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【三部開始】 Liebe   作者:
3部 1章 最高のイングランドの経験

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38話 後半戦

  後半戦のホイッスルが鳴って、唯さんが軽く蹴り出したボールは真っ直ぐ私の足元へと滑り込んできた。

 私はそれを、あえて左足でトラップミスをするようにわざと浮かせて、身体の右側へと持ってきた。


 まだプレスもかかっていない、キックオフ直後のイージーな局面でのトラップミス。さすがのAチームの選手たちも、「まさか」と意表を突かれたように一瞬だけその足を止めて戸惑っていた。


 ――ここだ。

 浮かせたボールがピッチにワンバウンドした、その瞬間。

 私は迷わず、右足を一閃した。


 バゴォォォン、と重い破裂音が響き、蹴り出されたボールは猛烈な勢いでどんどん上空へと舞い上がっていく。


 誰もがただの「とんでもない宇宙開発だと思ったことだろう。チラリと視線を向けたベンチでは、あのいつもは温厚で冗談を言い合うストラーム監督でさえ、顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべているのが見えた。


 しかし、その瞬間だった。

 最高点に達したボールは、まるで意思を持ったかのように、急激な軌道を描いて斜め下へと落ち始めた。

 そのままゴールのクロスバーの下側を直撃し、真下へと跳ね返ったかと思った次の瞬間には、強烈なドライブ回転によって、吸い込まれるようにゴールネットを激しく揺らしていた。


 そのわずか数分後、完全に火がついたAチームの怒涛の波に飲み込まれ、またしてもカディサ選手に勝ち越しゴールを奪われてしまった。

 二対一。あっという間にビハインドに逆戻りだった。


 再びセンターサークルからのキックオフ。

 唯さんからのパスが私の足元に来た、と思ったその瞬間だった。

 ゾクリとするような、文字通り『黒い波』が押し寄せてくるかのような、凄まじいプレッシャーが私を襲った。

 カディサ選手を筆頭としたAチームの牙が、今度は容赦なく私を潰しにきている。


 私はそのまま、後ろにパスをして前を走る。狙うは完璧なワンツーだ。

 味方からのリターンボールが、私の走る目の前に落ちた、まさにその瞬間だった。


 ドォン!


 真横から、強烈なショルダーチャージを受けた。

 世界トップクラスの圧倒的な質量に弾き飛ばされ、私の身体はピッチの上を数メートルも無様に転がっていった。


 その後も、私のフィジカルが全く通用しないのか、何度も無様に転がされてはピッチに吹き飛ばされていた。


 これで何度目なんだろう?

 面白いように飛ばされ転んだりしていて、その間にAチームは2点目を決めていた。


 唯さんがボールを持った瞬間。

 唯さんは右にパスをして、多分私の注意が外れた瞬間だった。

 

 多分相手は、戦意損失したのだと思ったんだろう。

 右にいた選手からのサイドチェンジでボールは私の方に飛んで来た。

 目の前に相手のディフェンダーが慌てて間合いを詰めて陣を取っていた。

 まともにぶつかれば、また吹き飛ばされる。

 だから私は、あえて突っ込んでくる相手の大きな身体を『壁』にした。


 落ちてくるボールに左足を当てて右前へと流し、そのまま相手の突進する勢いを利用して、クルリと独楽(コマ)のように反転する。

 相手の身体をなぞるように滑らかにターンしながら、右足で完璧にボールをコントロールして一気に前へと運んだ。


 私は一瞬だけゴール付近を見て、全速力でさらに前へと走る。

 相手が後ろから走ってくるが、私は全速力でボールを運んで、左足でシュートと同じような強さの低空パスをゴール前に放り込んだ。

 あまりの勢いに、味方さえ戸惑うほどの激しい弾道だったが、そこに走り込んでいた唯さんが寸分違わぬタイミングで合わせ、ノートラップでそのまま押し込んだ。


 ――ピーーーーーッ!!


