41話 プレーシーズンマッチ後半戦
多分本格的なサッカー描写はこれで終わると思います
サッカー小説じゃないしね
「アヤ、記念に蹴りな」
いつもセンターフォワードを務めるバニーが蹴るはずだった後半のキックオフに、突然指名された。
「いいの?」
「どうせ後ろに蹴るだろ?」
「流石に紅白戦みたいな派手なことはできないから」
「それ監督に禁止されてるでしょうが」
「うん。そうだね」
エティアス・スタジアムの夜空の下、大歓声が再び大きく渦巻いていた。
シティWFC対レアルWFCのプレシーズンマッチ、後半開始の瞬間。
ライトブルーのユニフォームを着た我々のサポーターと、白一色のレアルサポーターがスタンドの両端で激しく歌い合い、ピッチ全体に熱気が立ち上っている。
照明の白い光がグラウンドを照らし、夜の湿った芝の匂いが鼻を突いた。
目の前には、レアルWFCの選手たちがずらりと並んでいる。
スペインの強豪、白いユニフォームがライトに美しく輝き、まるで一枚の絵画のように圧巻の光景だった。
心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響く。このスタジアムでボールを蹴れるだけで、幸せを感じていた。
主審の笛が、鋭く高らかに鳴り響いた。
私は胸の奥で爆発しそうな高鳴りを、すべて右足に込めた。
慎重に、しかし力強く——唯さんへボールを丁寧にパスする。
ボールが芝を滑る小さな音が、歓声の合間に聞こえた気がした。
後半序盤の攻防は、序盤以上に激しく一進一退だった。
中盤でボールが激しく奪い合われ、肉弾戦のようなタックルが飛び交い、なかなか私のところへ来ない。
汗が目に入りそうになるのを瞬きで振り払ったその時—— 唯さんが相手のパスを鋭く読み切った。
鮮やかなインターセプト。一瞬だけ、彼女と目が合った。
私は迷わず、彼女がボールを運んでくれるであろうポイントまで、全力で走り込んだ。
ボールが私の足元に収まった瞬間、相手DFの身体を軸に素早く回転して抜き去った。
「マノン、カディサをマーク! 危なくなったら彼女に行くからフォロー頼む!」
「了解!」
私の真正面に、スペイン代表DF、メリー・メンデスが立ちはだかった。
長い手足、鋭い眼光。世界トップクラスのDFが、静かに構えている。
一瞬、バニーへパスしようかと思った。
しかし位置が悪すぎる。彼女にパスを出せば、確実にカットされる位置。
他のパスコースを探しても、すべてが攻撃のテンポを殺す配置ばかりだった。
……覚悟を決めた。
私はドリブルで仕掛けた。
「来るの? 結構度胸あるのね」
メリーが、唇の端を吊り上げて挑むような笑みを浮かべた。
その声が、歓声の中で不思議とクリアに聞こえた。
私はまずパスフェイントを入れてみた。
右足を大きく振りかぶり、左へ出すふりをする。
しかし相手は一切乗ってこなかった。
ならそのまま——私はドリブルを続けた。
歩くような、ゆったりとしたリズムでボールをタッチし、距離を詰めていく。
すると、メリーの目にわずかな戸惑いの色が浮かんだ。
あの、ムーンシティでの練習と同じだ。
なぜか私と1on1になると、初めての相手は必ずこの一瞬を見せる。
視線がほんの少し泳ぎ、呼吸が乱れる。
そして、そんな時は不思議と、すべてが私の思う通りに運ぶ。
私はさらに緩やかにドリブルを刻み、ふっと完全に足を止めた。
時間に隙間ができたような、静寂の瞬間。
メリーが我慢できずに一歩踏み込み、足を伸ばしてきた。
その瞬間。
右足の裏でボールを素早く引きつけ、コマのように素早い反転。
体が一回転し、左足の内側でボールを滑り込ませるように前へ押し出した。
完璧なタイミング。ボールはメリーの伸ばした足のわずか横を、するりと抜けていく。
メリーの足が宙を切り、バランスを完全に崩した。
彼女の背中が視界に入り、置き去りにしたまま、一気に加速した。
風が頬を切り、スタンドの大歓声が一層大きくなった気がした。
「行ける……!」と心の中で実感していた。
『世界選抜にも選ばれるメリー・メンデスが、無名の日本人にあっさり抜かれた!』
