだ。

 これだけでも、信じられないような驚きだった。

 唯さんのHow toDVDなんて誰もが欲しがるものじゃないだろうか?

 けれど、映像はそこで終わらなかった。

 画面の向こうには、シティのみんながいた。

 ミデマーさんとバニーが二人並んで、顔を見合わせながら楽しそうにドリブルの極意を実演してくれている。

 さらにはローレンさんまで現れて、柔らかな表情で的確な助言を口にする。

 他にも、チームのみんなが次々と現れては、私のために言葉を紡いでいる。

 私も練習に参加をしていたはずなのに、いつの間に、こんなものを作ったのだろう。

 視界が急激に滲んでいく。

 胸の奥の深いところが、焼けつくように熱い。

 止めどなくあふれる涙を拭うことさえ忘れ、私は瞬きもせずに画面の中の優しい光景を見つめ続けた。

 栞に出会ってから、どうしてこんなにも涙もろくなってしまったんだろう。

 それも悪くないのかなと、少しだけそう思った。

 画面の中で繰り返される動きを食い入るように見つめ、唯さんのくれた練習帳に目を落とす。

 その繰り返しに没頭しているうちに、機内の退屈な時間はいつの間にか消え失せていた。

 心地よい疲労感にまかせて少しだけ仮眠をとったとき、ふと、機内に響き渡るアナウンスが耳に届いた。

  現実に引き戻されるような、それでいてどこか遠い響き。

 この放送が、イングランドで過ごした濃密な一週間の終わりを静かに告げているのだと、身体が自然と理解していた。


 日本に到着したのは翌日の午後の一時過ぎ。

 一瞬自分の家に荷物を置こうとも考えたけど、なぜだか早く栞のマンションへと向かうことにした。


 バスと電車を乗り継いで辿り着いた頃には、時計の針はもう四時を指している。

 このまま、マンションに直行するのもいいけれど、せっかくなら今日の夕飯の買い物をしようと思った。

 私は帰宅の足をとめ、マンションの近くにあるスーパーへと向かった。


 1週間と少し。たったそれだけの期間のはずなのに、目の前にそびえるデザイナーズマンションの外観が、やけに遠い記憶のように懐かしく感じられた。

 専用の鍵を回してエントランスへ足を踏み入れる。顔なじみのコンシェルジュが丁寧に会釈を返してくれ、私が問うより先に「栞様はすでにご帰宅されております」と教えてくれた。

「ありがとう」

 短く感謝を伝えてエレベーターへと向かう。

 三十八階のボタンを押し、身体を浮き上がらせるような上昇の感覚を少しだけ懐かしむ様に楽しかった。

 到着を告げる軽やかな電子音とともに扉が開き、私は慣れた手つきで彼女の家の鍵を開けた。


「ただいま」

 玄関のドアを開けて一歩足を踏み入れた瞬間、予想だにしない気配が突風のように飛び込んできた。

 栞は驚くほど勢いよく走ってきて、私の身体にそのまま飛び込んできた。

 私はとっさに床へ荷物を滑り込ませ、両手を広げてその柔らかい身体をしっかりと受け止めた。


「どうしたの、栞?」

「戻って、きた……」

 栞の声は掠れていて、まるで泣き出しそうな響きをしていた。

 その腕は私の背中に回され、折れんばかりの力で抱きしめられている。

 私は彼女の背中を、ゆっくりと、安心させるように撫でた。


「ただいま。……戻ってきたけど、どうしてそんなに不安そうなの?」

 私の問いかけに、彼女は言葉を返す代わりに、もう一度だけ私を強く抱きしめた。

「どうしたの? たった一週間、家を空けていただけでしょう?」

 そう口にしながらも、私自身の胸中も揺れていた。

 この一週間は、短かったようでいて、長くそして、濃密な時間だった。

「……もう、日本には帰ってこないような気がして」

「ん? それとも、私が帰ってこない方がよかった?」

「誰も、そんなこと言ってないよ」


 ふと力が抜け、栞が私から少しだけ身体を離した。

 潤んだ瞳でこちらを見つめ、彼女は小さく「おかえりなさい」と微笑んだ。

 その視線が、私の足元にあるスーパーの袋へと向けられる。

「綾さん、それ……?」

「今日のご飯だけど。何か変?」

「いいの……?」

「私はこの家のハウスキーパーだけど、首になった?」

「違うけれど、そうじゃなくて。帰って来たばかりなのに、無理しなくてもいいのにと思って」

「作りたいから買ってきたの。……いらないのなら、今日は作らないけれど」

「だから、そういうことじゃないってば……。久しぶりに、綾さんのご飯が食べたいの」

 栞の素直な言葉に、少しだけ嬉しさがこみあげてくる。

 先月までは自分だけだったのにこのように返事が来るのは少しだけ嬉しい。


「うん、なら少し部屋に戻って着替えてくるわね。栞は悪いけれど、買い物の荷物を冷蔵庫に入れておいてくれる?」

「……かまわないよ。綾さんのご飯のためなら、喜んで」


 栞は私の言葉に笑みを浮かべ、買い物袋を抱えてリビングへと小走りで向かっていった。

 私の料理をそこまで心待ちにしてくれていたのだろうか。

 そういえば、日本に到着してすぐ、唯さんにメールしたときのことだ。

 唯さんは、『綾ちゃんのご飯が恋しい』と書いてあった。

 あのとき私は、「まだ日本に着いて一日も経っていませんよ」返した。


 それにしても、今日の栞はどこか様子がおかしい。

 抱きしめられたときの、あの震えを含んだ力強さ。

 まるで、私がいなくなるのを恐れているかのような?