 再びピッチに鳴り響く、同点ゴールのホイッスル。二対二。

 私は唯さんの方に行こうとすると、向こうから真っ直ぐ近寄って来た。


「流石唯さん。あれを決めるなんて」

「もう少し遅くてもいいとは思ったけどね。合わせられてよかった」


 そう言って唯さんが私の肩の高さに手の平を出したので、私は一度彼女の目を見た。

 唯さんが優しく頷いてくれたのを確認して、私はその手に、自分の手の平を力強く叩きつけた。

 その瞬間だった。


 Bチームのみんなが一斉に私達の方に、向かって抱き着いてきて、勢い余って全員でピッチの上に倒れ込んでしまった。

 もみくちゃにされながらも、世界の強豪に一報を報いた喜びが肌から伝わってくる。


 笑い合いながら起き上がろうとした時、目の前に大きな手が差し出された。

 その手を取ると、驚くほどの力強さでグイッと一気に立ち上がらせてくれた。

 お礼を言おうと顔を上げたら、そこにいたのは、あのカディサ選手だった。


「カディサ選手、ありがとうございます」

「何度倒されても諦めないその根性は気に入ったよ。バニーでいいよ」


 にっかりと白い歯を覗かせる彼女に、私は自分の泥だらけのユニフォームを払って、真っ直ぐに視線を返した。


「……私も、アヤでいいです、バニー」

「オーケー、アヤ。これで二対二だね。だけど、流石にレギュラーチームとしてこのまま負けられないからね。最後の点数はきっちり取らせてもらうよ」

「私も自分の『存在』を示さないと、これ以降の練習参加を認められませんので。全力で行かせてもらいます」


 お互いに不敵な笑みを交わし合い、私達はそれぞれのポジションへと戻るために、再びセンターサークルへと歩き出した。


 ラスト、あと何分残っているのだろう。

 そう思った瞬間だった。

 バニーの放ったペナルティーエリア外からの強烈なシュートを、キーパーが何とかパンチングで防ぎ、ボールがゴールラインを割ってコーナーキックとなった。


 私は、前半にバニーが叩き落としたあのヘディングシュートを思い出していた。

 彼女の百八十二センチには足りないけれど、私だって百七十センチはある。

 競り合いで勝てなくても、身体をぶつけて邪魔くらいは出来るはずだ。

 

