寺子屋にて
※筆者はこの回を書くにあたって、伊能忠敬の生まれ故郷に実際に赴いてみた。上総国山辺郡
小関村、現在の千葉県山武郡九十九里町小関である。JR東金駅に朝早く降り立ったが、問題の
伊能忠敬誕生の地へ向かうバスは、なんと一日に二便しかなかった。そのため、時間をつぶす
のにかなり苦労した。伊能忠敬誕生の地と聞いて、一望に海を見渡せる場所を想像していた
が、実際にはかなり森の奥深くだった。歩道のない道を、背後から迫ってくる車を警戒しなが
ら、携帯で撮影しつつ二十分ほど歩いた。すると、画面越しに茂みの奥深くへ、かすかに光が
差しているように見えた。そこは今では「伊能忠敬記念公園」となっている。周囲に人の気配
はない。空気は索漠としていた。得体の知れぬ虫だけが周囲を飛び回り、ふと見上げると測量
器具を手にした伊能忠敬の銅像が、じっとこちらを見ていた。帰りはバスがなく、結局、東金
駅まで二時間も歩く羽目になった。このような場所で、伊能忠敬は地球の大きさや世界の構造
について思いを巡らせていたのかと思うと、実に奇妙である。
十歳そこそこで父親のもとに引き取られた三治郎は、寺子屋に通うようになり、その世界
観を次第に広げていく。
寺子屋という、この江戸期特有の教育システムは、今日の学校教育とは大きく異なる点が
多々ある。
まず、今日の学校の授業のように、全員が黒板に向かって同じことを学ぶわけではない。
寺子屋には武士の子弟も通えば、商人の子、百姓の子も通う。そして、それぞれが往来物と
いわれる今日の教科書に相当する書物をもとに、商人ならば算盤を学び、武士の子なら朱子
学などの徳目を学んだ。
要するに、それぞれが自らの将来を見据えて個別の教育を受けるわけである。
環境は極めて自由であり、それぞれが己の適性や才能に応じて興味のある学問を学ぶこと
ができた。入学時期も卒業時期も厳密には決まっておらず、いわば極めて自由な教育環境で
あったといえるだろう。
そして三治郎はというと、寺子屋で数学において抜群の才能を発揮した。
当時の寺子屋で教えていた算数、あるいは数学というと、米一俵の値段計算、利息計算、
面積計算、年貢の計算といった実用的な問題が中心だったようである。
しかし、興味がある者は、例えば方程式、平方根・立方根、面積・体積計算、円や球の幾
何学、連立方程式に近い問題なども学んでいた。
これらの学問は、やがて三治郎の後年の商人としての成功、さらには全国測量において生
かされていくのである。
さて、寺子屋では休憩時間になると、やはり武士の子は武士の子、百姓の子は百姓の子で
群れることが多い。
ある時、三治郎は親しい百姓の家の子数名と、捕まえた鈴虫を鑑賞していた。ところが、
餌をやろうとしているうちに、鈴虫が虫籠の外へ逃げ出してしまった。
三治郎たちは鈴虫を追いかけたが、この時、事件は起こった。
たまたま近くを通りかかった孝子という旗本の娘が、鈴虫を踏みつぶしてしまったのであ
る。鈴虫はぺしゃんこになった。
当時、寺子屋には女の子も普通に通っていた。三治郎たちが愕然とする中、孝子はまるで
何事もなかったかのような顔をしている。
「おい! なんてことするんだ! 謝れよ!」
伍平という名の、三治郎と普段親しい百姓の子弟が孝子に迫った。
「やめろ! 相手は旗本の娘だぞ!」
いかに子供とはいえ、封建時代において身分の差というものは絶対である。三治郎は必死
に伍平を止めようとする。
しかし、ついに伍平は孝子の服の裾をつかみ、壁へ突き飛ばした。
「己れ! 無礼な! 容赦はせぬぞ!」
この時、孝子は近くにあった竹の棒を手にし、殺気を露わにする。孝子は女ながらも武士
の娘として長刀を学んでいた。伍平は反撃に遭い、竹の棒で散々に痛めつけられた。
「やめてくれえ!」
「許さん! 覚悟いたせ!」
伍平が泣き出しても、孝子は攻撃を止めようとしない。
「おい! いい加減にしろ!」
ついに三治郎が二人の間に立ちはだかる。しかし、不幸にも孝子の強烈な一撃を顔面にく
らい、その場に昏倒した。
やがて秋祭りの季節がやってきた。
三治郎もまた、屋台や提灯行列の中を、扇子片手にぶらぶらしていた。今年の夏は特に暑
かった。今はかすかに冷たい風が吹き抜ける中、残暑すら肌に心地よく感じられた。
毎年のことながら、祭りともなれば、会場のどこかで大人たちの争う声が聞こえてくる。
あるいは泥酔して、ついには嘔吐している者もいる。
かと思えば、会場から離れた場所では、男女が逢瀬を楽しんでいる光景さえ見られた。
星々の瞬きの中、闇夜に花火が打ち上げられては、はかなく消えていく。そして祭りの主
役である神輿が姿を現すと、人々の歓声はいよいよ大きくなった。
やがて祭りの喧騒も一段落し、帰路につこうとした時だった。三治郎は奇妙な光景に遭遇
する。
あの孝子が、籠の中の鳥に餌をやっている姿を偶然目にしたのである。この間、孝子の必
殺の一撃をくらった時の顔の腫れは、まだ治まっていなかった。
三治郎は、孝子が目を離した隙にそっと忍び寄り、鳥籠を開け放った。
モズらしき鳥は、天の彼方へと姿を消した。これが大事件の発端となるのである。




