第5話 完成する勘違いと、悲しき特売の結末
国内最大の匿名掲示板サイトに立てられた『探索者総合スレッド』は、トップVtuber天音ルミのゲリラ配信終了と同時に、サーバーが落ちかねないほどの異常な書き込み速度を見せていた。
スレッドの消費速度は数分で一〇〇〇レスに達し、502エラーを頻発させながら次々と新しいパートが立てられていく。
【S級】名もなき武神(虚無ニキ)について語るスレ その四五【ワンパン】
一五:名無しの探索者
ルミちゃんのゲリラ配信見て飛んできたわ。あれガチの物理だったのかよ
一六:名無しの探索者
インベントリからの質量射出でS級ボス粉砕って、そもそも物理エンジンバグってんだろ
取り出す時のラグもあるし、あんな質量のものを弾き出す指の力どうなってんだよ。ミスリル製の義手でも砕け散るぞあんなの
一七:名無しの探索者
特定班、まだ情報出ないの?
一八:名無しの探索者
装備は完全に特定された。あの作業着、ワークマンで上下合わせて五〇〇〇円で買えるやつ。靴は三〇〇〇円の鉄板入り安全靴
一九:名無しの探索者
草
神話級の防具を偽装してるとかじゃなくて、ガチの作業着じゃねえかwww
二〇:名無しの探索者
弘法筆を選ばずってレベルじゃねーぞ。安全靴で第十二層歩いてたのかよあの武神
二一:名無しの探索者
でもさ、一つ疑問なんだけど。
あんな規格外のバケモノが、なんでわざわざ『紅蓮の剣』みたいな中堅どころかB級のパーティで、しかもポーターなんかやってたんだ?
金目当てならソロで深層行けば一日で数千万稼げるだろ
二二:名無しの探索者
それな。しかもレッドの野郎、逃げる時に虚無ニキのこと蹴り飛ばして「囮になれ!」って捨て台詞吐いてたじゃん
あんなクズの元で働く理由がない
二三:名無しの探索者
……おい、ちょっと待て。レッドの配信アーカイブ、有志がスロー再生で解析した動画上がってるぞ。
[動画リンク]
レッドが虚無ニキを蹴り飛ばした瞬間の映像だ
二四:名無しの探索者
見てきた。どう見てもレッドが足引っ掛けて転ばせてるけど
二五:名無しの探索者
いや、違う! もっとよく見ろ!
レッドの蹴りがバックパックに当たった瞬間、虚無ニキの体、一ミリもブレてない!
その直後に、自分からわざとらしく前方に体勢崩してるんだよ!
二六:名無しの探索者
は?
二七:名無しの探索者
マジだ。レッドの奴、蹴った瞬間に硬い壁蹴ったみたいに顔しかめてる。
蹴りの衝撃でバランス崩したんじゃなくて、「蹴られたから倒れてあげた」みたいな不自然な倒れ方してるぞ
二八:名無しの探索者
え、どういうこと? なんでそんなことするの?
二九:名無しの探索者
……もしかして、わざと囮になったんじゃね?
三〇:名無しの探索者
えっ
三一:名無しの探索者
ほら、S級の魔竜が出てきて、レッドたちは完全にパニックになってたろ。
あのまま全員固まってたら魔竜に丸呑みだったかもしれない。
だから虚無ニキは、わざと『蹴り倒された無能なポーター』を演じて魔竜の足元に転がり込み、自分にヘイトを向けさせたんじゃねえの?
三二:名無しの探索者
いやいやいや、いくらなんでも深読みしすぎだろw
三三:名無しの探索者
でもそれなら辻褄が合うぞ。
倒れた後も全然ビビってなかったし、すぐに魔竜をワンパンできる実力があったのに、わざわざレッドたちが見えなくなるまで待ってたんだろ。
三四:名無しの探索者
うわ、マジか。自分の命投げ出して、あんなクズどもを逃がそうとしたってことか!?
