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【三部開始】 Liebe   作者:
3部 1章 最高のイングランドの経験

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39話 イングランドのサッカー視点ってこういうものだんだと思った

 いまだに、なぜ自分がここに居るのか不思議に思うことがある。

 あの紅白戦が終わり、正式にトップチームへの練習参加が認められて、実際には最高に楽しかった。  

 練習中には、あのバニーから直々に身体の使い方のコツを教えてもらう機会もあった。

 唯さんのアドバイスとは少し違ったので、その疑問を率直にぶつけてみると、バニーはにっかりと笑ってこう教えてくれた。


「体格が違うからね。アヤは百七十センチと高い方かもしれないけど、それでも私より十二センチは低い。でも、ユイよりは八センチほど高いだろ?」

 確かに、体格がこれだけ違えば、最適な身体の使い方が変わってくるのも当然だ。

「両方やってみて、自分に合う方法を探しなよ。もしかしたら、自分に合ったまた別の新しい方法が見つかるかもしれない。……今回は負けたけどさ、あんたが今の身体の使い方のままだったら、次からは絶対に通用しないよ」


 そう言って私の頭をポンポンと撫でると、バニーはそのまま他のメンバーのところへ行ってしまった。

 その後も、たくさんの選手が私のところに集まってきては、気さくに話しかけてくれた。

 世界最高峰の環境でいろいろな刺激を貰って、本当にここに来てよかった。

 心からそう噛み締めていた。

 だから、練習が終わった後は、唯さんと一緒に仲良く帰る予定だったはずなのに。


「綾ちゃんの歓迎会なのに、主役なのになんでそんなに静かなの?」

「唯さんの家って、バーでしたっけ?」

「ここはパブだよ。さすがに綾ちゃんの年齢でバーに連れて行ったら大目玉喰らっちゃうよ」

「たしか、唯さんの家に行く予定だったのでは? ここがそうですか?」

「みんな君と交流を持ちたいらしくてね。明日は練習お休みだし、いい機会かなって」

「お酒を飲む口実ですか?」

「そうともいうね。理由なくても適度に飲んだりはするんだけど、たまにはいいんじゃない? こういうのもね」


 ここがパブって言うんだ。

 今は知らないけど、ヴィクトリア朝時代だと社交場として機能してたっけ?

 良くは知らないけど。

 最初入店した時はお客さんがすごいうるさかったけど、何かを話した後、見守るようにしてくれてるのが凄くわかる。


「んで……アヤちゃんは彼氏とか?」

「いませんけど」


 山瀬さんがそんな質問をしたのを皮切りに、チームメンバーからどんどんこの手の質問が増えてきた。


 恋愛に興味が無いのとか、実は女性が好みだとか、お酒が進んできた彼女たちの追及は止まらない。

 中には「アヤなら私が付き合ってあげてもいい」なんて声まで飛び出してきたけれど、そういうのには本当に興味が無いので丁重に辞退しておいた。


「綾ちゃんは真面目だよね。酔っ払いは無視すればいいのに」

 苦笑いしながら、唯さんが私にそっと声をかけてくれた。

「皆さん、明日からの練習は大丈夫なんですか?」


「だから素面の人が数人いるでしょ。飲んでも体調管理ができる人もいるけど、我を忘れて飲む馬鹿はいないから安心して、それに先ほども言ったけど明日はお休みだよ」


 唯さんの言う通り、彼女たちは他、のお客さんとも陽気に飲んではいるけれど、気づけば熱いサッカー談議を交わしていたりする。

 何人かで話していても、決して女性一人の状態にはなっていなかった。

 純粋にお酒を楽しんでおしゃべりをしている感じだった。

 私の知ってる様子とは違うので本当にびっくりしてしまう。


「私、居なくてもいいんじゃないですか?」

 盛り上がる輪から少し外れて呟いた私に、唯さんは優しく言葉を返した。

「私は、こういう空気感も知ってほしいと思ったんだけどね。……綾ちゃん、一つ約束」

「約束ですか?」

「この一週間でいい。栞ちゃんや秋ちゃんのことを考えたりもすると思うけどね。なるべく、日本にいた時の自分を持ってこないこと」

「どういうことですか?」

「純粋にサッカーを楽しむ。ここを楽しむ。今を楽しむことに重点を置いてほしいんだ。きっと、あなたの人生で無駄になる経験はしないから」


 唯さんは手元のミネラルウォーターを口に含むと、私に向かってニッと悪戯っぽく笑ってみせた。

「わかりました」

「わかったのならもっと食べて楽しもう。他のお客さんと話してみてもいいしね」


 唯さんはこの見知らぬ土地で、私の保護者をしてくれるつもりみたいだった。

 右も左もわからない状態だったので、その心遣いが本当にありがたくて、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 私は唯さんの勧めに従って、思い切って他のお客さんたちとも話をしてみた。