実況の興奮した声が、スタジアムのスピーカーから大きく響いてきた。
その言葉が耳に届いた瞬間、背中がぞわっと震えた。
レアルのキャプテンであり、世界トップクラスのゴールキーパー、ミリアが猛然と私に詰めてきた。
その後ろからは、マノンもバニーの走るラインを消すよう、素早くサポートに上がってくる。
ピッチ全体が一気に加速したような、熱い空気の流れを感じた。
私は一瞬、シュートモーションに入った。
右足を大きく振りかぶり、ミリアの視線を釘付けにする。
そして——その刹那、足首を柔らかく返して、斜め右前方へボールを浮かせた。
低い弾道のアーチを描きながら、ボールが夜空に溶け込むように飛んでいく。
きっとここに走ってきてくれるはずだ。
バニーを、心の底から信用して。
その瞬間、世界がスローモーションになった。
ボールが架け橋のように美しい弧を描く。
ライトに照らされた白い軌跡が、まるで時間が止まったかのようにゆっくりと見えた。
バニーが全力で飛び込み、完璧なタイミングで頭を合わせる——
ゴンッ、という重い音が響いた。
ボールは矢のように一直線に突き進み、レアルのゴールネットに激しく突き刺さった。
ネットが大きく揺れ、ゴールインの電子チャイムがスタジアム中に鳴り響く。
次の瞬間、大歓声が爆発した。
ライトブルーのスタンドが一斉に揺れ、歓喜の波がピッチに雪崩れ落ちてくる。
バニーが真っ直ぐに飛びついてきた。
「アヤ!!」
彼女の汗まみれの体温と、力強い抱擁。
すぐに他のチームメイトたちが雪崩れ込み、私を囲んで何重にも抱き着いてくる。
肩を叩かれ、頭をくしゃくしゃにされ、叫び声が耳元で飛び交う。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
ただ、胸の奥が熱くて、視界が少し滲んでいた。
……プロでも、やっていける。
このステージで、ちゃんと通用するんだ。
私はようやく笑顔を浮かべ、仲間たちの輪の中で小さくガッツポーズをした。
エティアス・スタジアムの夜空に、私たちの歓声が大きく広がっていった。
同点に追いついた瞬間、試合の熱がさらに加速したのを肌で感じた。
スタジアムの空気が一気に熱を帯び、ライトブルーのスタンドから響く「シティ! シティ!」のコールが、鼓膜を震わせる。
息を吸うだけで胸が熱くなるような、そんな高揚感だった。
相手ボールで後半のキックオフが再開された。
ボールはすぐにキャサリン選手。
レアルの背番号10番、毎年バロンドールをノミネートされる世界最高峰の選手の足元へ渡った。
私はすぐに距離を詰め、彼女の動きを読みながらタックルに入った。
しかし、軽やかなボールタッチでかわされる。
一瞬の隙を突かれ、完全に置き去りにされた。
彼女が向かった先には唯さんが待ち構えていた。
唯さんが鋭いスライディングでボールを奪取し、すぐに立て直す。
「ナイス!」という声が飛んだ。
私はまた全力で走り出した。
唯さんから、スピードに乗った強めのグラウンドパスが飛んでくる。
足元にぴたりと収まったボール。
その勢いのまま、私は一気に加速してドリブルを開始した。
またも、メリー・メンデスが私の前に立ちはだかった。
先ほど抜かれた屈辱が、彼女の目に燃えているのがわかった。
今度は違う。
私は右足の外側でボールを軽く蹴り出すようなふりをした。
右へ行くように体を傾けた瞬間、メリーの重心がわずかに右へ流れる。
その刹那、右足を素早く内側へ返してボールを一瞬で引き寄せた。
ボールが左側へするっと移動し、体が勢いよく向きを変える。
メリーの伸ばした足が空を切った。
そのままメリーの左側を突き抜けようとしたその瞬間。
ガツン、という衝撃を受けた。
マノンが完璧にタイミングを合わせてスライディングカットしてきた。
ボールは跳ね上がり、シティの陣地深くへ蹴り出されてしまった。
「何が起きてるの……私が二度もこんな日本人に抜かれるなんて」
メリーの苛立った声が聞こえた。
「メリー、無理もないわよ」
マノンが冷静に答える。
「この子より私が下手だって言うの?」
「ううん。この子、ボールを一切見てないの」
