第6話 虚偽の記者会見
探索者ギルド日本支部、第一応接室。
普段はA級以上のトップ探索者か、多額の寄付を行う政財界のパトロンしか通されないその豪華な部屋のソファに、炎上烈は深く腰を沈めていた。
彼らB級パーティ『紅蓮の剣』の四人がダンジョンから逃げ帰り、保護という名目でこの特別室に案内されてから、すでに数時間が経過している。大理石のテーブルの上に置かれた高級なコーヒーは、誰の手もつけられないまますっかり冷めきっていた。
「……おい、どうなってんだよこれ」
烈は手の中のスマートフォンを見つめ、血走った目で呟いた。
彼個人のSNSアカウントの通知が、瀑布のような勢いで鳴り止まない。フォロワー数はダンジョンに潜る前の十倍以上に膨れ上がり、通知アイコンの数字は上限でカンストしたままピクリとも動かなくなっている。
「凄いわ、烈……。私たちのパーティ名、トレンドの世界一位になってるわよ」
向かいのソファに座る魔法使いの女が、興奮でわずかに震える声を出した。他のメンバーたちも、それぞれ自分のスマートフォンの画面を見て息を呑んでいる。
無理もない。ダンジョンの浅い階層に、絶対に現れるはずのないS級ボス『災厄の魔竜』が突如出現したというニュースは、瞬く間にギルドの上層部から政府にまで伝わり、国中をパニックの渦に巻き込んだ。
その歴史的な異常事態の第一発見者であり、なおかつ「奇跡の生還者」となった彼らへの世間の注目度は、常軌を逸していた。
だが、烈の心の中には、つい先ほどまで全く別の強烈な感情が渦巻いていた。
圧倒的な恐怖と、完全なる敗北感だ。
第十層のセーフエリアで、魔竜をワンパンで粉砕したポーターの鈴木悠作とすれ違った時のことだ。
『あ、お疲れ様です。俺、もう帰りますんで』
あの時、鈴木は確かにそう言った。自分たちを恨むでもなく、誇るでもなく、ただバイトを終えた後のような平坦な声で。
報復する価値もない路傍の石として扱われた屈辱と、底知れない化け物に対する本能的な怯え。あの瞬間、烈は間違いなく心をへし折られ、探索者を引退しようとまで思っていた。
しかし、人間――特に烈のような、プライドと承認欲求だけで生きている人間の自己防衛本能は、厄介なほどに逞しかった。
安全なギルドに保護され、柔らかいソファで数時間を過ごすうちに、彼の矮小な自尊心が再び鎌首をもたげ始めたのだ。
(あいつ……鈴木の野郎、ギルドの受付に荷物を置いてそのまま帰ったらしいな。俺たちに文句一つ言わずに、だ)
烈の脳内で、自分に都合の良い理屈が猛烈なスピードで組み上げられていく。
あいつは手柄を主張する気がない。自分の圧倒的な力を見せびらかす気もない、ただの無気力な変人だ。俺たちが囮にしたことすら、大して気に留めていないのではないか。
だとしたら。
「……チャンスだ」
「えっ?」
「おい、お前らよく聞け。これは俺たちにとって、一生に一度の特大のチャンスだぞ」
烈はソファから身を乗り出し、ギラギラとした目をメンバーたちに向けた。
「世間は今、S級ボスから生還した俺たちに大注目してる。ギルドの広報担当の話だと、この後すぐに大講堂で緊急記者会見を開いてほしいってよ。テレビ局もネットメディアも全部来てるらしい」
「け、けど烈。会見って言っても、私たち……魔竜から逃げてきただけだし」
「バカか! 馬鹿正直に『ポーターを囮にして逃げました』なんて言うわけねえだろ!」
烈は声を荒げた。
「あの鈴木って男は、自分から名乗り出るようなタマじゃない。なら、この状況は俺たちが好きに塗り替えていいってことだ。いいか、俺たちは『死闘の末にS級ボスに致命傷を与え、奇跡の生還を果たした英雄』になるんだよ」
