第4話 トップVtuberの限界オタク化
「だめ、私だけが見てちゃだめ……! この人の凄さを、世界中に布教しなきゃ……っ!」
防音設備の整った広々としたゲーミングルームに、高橋すずの切実な声が響き渡った。
ほんの数分前までモニターに張り付き、画面の中のポーターに対して「ゴミを見るような目つき、最高」と限界オタク特有の悲鳴を上げていた彼女は、血走った目のままものすごい速度でキーボードを叩き始めた。
自身の配信プラットフォームの管理画面を開き、『天音ルミ』の緊急ゲリラ配信のセットアップを行う。
マイクのゲインを細かく調整し、画面の隅には先ほど切り抜いたばかりの例の動画をループ再生で配置する。配信タイトルは少し煽り気味に『【緊急】歴史的瞬間。この名もなき武神について語らせて【S級ワンパン】』と打ち込んだ。
すずは深呼吸を一つし、だぼだぼのジャージの襟元を無意味に正す。
そして、声のトーンをワントーン下げ、「クールで知的な天音ルミ」のものへと完璧に切り替えた。
配信開始のボタンを押した瞬間。
深夜にもかかわらず、通知を受け取った数万人のリスナーが怒涛の勢いで待機所に押し寄せてきた。
『うおおルミちゃん深夜ゲリラ!?』
『タイトルで草』
『歴史的瞬間ってなんだよ』
『ルミちゃんも例の配信見てたのか!』
『ポーターのおっさんがS級倒したやつ? あれさすがにフェイクでしょ』
『いや生配信中だったぞ』
『レッドたちが逃げたのはガチっぽいけどな』
『バグだろバグ。指弾いて竜が吹っ飛ぶわけない』
すさまじい速度で流れるチャット欄の大半は、驚きよりも疑いや困惑に占められていた。それも当然だ。一般のリスナーからすれば、ただの薄汚れたポーターがノーモーションで災害級の魔物を粉砕するなど、理解の範疇を超えすぎている。
「……皆さん、こんばんは。天音ルミです」
凛とした冷たい声が、マイクに乗る。
すずは逸るオタクの早口を必死に抑え込み、あくまで「専門家としての分析」を装って語り始めた。
「本当は今日は配信をお休みする予定だったんですが、先ほどダンジョン第十二層で起きた異常な事態について、A級探索者である私の視点から少しだけ解説させてください」
『プロの解説助かる』
『やっぱあれフェイク動画?』
『ルミちゃんから見てもおかしいよな』
「フェイクやCGではありません。あれは完全に実写の生配信映像です」
すずは断言し、画面の端に配置した動画の再生速度を落とした。
「皆さんは彼の『結果』ばかりを見てバグだと言っていますが、注目すべきはそこじゃありません。……ここです。魔竜が極大ブレスの予備動作に入った瞬間」
動画の中のポーターが、右手の親指と中指を擦り合わせる動作で一時停止する。
「これはおそらく、インベントリ機能の座標指定。そして、そのまま彼はデコピンのように指を弾いている。……不自然な点に気づきませんか?」
『魔法陣がない』
『詠唱してないな』
『指を弾いただけに見える』
「ええ。この瞬間、一切の魔力変動がカメラに観測されていません。高位の魔法やスキルなら、必ず環境魔力の乱れが映像のノイズとして現れるはずなんです。つまり彼は……」
すずは画面越しの男の虚ろな目を見つめながら、ゾクゾクとする背筋の震えを堪えきれずに熱を帯びた声を出した。
「魔力なんか一切使っていない。純粋な自分自身の『身体能力』と、インベントリから射出した『何か』の質量だけで、S級ボスの首を吹き飛ばしたんです」
チャット欄の動きが、一瞬だけピタリと止まり、直後に爆発した。
『は?』
『え、物理ってこと?』
『嘘だろ、人間の腕力であんなクレーターできるかよ!』
『指弾いただけでS級死んだの?』
『いや無理だろ骨折れるわ』
「ええ、理論上は不可能です。人間の骨格や筋肉の限界を優に超えています。……ですが、現に彼は無傷でそれをやってのけた」
すずはマウスをクリックし、動画を最後まで再生させる。
魔竜が崩れ落ちた後、ポーターの男は血溜まりにも目もくれず、ただ自分の左腕の時計を見て、深いため息をついた。
「私が一番震えたのは、ここです」