三五:名無しの探索者
待って、だとしたらあの魔竜ワンパンする前の台詞も意味が変わってくるぞ
虚無ニキ、魔竜に向かって「道塞いでて邪魔だな」って言ってたよな
三六:名無しの探索者
あれ、もしかして魔竜に向けた言葉じゃなかったのか?
三七:名無しの探索者
「自分が囮になったのに、まだ立ち止まってる(かもしれない)レッドたち」に向けた言葉だったんだよ……!
『俺の覚悟の邪魔をするな(道塞いでないで早く上に逃げろ)』っていう、不器用すぎるメッセージだったんだよ……ッ!
三八:名無しの探索者
うわあああああああああ
三九:名無しの探索者
不器用すぎるだろ……ッ! 泣いたわ
四〇:名無しの探索者
どんだけ器でかいんだよ。あんなゴミみたいな連中にそこまで……聖人かよ
四一:名無しの探索者
魔竜をワンパンした直後にため息ついてたのも、「あーあ、目立っちゃったな。あいつら無事に逃げ切れたかな」っていう溜め息だったのか……
自分が助かったことより、仲間の心配してたんだなあの人
四二:名無しの探索者
ていうか、ワンパンしたあの黒い弾丸なんだったんだ?
スローで見てもただの石ころに見えたけど
四三:名無しの探索者
いや、あんな初速で射出されて、S級ボスの外殻を貫通するってことは、普通の石じゃ砕け散るだろ
インベントリの奥底から取り出したってことは……まさか未発見の神話級の鉱石!?
四四:名無しの探索者
それをただの使い捨ての弾丸として撃ち出したのかよ……!
四五:名無しの探索者
資産価値数十億の弾丸www
次元が違いすぎる。俺たちとは見えてる世界が違うんだよ
四六:名無しの探索者
泣かせんなよクソが。そんな最高にカッコいい男を、レッドの奴らは囮にして……!
四七:名無しの探索者
紅蓮の剣、絶対に許せねえ。
今からギルドの公式サイトに抗議のメール入れてくるわ。あんなクズども永久追放しろ
四八:名無しの探索者
俺はレッドのSNS過去ログ全部洗ってくる。徹底的に燃やして社会的抹殺してやる
虚無ニキの優しさを踏みにじった代償、払わせてやるからな
匿名掲示板の書き込みは、一瞬の思考の空白を挟み、やがて一つの『最高に都合の良い解釈』へと収束していった。顔の見えない何万人というネット民たちの集合知が、鈴木悠作という人間の行動を極限まで美化し、神格化していくプロセスだった。
ネットの怒りと熱狂は、悠作を「自己犠牲の精神を持つ孤高の武神」へと祭り上げると同時に、彼を囮にした『紅蓮の剣』への凄まじいバッシングへと形を変えた。
炎上烈の個人SNSアカウントには、一秒間に数百件のペースで非難のコメントが殺到。最新の投稿に対するリプライはすべて罵詈雑言で埋め尽くされ、過去の素行不良や酒場での横暴な振る舞いまで次々と暴露されていく。彼らが築き上げてきた中堅パーティとしての地位は、わずか一時間足らずで完全に灰燼に帰した。
★★★★★★★★★★★
築四〇年を越える木造二階建てのアパート『コーポさざんか』の一階角部屋。
鈴木悠作は、古びたフライパンで炒め終えたばかりのもやしを皿に移すことすら面倒くさがり、コンロの前に立ったまま菜箸で直接口に運んでいた。
ジュージューという油の音はとうに消え、六畳一間の狭い部屋には安っぽい油と塩コショウの匂いだけが漂っている。テレビはついていない。静まり返った部屋に、もやしを噛むシャキシャキという虚しい音だけが響いていた。
(……スーパーの卵、一個九八円だったのに……)
安い塩コショウだけの味付けでは、やはり限界がある。豚肉の切れ端でもあれば違ったが、今の悠作の財布事情ではそれすら贅沢だ。ほかほかの白米の上に卵を割り落とし、少しだけいい醤油をかけてかき込む。それが今日の悠作の、ささやかで絶対的なモチベーションのすべてだったのだ。