「で、でも、魔竜を倒したのは鈴木で……」
「誰もそんなこと信じるわけねえだろ!」
烈の口元が、醜悪な笑みの形に歪む。
「Fランクの底辺ポーターが、無傷でS級を単独討伐した? そんなふざけた話、ギルドの人間もマスコミも、誰も真に受けるわけがない。だから、あいつが魔竜を倒せたのは『俺たちが事前に致命傷を与えていたおかげだ』ってことにするんだよ」
メンバーたちは顔を見合わせた。
確かに、逃げる直前に烈がドローンカメラを落としてしまったため、最後の一部始終を自分たちは直接見ていない。配信の同接が五万人を超えていたことは気がかりだが、最後は煙が立ってよく見えなかったはずだ。
「俺たちが魔竜の外殻を砕き、瀕死に追い込んだ。だが俺たちも限界で動けなかった。そこでポーターの鈴木が、相打ち覚悟で魔竜の前に立ち塞がり、囮になって時間を稼いでくれたんだ。そのおかげで俺たちは逃げ切れたし、鈴木も、俺たちの与えた致命傷のおかげで残った魔竜を倒すことができた」
烈は自分の胸をドンと叩いた。
「どうだ? これなら俺たちが魔竜を倒したも同然だし、鈴木は命懸けで俺たちを逃がしてくれた恩人になる。完璧な美談じゃないか」
恐怖と屈辱から逃れたい一心のメンバーたちは、烈のその甘い自己正当化の理屈にすがりついた。そうだ、俺たちは悪くない。むしろ必死に戦ったのだ。そう思い込むことでしか、自分たちの精神を保てなかった。
「よし、決まりだ。お前ら、適当に包帯巻いてこい。激戦の末に生き残ったって顔をするんだぞ」
烈はスマートフォンをポケットにねじ込んだ。
彼はカンストした通知のバッジの『数』だけを見て満足し、自分宛てに飛んできているおびただしい数のリプライの文面や、タイムラインで爆発的に拡散されている切り抜き動画を、ただの一度も開かなかった。
これから始まる会見で、自分がどれだけ感動的なスピーチをするか。その構成を練ることに忙しく、ネットの有象無象の言葉など確認する必要がないと思い込んでいたのだ。
★★★★★★★★★★★
一時間後。
ギルド日本支部の地下にある大講堂には、急遽集められた百人近いマスコミや関係者、そして配信用のテレビカメラがひしめき合っていた。
無数のフラッシュが瞬く中、炎上烈を先頭に『紅蓮の剣』のメンバーが入場してくる。
烈はわざと応急処置の包帯を腕や額に巻き、泥や煤で汚れた防具をそのまま身につけていた。満身創痍でありながら、仲間を守り抜いた悲壮なリーダー。その痛々しいほどの演出に、彼は自分自身で酔いしれていた。
ひな壇に並んだ長机の前に座り、烈は重々しい表情でマイクを引き寄せた。
「本日は、急な呼びかけにもかかわらずお集まりいただき、ありがとうございます。我々『紅蓮の剣』は、ダンジョン第十二層にて、本来あり得ないはずのS級ボス『災厄の魔竜』と遭遇いたしました」
烈は言葉を区切り、深く息を吐く。演劇の舞台に立つ主役のような、完璧な間だった。
「絶望的な状況でした。ですが、俺たちは逃げることなく魔竜に立ち向かいました。仲間の決死の魔法支援と、俺の全霊を込めた剣撃。それがついに魔竜の外殻を砕き、致命傷を与えることに成功したのです」
フラッシュの光を浴びながら、烈の滑舌はさらに滑らかになっていく。
「しかし、俺たちの力も限界でした。魔竜の最後の反撃が迫る中……我々のパーティを裏から支えてくれていたポーターの鈴木が、自ら囮になると言って前に出たのです」
烈はここで目頭を強く押さえ、声を詰まらせる演技を挟んだ。隣に座る魔法使いの女も、ハンカチで目元を覆って泣き真似をしている。