 何かあったのだろうか。私の知らないところで、彼女をそこまで追い詰める何かがあったのか。

 仕事で何かあったのだろうか?

 それとも私の事がばれて何か言われているのか? 

 そんな不安を胸の奥にしまい込み、私は着替えを済ませてリビングへと足を向けた。


 キッチンに立ち、手早く夕食の支度を始める。

 手元を動かしながら、ふと部屋の電話を手に取り、水無月さんに連絡を入れた。

「……ただいま戻りました。今、夕食を作っているのですが、もしよろしければご一緒にいかがですか?」

「綾さん、おかえりなさい。ええ、もちろんよ。楽しみにしているわ」


 受話器を置き、私は再び料理に向き合う。

 鍋の中でコトコトと音を立てて煮込まれる料理の香りが、部屋を満たしていく。

 その間ずっと、背中に突き刺さるような熱い視線を感じていた。栞がソファから片時も目を離さず、じっと私を見つめているのだ。

 何か特別楽しいことが起きているわけでもないのに、その視線はあまりに濃密で、肌を焼くほどに痛い。

 私はあえて振り返らず、ただ淡々と、しかし彼女の視線を一身に受け止めながら、鍋の火加減を調節した。


 彩り豊かな夏野菜を贅沢に使ったカレーに、瑞々しいサラダ。食欲をそそる香りを漂わせるコーンスープを、丁寧に食卓へ並べていく。

 栞も慣れた手つきで食器を運ぶのを手伝ってくれてはいるけれど、その視線は私の動き一つひとつを追うように、何度も何度もこちらへ向けられる。まるで私の姿が蜃気楼で、いつか消えてしまうのではないかと確かめるような、そんな焦燥を感じる視線。何か、私の知らないところで彼女の中に澱のようなものが溜まっているのだろうか。


 ちょうど準備が整ったタイミングで、インターホンが鳴り、水無月さんが到着した。

 三人が席につき、食卓を囲む。

 一息ついたところで、私はイングランドで選んできたお土産を二人へと差し出した。

「何がいいのか分からなくて……定番だけど、チョコレートを選んでみました」

「ありがとう、綾さん」

 二人は顔をほころばせ、受け取ってくれる。私はそこで、ふと思い出した唯さんの伝言を水無月さんに伝えることにした。


「水無月さん。唯さんから伝言を預かっているんです」

「私に? ……なあに?」

「はい。『秋ちゃんの要望通りにはならなかったけれど、いろいろと前には進んだ気がする。私にとってもね。また帰国した時、またいっぱい話そうね』とのことでした」


 私がその言葉を伝えたとき、唯さんの真意が分からず小首を傾げた時のことを思い出す。

 何度聞いても、『秋ちゃんだけが分かればいいことだから』と、いたずらっぽく煙に巻かれてしまったのだ。

「……そう。唯がそう言っていたのね。ありがとう、綾さん」

 水無月さんは複雑な表情で、小さく微笑んだ。


 けれど、その言葉を耳にした途端、栞の顔がすっと陰ったように見えた。

 スプーンを止めた彼女の表情は、どこか言いようのない不安に支配されている。

 ただの言葉の伝達に過ぎないはずなのに、どうして栞はこれほどまでに動揺しているのか。

 やはり今日の彼女は、何かが決定的に違う。

 私は温かな料理の向こう側で、栞の表情から目が離せなくなっていた。


「どうしたの、栞? 仕事で何か嫌なことでもあった?」

 私は心配を隠しきれずに尋ねた。

 今の彼女は、どこか不安定にみえる。

「……べつに。いつも通りだよ」

 栞は視線を泳がせながら、小さな声でこぼす。

「ただ、ずっと綾さんの食事が食べられていなかったから……元気が出ないだけかも」

「もう大丈夫よ。夏休みが終わるまでは、しっかりと家事をさせてもらうからね」

 私が何気なく口にしたその期限に、彼女の反応は鋭かった。

「夏休みいっぱい。……それ以降は?」

「それは……分からないわ」


 私は正直に答えた。

 夏休みが明け、学校が始まれば日常は動き出す。

 自分の家にも戻らなければならないし、何より、私の抱える「過去」が世間に露見してしまえば、ここでの生活も立ち行かなくなる。

 私への繋がりが、彼女の人生を傷つけることになってしまうかもしれない。


「最初の約束は『夏休みいっぱい』だったから、それ以降は話し合いじゃなかった?」

 カチャリと金属音が鳴る。

 スプーンを置いて、栞が急に立ち上がった。

 椅子が床を擦る鋭い音がリビングに響く。

 彼女はどこか追いつめられたような瞳で、じっと私を見下ろしていた。

「……そうだけど」

 私が淡々と答えると、栞はさらに表情を強張らせる。

「今日の栞どうしたの? 何を不安がっているの?」

 私が真っ直ぐに問いかけても、彼女はすぐに視線を逸らしてしまった。

「別にいつも通りだよ」

 その言葉とは裏腹に、彼女の手先は小さく震えている。

 食卓の向かいにいる水無月さんに視線を送った。

 彼女は黙って首を横に振っただけだった。

 その表情には何か……決定的な事情を察しているような、静かな気配が漂っていた。


 本当に、どうしたのだろうか。

 唯さんは帰国する前、栞とよく話し合っておくようにと言っていた。けれど、目の前の栞の様子を見ていると、まともな会話が成り立つとは思えない。

 もし正面から尋ねたところで、素直に打ち明けてくれるのだろうか。

 今の彼女はとても冷静とは言えない。

 そんな状態で、私は何を切り出せばいいというのだろう。

 楽しみだったはずのこの場所が、今は重苦しい不安の海に沈んでいくようで、胸の奥が押しつぶされそうだった。

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