菜箸でもやしをかき混ぜながら、悠作の心はどん底まで沈み込んでいた。
ダンジョン内で巨大なトカゲと対峙した時の彼には、まだ「急げば間に合うかもしれない」という微かな希望があった。だからこそ、あの時はまだ指を弾く気力があったのだ。
しかし、特売終了の赤い札を見た瞬間、彼の中で何かが完全に折れた。今の彼に、S級ボスを粉砕するような覇気は欠片も残っていない。ただの疲れ切った三十代フリーターだ。
カバンの中に放りっぱなしにしているスマートフォンが、先ほどからずっと短い間隔で震え続けていた。
ブーッ、ブーッ、というバイブレーションの音が、静かな部屋に鬱陶しく響く。最初は無視していたが、あまりにもしつこい。
「……なんだよ、うるせえな」
悠作はもやしを咀嚼するのをやめ、カバンからスマートフォンを引き寄せた。
画面を点灯させると、メッセージアプリの通知アイコンが『九九+』という見たこともない数字になっている。さらに、知らない番号からの不在着信も数十件溜まっていた。
悠作は深くため息をついた。
(レッドの奴らか……。俺が勝手に帰ったから、荷物の文句でも言いにきてるのか)
ギルドの受付に無言で荷物を置いて帰るなど、ポーターとしては褒められた態度ではない。パニックになって逃げ出した彼らも、落ち着いてギルドに戻った後に悠作が先に帰宅したと知れば、腹を立てて文句のメッセージを送りつけてくるだろう。あるいは、自分が逃げる時にバックパックを蹴り飛ばしたことへの口止めの電話か。
自分が動画サイトで数百万回再生され、トップVtuberに特定作業を進められているなどとは夢にも思っていない悠作は、その異常な通知の嵐を「厄介なクレーマーからの嫌がらせ」だと断定した。
(どっちにしろ、相手にするだけ時間の無駄だ)
今日でレッドたちとの契約は終わる。ペナルティで本日の報酬が全額カットされるなら、それはそれで痛いが、もはやどうでもよかった。面倒な揉め事に巻き込まれるくらいなら、金などいらない。
いちいち言い訳のメッセージを返すのも面倒くさかった。悠作はメッセージの文面を確認することすらなく、スマートフォンの電源ボタンを長押しした。
『電源を切りますか?』という確認画面をタップし、無情にもシャットダウンの操作を行う。
画面が暗転し、鬱陶しい振動がピタリと止まった。
「はぁ……平和だ」
これでいい。面倒事には一切関わらない。それがフリーター鈴木悠作の、絶対に譲れない生存戦略だった。
出来上がったもやし炒めを平らげ、シンクにフライパンを突っ込む。塩辛いだけのシャキシャキとした食感が、やけに虚しく胃の腑に落ちていった。
テレビをつければニュースで自分のことが流れているかもしれないが、悠作は食事中はテレビを見ない主義だったため、その危機も回避された。
その後、狭いユニットバスでシャワーを浴び、ダンジョンのカビ臭い汗を洗い流した。肉体的な疲労は全くない。基礎ステータスがカンストしている彼の体は、三トンの荷物を一日中運ぼうが筋肉痛一つ起こさない。
だが、精神的な疲労――特売の卵を逃した絶望感――は、彼の心をひどく重く苛んでいた。
万年床に潜り込み、シミだらけの天井を見上げる。
「……明日はシフト入ってないけど、夜勤の店長に頼み込んで廃棄弁当もらおう。じゃないとマジで食費がもたないし、もやし三日連続はきつい」
目を閉じると、逃した卵の幻影が脳裏をよぎった。
「あーあ……明日からしばらく、何事も起きませんように」
そんな全く叶う見込みのない願いを口にして、悠作は意識を手放し、深い眠りへと落ちていった。