「俺たちは止めた! だが彼は、『ここは俺に任せて逃げてくれ』と笑って前に出て……。結果的に彼が相打ち覚悟で時間を稼いでくれたおかげで、俺たちは生還することができました。そして鈴木は、俺たちが瀕死にさせた魔竜を、最後の力を振り絞って討伐してくれたんです! 彼は手柄を俺たちに譲り、何も言わずに帰宅しました……なんという漢か……ッ!」
「炎上さん、一つよろしいでしょうか」
烈のクライマックスの台詞を遮るように、最前列に座っていた中年の記者が、マイクを通して冷ややかに口を開いた。
烈は涙を拭うふりをしながら、心の中で舌打ちをした。せっかくの一番良いところを邪魔しやがって。
「なんでしょうか。彼の名誉のためにも、俺は事実を……」
「そのお話ですが。現在、ネット上で広く出回っている映像の解析結果と、根本的に食い違う点が多々あるようですが」
烈の顔から、作り物の悲壮感がスッと抜け落ちた。
「……解析?」
「ええ。我々マスコミの元にも、ギルドの専門機関が映像のノイズを除去し、スロー再生で解析した公式のデータが先ほど共有されています」
記者は手元のタブレットを操作した。
すると、烈たちの背後にある巨大なプロジェクターのスクリーンに、ドローンカメラが捉えた例の映像が大写しになった。配信時の粗い画質ではなく、最新の処理が施された極めて鮮明なものだ。
「まず、あなたが『魔竜に致命傷を与えた』という点ですが。映像を確認する限り、魔竜の鱗には傷一つついていません。むしろ、あなたのパーティは魔竜の咆哮に腰を抜かし、一切の攻撃行動を取らずに背を向けて逃げ出しているように見えますが」
会場が、水を打ったように静まり返る。
烈の額から、ドッと嫌な汗が噴き出した。
「そ、それは……! 映像の角度が悪かっただけで、俺の剣撃は確かに……!」
「次に、ポーターの鈴木氏が『自ら囮になった』という点について」
記者は烈の弁解を無視し、淡々と映像を進める。
そして、最も残酷な瞬間で一時停止ボタンを押した。
「あなたが逃走する際。通路の中央に立っていた鈴木氏のバックパックに対して、明確に足を引っ掛け、意図的に転倒させているのがはっきりと映っています。これは『囮になった』のではなく、『あなたが囮にして見捨てた』のが事実ではありませんか?」
会場から、一斉に軽蔑の視線が烈たちに突き刺さった。フラッシュの光は、もはや英雄を讃えるものではなく、罪人を公開処刑するためのサーチライトと化していた。
「ち、違う! 俺は彼を助けようと……ッ! それに、あいつが相打ち覚悟で囮になって時間を稼いでくれたのは事実で……!」
「相打ち覚悟? それも違いますね」
記者はタブレットの画面をスワイプした。
次に再生されたのは、悠作が立ち上がり、指先を軽く弾いた瞬間のスローモーション映像だった。
「鈴木氏は無傷です。彼は相打ち覚悟の死闘など行っておらず、魔法具もトラップも使わず、ただ指を弾いただけで魔竜を単独討伐しています。しかもその後、あなた方には目もくれず、ご自身の時計を確認してそのまま帰路についている。……これは『相打ち覚悟で囮になり、仲間に手柄を譲った』人間の行動とは到底思えませんが」
決定的な証拠。動かしようのない事実だった。
烈の喉から、ヒュッと空気が漏れる。
マイクに向かって何かを言い返そうと口を開閉させるが、乾いた唇からはまともな言葉の形にならない。隣の女は完全に顔面蒼白になり、ガチガチと歯の根を鳴らして震えていた。
ただの事実だけを並べた記者の冷酷な追及と、百人近いマスコミが向ける氷のような視線。そして、会場を埋め尽くすように瞬き続ける無数のフラッシュの光の渦の中で、烈はただ立ち尽くすことしかできなかった。