「そんな事が……」
「だからボールを一切確認せずにドリブルをする。だから私たちは、一瞬遅れるの。脅威的だとは思うけど……身体の使い方はまだアマチュアレベルよ。冷静に見たら、あなたも簡単に止められるわ」
その会話を、走りながらはっきりと聞いてしまった。
やっと理解した。
だからムーンシティのみんなは、最初は驚いたり戸惑ったりするけど、理解したら止められるようになったんだ……。
「面白い手品だけど、種がわかったら私たちは抜けないよ」
マノンが私の方を見て、静かに、しかしはっきりと言ってきた。
その言葉が、胸に突き刺さる。
それ以降、彼女たちの言う通りになった。
隙があると思って仕掛けるドリブルは、すべて読まれ、受け止められてしまった。
一度種が割れたら、もう同じ手は通用しない。
世界レベルの選手たちの目は、恐ろしく鋭かった。
何度も止められ、潰され続けていた。
私がボールを持つたびに、攻撃のリズムが微妙に狂っている気がした。
その時、自チームのベンチの方に視線が吸い寄せられた。
ジェシカ・ロードさんが、準備を始めていた。
彼女はいつも左サイドの攻撃を担う選手だ。替わるとしたら、私になる。そう直感した。
トップ下のフェムケ・メイヤーさんが、私にボールを優しく預けてくれた。
私はすぐにヒールで後ろへ返し、ダッシュでスペースへ飛び出した。
フェムケさんが素早く反応し、バニーへ浮き球のパスを出した。
バニーはヘディングシュートするふりをして、左前方へ柔らかくボールを落としてくれた。
私はそこへ全力で走り込んだ。
右足を振り抜く。
バニーとメリーの影が一瞬、ミリアの視界を遮ったのか反応が遅れていた。
ミリアが必死にジャンプして手を伸ばす。
しかし、指先がわずかに届かない。
ボールは綺麗な線を描き、ゴールの右上ギリギリを突き抜けてネットに吸い込まれた。
ゴール!
スタジアムが爆発した。
ライトブルーの大歓声が、波のように私を包み込む。
私の身体の奥底から、熱いものが一気にこみ上げてきた。
いつ以来かわからない。
心の底から、声にならない叫びが溢れ出した。
「うおおおおっ!!」
両拳を握りしめ、私はピッチに膝をついた。
涙が滲むのを、必死に堪えていた。
すべてが報われたような、すべてがまだ始まったばかりのような——そんな感覚が、全身を駆け巡っていた。
後半35分に逆転ゴールを決めた直後、私は選手交代を告げられた。
もう少しやりたかった……。
そう思った瞬間、足に力が入らなくなった。
立ち上がろうとしたら、ふらりと倒れ込みそうになる。
その身体を、唯さんが素早く支えてくれた。
「綾ちゃん、よく頑張ったよ。けっこう吹き飛ばされてたからね。ゴール決めて、気が抜けちゃったんでしょ。ゆっくりベンチで休んで」
唯さんの優しい声と、温かい手の感触に、胸がぎゅっと締め付けられた。
ふらつきながらベンチへ向かう道中、チームメイトたちが次々と私の肩を軽く叩いてくれた。
「ナイスゴール」
「お疲れ」
「アヤ最高!」
その声が、耳に心地よく響く。
スタジアム全体から、大きな拍手が降り注いだ。
ライトブルーのサポーターが立ち上がり、名前を呼んでくれている。
その拍手の波が、胸の奥までじんわりと染みてきて、私は思わず目を伏せた。
目に、熱いものがあふれてきた。
ジェシカ・ロードさんと交代する時、私は小さく頭を下げた。
「お、お願いします……」
「うん、お疲れ様。アヤ、めっちゃ良かったよ」
その言葉が嬉しくて、思わず笑顔がこぼれた。
ベンチに戻ると、ストラーム監督がすぐに立ってきて、私の頭を優しく撫でてくれた。
「最高だったぞ、アヤ。お前はよくやってくれた」
監督のその言葉で、ようやく実感が湧いてきた。
私のシティWFCでの一週間のトライアウトチャレンジが、こうして終わったんだ。
ベンチに腰を下ろした瞬間、足の震えが止まらなかった。
汗と涙が混じり合って頬を伝う。
スタジアムの歓声が、まだ遠くで鳴り響いている。
私はそっと顔を両手で覆い、静かに息を吐いた。
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