 驚いたのは、彼らの誰もがサッカーに対して凄まじく詳しいことだった。

 そしてさらに驚いたのが、非公開だったはずの今日の紅白戦なのに、なぜか私の情報がすでに彼らの耳に入り、入手されていたことだ。

 なぜ見ず知らずの東洋人の自分と、これほど熱心に写真を撮りたがるのか、最初はまったく実感が湧かなかった。


「頼む、ぜひうち(ムーンシティ)と契約してくれ!」

 口々にそう叫ぶ彼らは、まるで自分がクラブのオーナーや監督であるかのように熱っぽく語るので、見ていて少しおかしかった。


 ビールグラスを掲げて熱弁を振るう彼らの話に耳を傾けているうちに、不思議な面白さは、ゾクリとするような深い納得へと変わっていった。


 彼らにとって、この『ムーンシティ』というクラブは、単なる娯楽なんかじゃない。

 この街に生きる人々の血の通った誇りであり、人生そのものとしての自慢なんだと感じてしまった。

 パブに満ちるむせ返るような熱気を通じて、その剥き出しの熱意が私の肌に痛いほどダイレクトに伝わってくる。


 その果てしない期待を真っ直ぐに背中に受けてピッチに立つ彼女たちは、この街の未来を背負って戦う、本物の『英雄ヒーロー』なんだと理解できた。


 だからなのだろう。日本の一部で見られるような、女子選手に対するセクハラな視線や、女性アスリートをどこか下に見るような無礼な言動は、このパブには微塵も存在しなかった。

 彼らはただ、純粋な、最大級の敬意をもって彼女たちに接しているのが肌で感じられた。

 これこそが、サッカーの母国・イングランドが長い歴史の中で築き上げてきた、社会とフットボールが完全に一つに溶け合った姿なのだと、全身が震えるような感覚と共に肌で感じていた。


 唯さんが、ここなら思う存分にサッカーができるよと言った理由が、今ならはっきりとわかる気がした。

 それ以降も毎日の練習に参加し、時には海外のチームメンバーたちに色々とおもちゃのように遊ばれたりしながら、私は彼女たちとすっかり打ち解け合っていった。


 まだ一週間だけれど、本当に、すごく充実したイングランドでの経験をさせてもらっていると思っている。

 だからこそ、その大きな恩返しを、私は明日のプレシーズンマッチの一戦で、最高のプレーとしてお返ししたいと強く願っていた。


 今日の全体ミーティングで、明日の試合は後半から私を出場させてくれることが分かった。

 ただし、ストラーム監督からは「頼むから、あの紅白戦みたいなキックオフシュートだけは絶対にやめてくれよ」と釘を刺されてしまったけれど。


 チームの布陣は、変則的な四―二―三―一。

 私のポジションは最前線にいるバニーの少し後ろ、その右側だった。

 世界最強のストライカーのすぐ近くで、私がどこまで通用するのか、今から楽しみが止まらない。


 そして夜。

 私はベッドの上で、今日も栞の写真が添付されたメールを読んでいた。

 画面の向こうのあの子の姿を見つめているうちに、ふと思いつき、私はこちらに来て初めて、ムーンシティのみんなと撮ったたくさんの写真を栞に向けて送信してみた。

 楽しかったこと、驚いたこと、今までのすべての感想を言葉にして、丁寧にメールを作って送ったのだ。

 けれど、どうしたのだろう。

 いつもなら、時差なんて関係なくすぐに「綾さんお休みなさい。明日も楽しんでね」と、一日の終わりを告げる可愛いメールが返ってくるはずなのに。

 何十分が経っても、スマホの画面には一向に返信の通知が無かった。


 何か、私が悪いことでもしたのだろうか。

 時計の針は、夜の二十三時を回ろうとしている。

 時差を考えると、日本ではちょうど朝の七時か八時くらいなのかなと思う。

 仕事のドラマの収録が、朝早くから忙しいだけだろう。

 そう自分に言い聞かせながら、私は微かな胸のざわつきを残したまま、その夜は眠りについた。


 翌朝。

 私はいつも通りに朝ご飯を作り、唯さんと一緒にテーブルを囲んだ。

 食後に、家の綺麗な庭に出て、唯さんと一緒に軽くサッカーボールを蹴って遊ぶ。澄んだイングランドの空気を吸いながらパスを交わしているうちに、昨夜のモヤモヤは消え、身体が最高の状態に仕上がっていくのが分かった。

 ひと汗かいて準備を整えた私達は、いよいよ決戦の舞台であるスタジアムへと向かった。

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