 そう思って自陣の守備に戻ろうとした、まさにその時だった。

 前線へ走る途中で、唯さんとパッと顔が合った。

 唯さんは私を見据えたまま、小さく首を横に振った。

 ――戻るな。

 センターサークルに居ろ。

 唯さんの鋭い眼光が、声を出さずに、そう私に告げていた。


 コーナーキックから放たれたボールは、ピンポイントでバニーへと向かい、最悪の瞬間が脳裏をよぎった。

 誰もが再び彼女にヘディングシュートを決められた、と思ったその時だった。


 Bチームの選手たちは、前半の反省を完全に活かしていた。

 前よりも完璧な連動組織でディフェンスの網を張り、バニーを完全には自由狂いにさせなかった。

 身体の当たりそのものでは負けていて、力任せにシュートまでは持っていかれたものの、ディフェンダーが必死に寄せたおかげでバニーの額にうまくミートしなかったの。

 枠を外れたボールが激しく地面にバウンドし、ピッチの中央へと転がる、最高に不規則なこぼれ球となった。


 そのこぼれ球が味方に渡り、すぐさま唯さんの足元へと繋がった。

 相手の激しいチェックが入るよりも早く、唯さんは一瞬の判断で前線へとボールを蹴り出した。


 私は、そのボールの軌道すら見ずに、ただ唯さんを信じて全速力で前へと走る。

 唯さんの放った極上のパスは、私の走る前方四メートルの絶妙なスペースへとピタリと落ちた。

 私はトップスピードのまま綺麗にトラップを決め、そのままゴールへ向かって一気にドリブルを開始した。


 すぐさま、相手のディフェンダーが私を潰しに目の前へ立ち塞がってきた。

 まともにぶつかれば潰される可能性がある。

 相手のディフェンダーが素早く距離を詰めてきた。


 私は右足の外側でボールを軽く押し、相手の右側を抜こうとした。

 一瞬、相手の重心が右に流れる始めた。

 その隙を逃さなかった。


 右足の外側から、内側へ。

 足首を鋭く返し、ボールを一気に左へ引き寄せる。

 ゴムのように伸びてはね返るような、瞬間的な切り替え。

 その刹那、私の体重も右から左へ滑るように移動した。


 相手の身体がまだ右に傾いたまま固まっている間に、私はすでに左側を駆け抜けていた。

 背後でディフェンダーが慌ててターンする気配がしたけど、もう遅い。

 ボールは私の左足のコントロール下で、滑らかに前へ転がり出していた。


 私はドリブルをして、そのまま右足を思い切り振り抜いた。

 ボールは地面をわずかに離れると、矢のように鋭く右上隅へ飛んでいった。


 さすがなでしこジャパンやこのチームの守護神。

 山瀬杏奈選手の反応は一瞬早かった。

 彼女の右手が伸び、強烈なパンチングでボールを弾き飛ばす。

 ゴール前で空気が震えるほどの衝撃音が響いた。


 その瞬間、私はシュートを打った右足のまま地面を走り出して。

 全身をバネのように伸ばしてジャンプした。


 宙に浮いたボールが、目の前でゆっくりと弧を描く。

 時間は一瞬、引き伸ばされたように感じた。

 頭を振り抜いた。

 額の中央でボールを捉え、全身のバネを解放するような勢いで叩きつけた。


 山瀬選手が再び跳び上がろうとしたが、一歩遅かった。

 彼女の指先が空をふれただけだった。

 ボールは、まるで矢のように真っ直ぐ、ネットの中央に吸い込まれていった。


 私は空中で体を少し丸め、地面に着地した。

 足裏がピッチを捉えた瞬間、ようやく息が吐けた。


 ちょうど紅白戦の終了の笛が鳴った。

 

 紅白戦のグラウンドに、選手たちから一斉に歓声が爆発した。


 「ナイスゴール!」

 「マジで入った!」

 「やるじゃん!」


 そんな声が四方から飛んでくる。

 私は、生まれて初めての充実感を覚えていた。

 あの時は、人のために全力を出したけれど、今回は自分のために本気でやった。

 すごく嬉しい。こんなに嬉しいことは、初めてかもしれない。

 まだ、心臓が激しく鳴っている。息が荒いまま、口元が自然に緩んだ。


「まさか、あのままヘディングシュートするとはね」

「ボールしか見てなかったから」

 山瀬選手に声をかけられて、そう答えた瞬間だった。

「完敗じゃん。すごく悔しい」


 私が振り向くと、バニーが笑顔だけど、本当に悔しそうに私に近づいて肩を軽く叩いてきた。


「ナイスゴール、綾ちゃん」

「ナイスパスです、唯さん」

「まさかエラシコして、自分でシュートするなんて思わなかったよ。てっきりルーレットだと思ったし」

「ルーレットはさっきしましたから。見抜かれている可能性があると思ったので」


 私の答えを聞いて、なぜか子供のようにぴょんぴょん跳び跳ねている唯さんを見て、私は思わず笑ってしまった。


「ユイ、何をしてるの?」

 バニーが不思議そうに尋ねると、唯さんは悪戯っぽく笑った。

「バニーたち全員が綾ちゃんの頭を撫でてるから、私も、って思っただけ」


 私は不意に、ベンチの方にいる監督に目を向けた。

 ストラーム監督は私の方を見て、ゆっくりと拍手をしながら歩み寄ってくる。

「合格。合格だ。ここまでやって不合格にはできないだろ」


 その言葉を聞いた瞬間。

 張り詰めていた緊張の糸が完全に切れ、足腰から一気に力が抜けて、私はそのままピッチの上にペタンと座り込んでしまった。

 

「どうしたの?」


 怪訝そうに顔を覗き込んできた唯さんの問いかけに、「腰が抜けて立てないみたい……」と、それだけ言うのが私にとっては精いっぱいだった。


 すごく恥ずかしい。

 だけど、世界最高峰のピッチの真ん中で座り込んでしまっている私のその態度を見て、周囲の選手たちはドッと大爆笑していた。

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