すずの口調から完全にクールさが消え、熱狂的なオタクのそれに変わり始めていた。
「見てください、この顔。恐怖も、安堵も、高揚感もない。ただひたすらに『面倒くさい』『時間を無駄にした』とでも言いたげな、このすべてを諦観したような瞳……ッ!」
『確かに「あーあ」って顔してる』
『S級倒してその反応はおかしいだろ』
『どんだけ修羅場くぐってきたらあんな悟り開けるんだよ』
「彼は本物です。おそらく、世界に数人いるかどうかの規格外。どこかのギルドが秘密裏に抱えている切り札なのか、世捨て人なのかはわかりませんが……」
すずは両手を握り締め、マイクに顔を近づけた。
「私は、A級探索者の名にかけて、この名もなきポーターの実力を保証します。皆さんも、歴史の証人になってください」
その言葉が、完璧な引き金となった。
登録者数三〇〇万人を超えるトップVtuberであり、実力派のA級探索者である天音ルミが、フェイク動画ではなく「本物の規格外」だと断言し、熱弁を振るったのだ。
リスナーたちの熱狂と混乱は臨界点を突破した。
『ルミちゃんがそこまで言うならガチなのか……?』
『やばすぎだろ』
『このおっさん何者だよwww』
『もうこれ虚無ニキだろ』
『虚無ニキ最強!』
誰かがふざけて書き込んだ『虚無ニキ』という単語は、あっという間にチャット欄を埋め尽くした。
『天音ルミによる解説付き』という強力な付加価値を得たクリップ動画は、配信の終了を待たずしてSNSの海を凄まじい速度で拡散され始め、国内のトレンドはおろか、海外の探索者界隈や大手ニュースサイトにまで飛び火していった。
★★★★★★★★★★★
「言った……言っちゃった……!」
配信を終え、マイクをミュートにした瞬間。
すずはデスクに突っ伏し、「あはーっ!」とだらしない声を上げて手足をバタバタとさせた。
自分の推しの凄さを数万人にプレゼンし、それが完璧に伝わった時の、オタク特有の強烈な快感と多幸感が全身を駆け巡っている。
だが、ただの野次馬として熱狂を広げるだけで満足する彼女ではない。
すずはむくりと顔を上げると、スマートフォンを手に取り、探索者ギルドの情報管理部の連絡先を開いた。
表向きは愛想の良いアイドルを演じているが、A級上位の彼女はギルド内でもそれなりの権力と発言権を持っている。
「私の理想の強者……。絶対に特定して、外堀から埋めていくんだから」
すずの瞳に、狂信的な信者のような、あるいは獲物を狙う肉食獣のような光が宿る。
彼女は深夜であることなどお構いなしに、顔見知りのギルド幹部へ直接メッセージを打ち込んだ。
『夜分に失礼します。今日の夕方、第十二層に潜っていたB級パーティ「紅蓮の剣」に随伴していたポーターの個人情報を、すべて私の手元に回してください。至急です』
数分後。
ギルド側から送られてきたPDFファイルをPCのモニターに映し出したすずは、そこに記載されていたプロフィールの切れ端を見て、信じられないというように息を呑んだ。
「鈴木、悠作……。年齢三〇歳。ランク……F……?」
そこに書かれていたのは、ただのフリーターの冴えない履歴書に過ぎなかった。
だが、すずにとっては違った。あの絶望的なS級ボスをデコピン一つで粉砕する実力を持ちながら、世間に対しては「Fランクの底辺ポーター」として完全に爪を隠している。
その事実が、彼女のオタク心をさらに激しく燃え上がらせた。
「Fランク……! 完全に実力を隠して、底辺職に甘んじてるってこと……!? なにそれ、設定が良すぎる……ッ!」
すずはモニターの中の証明写真――無精髭を生やし、死んだ魚のような目をしている悠作の顔――を愛おしそうに撫でた。
「待っていてくださいね、虚無ニキ……いえ、悠作さん。明日には直接、ご挨拶に伺いますから」
日本中の注目が『虚無ニキ』へと集まる中、トップVtuberの財力と権力をフル活用した、ポンコツ限界オタクの特定作業はあっさりと完了していた。
無気力なフリーターのささやかな平穏は、本人があずかり知らぬところで、完全に包囲されようとしていた。




